フィギュアスケートのリンクで、誰よりも熱く、そして誰よりも自由に表現を追求し続けてきた宇野昌磨さん。
2024年5月の現役引退、そしてプロスケーターへの転向を経て、2025年の今、彼はかつてないほど魅力的な輝きを放っています。
ご自身でプロデュースするアイスショー『Ice Brave』での生き生きとした姿や、バラエティ番組で見せる素顔に、「今の昌磨くんが一番好き!
」と感じている方も多いのではないでしょうか。
この記事では、そんな宇野さんの原点である出身校などの学歴から、共に戦ったコーチとの絆、気になるプロ転向後の年収事情、そして愛用のネックレスまで、宇野昌磨という稀代のスケーターを形作る「すべて」を最新情報でアップデートしました。
彼の歩んできた道を知れば、これからの活躍がもっと楽しみになるはずです。
宇野昌磨の学歴
幼い頃からリンクの上で戦ってきた宇野昌磨さんですが、競技生活と並行してどのような学校生活を送ってきたのか、そのルーツを知ることで彼の人間性がより深く見えてきます。
地元の名古屋で育まれた彼の学びの軌跡を、少し懐かしい気持ちで辿ってみましょう。
宇野昌磨の出身小学校
宇野昌磨さんは、名古屋市立山吹小学校出身です。
2004年4月に入学し、2010年3月に卒業されています。
実は宇野さんがスケートと出会ったのは、この小学校に入学する少し前、5歳の時のことでした。
遊びに行ったスケートリンクで、あの浅田真央さんに「君かわいいね、フィギュアやりなよ」と声をかけられたというエピソードは、まるでドラマの始まりのようですよね。
小学生時代の宇野さんは、スケートの練習に打ち込む一方で、普通の男の子らしくゲームが大好きだったそうです。
勉強については「あまり好きではなかった」と語ることもありましたが、リンクを離れれば無邪気な少年だった姿が目に浮かびます。
この頃から培われた集中力は、後のゲームの腕前(?)とスケートの両方で花開くことになります。
宇野昌磨の出身中学
小学校卒業後は、名古屋市立冨士中学校に進学しました。
この時期、宇野さんはすでにジュニアのトップ選手として世界を飛び回っていました。
そのため、学校に通える日は限られていたようです。
普通の学生生活への憧れもあったかもしれませんが、それ以上に氷の上での目標が明確だったのでしょう。
授業に出られない分、移動中や遠征先で課題をこなすなど、見えないところでの努力も相当なものだったはずです。
「学校にあまり行けなかった」という言葉の裏には、青春のすべてをスケートに捧げた覚悟が透けて見えます。
宇野昌磨の出身高校
中学校卒業後は、中京大学附属中京高等学校に進学しました。
偏差値は62と進学校としても有名ですが、宇野さんはスケート部での活動を最優先にする日々を送りました。
高校時代といえば、修学旅行や文化祭といったイベントが目白押しですが、宇野さんは競技スケジュールとの兼ね合いでこれらに参加することは叶わなかったそうです。
それでも、同じ高校にはフィギュアスケートの仲間が多くいたため、リンクの上で共有する時間が彼にとっての「青春」だったのかもしれません。
同級生たちが教室で笑い合っている時間、彼は冷たい氷の上で何度も転びながら、世界と戦う準備をしていたのです。
そのストイックさが、後のメダリストとしての土台を作ったのですね。
宇野昌磨の出身大学
高校卒業後は、中京大学に進学しました。
2016年4月にスポーツ科学部競技スポーツ科学科に入学。
この学部は、多くのアスリートが在籍し、競技と学業の両立を支援する環境が整っています。
しかし、宇野さんはこの大学を中退するという大きな決断を下しています。
2022年10月の報道で明らかになったことですが、実は「競技に専念するため」に大学を中退されていたのです。
在学中もオリンピックでのメダル獲得や世界選手権での活躍など、凄まじい実績を残してきましたが、その裏で「大学生」という肩書きよりも「一人のスケーター」として生きる道を選んだのでしょう。
「卒業」という形にはなりませんでしたが、中京大学のリンクで過ごした日々や、そこでの学びが彼の血肉になっていることは間違いありません。
この潔い決断もまた、自分の生き方を自分で決める宇野さんらしさを感じさせますね。
宇野昌磨のプロフィールや経歴
宇野昌磨というスケーターがどのようにして世界の頂点に立ち、そしてプロとしての現在に至るのか。
その輝かしい足跡を振り返ると、彼がただの天才ではなく、努力と変化を恐れない「挑戦者」であることがよく分かります。
名前:宇野昌磨
生年月日:1997年12月17日
出身地:愛知県
血液型:B型
身長:158cm
所属:トヨタ自動車
宇野さんのスケート人生は、5歳の時に浅田真央さんに誘われたあの日から始まりました。
ジュニア時代からその才能は際立っていましたが、彼の凄さは「シニアに上がってからの進化」にあります。
2015-16シーズンにシニアデビューすると、グランプリファイナルでいきなり銅メダルを獲得。
これは男子シングル史上初の快挙でした。
そして、記憶に鮮やかな2018年平昌オリンピックでの銀メダル。
羽生結弦選手とのワンツーフィニッシュは、日本中が涙した感動の瞬間でしたね。
その後も、2022年北京オリンピックでの銅メダル、そして同年の世界選手権での初優勝。
さらに翌2023年には世界選手権連覇を達成し、日本男子フィギュア界の歴史にその名を深く刻みました。
そして迎えた2024年5月9日。
宇野さんは自身のInstagramと公式サイトで、現役引退を発表しました。
「素晴らしい競技生活を送れた」と語る彼の言葉には一点の曇りもなく、5月14日の引退会見では、すっきりとした表情でプロスケーターへの転向を宣言されました。
「引退して寂しくなるかな?」というファンの心配をよそに、プロ転向後の宇野さんはさらにパワフルです。
2025年には自身初となるプロデュースアイスショー『Ice Brave(アイスブレイブ)』を開催。
「宇野昌磨が作りたい世界」を具現化したこのショーは、全国ツアーが行われるほどの大成功を収めています。
SNSでも、「プロになってからの昌磨くん、表情が柔らかくて素敵」「Ice Braveの世界観が最高すぎる」といった声が溢れており、競技の枠から解き放たれた彼が、水を得た魚のように自由に表現を楽しんでいる様子が伝わってきます。
第2章の幕開けは、想像以上にエキサイティングなものになっていますね。
宇野昌磨が引退した理由
宇野昌磨さんはあれだけの実力を持ちながら、なぜ26歳という若さで引退を決断したのか。
その理由を知ると、トップアスリートならではの孤独や葛藤、そして美学が見えてきます。
2024年5月の引退会見で、宇野さんは非常に率直な言葉でその理由を語ってくれました。
大きな要因の一つとして挙げられたのが、長年競い合ってきたライバルたちの存在です。
「羽生結弦さんやネイサン・チェン選手の引退もあり、ずっと共に戦ってきた2人がいなくなって、(モチベーションの維持が)難しくなった」
この言葉には、ただ勝つことだけではなく、「偉大な相手と戦うこと」に喜びを見出していた宇野さんの競技者としての矜持が込められています。
彼らに勝つこと、彼らと同じレベルで戦うことが、日々の過酷な練習を支える原動力だったのですね。
また、「ここ2年くらいは、以前ほどの情熱を持って取り組めなくなっていた」という自身の内面の変化にも触れました。
世界選手権2連覇を達成し、競技者としてやり切ったという「達成感」もあったのでしょう。
「未練は全くない」と言い切ったその清々しい表情は、すべてを出し尽くした人だけができる顔でした。
引退は「終わり」ではなく、競技という枠組みからの「卒業」。
ファンにとって寂しさはありましたが、今のプロとしての活躍を見ると、あのタイミングでの決断は、彼がスケートを嫌いにならず、長く愛し続けるための最良の選択だったのだと気づかされます。
宇野昌磨のコーチ
宇野昌磨さんのスケート人生を語る上で、彼を支え、導いてきたコーチたちの存在は欠かせません。
それは単なる指導者と選手という関係を超えた、家族のような、時には同志のような深い絆の物語です。
幼少期から長年指導を受けたのは、山田満知子コーチと樋口美穂子コーチでした。
技術の基礎はもちろん、スケートを楽しむ心、そして表現する喜びを教えてくれたのは間違いなくこのお二人です。
キス・アンド・クライで喜怒哀楽を共にする姿は、まるで親子のようでしたよね。
そして2019年、宇野さんは大きな転機を迎えます。
#現地便り💌
— J SPORTS フィギュア公式 (@jsports_figure) March 26, 2022
宇野昌磨選手を世界チャンピオンにしたステファン・ランビエールコーチと
ステファンコーチを世界チャンピオンのコーチにした宇野選手#優勝おめでとう🥇#jspofigure pic.twitter.com/d9yLPDDL3D
スイスのステファン・ランビエル氏を新たなメインコーチに迎えたのです。
ランビエル氏は、トリノオリンピック銀メダリストであり、世界屈指の表現者。
「表現力」に磨きをかけたいと願っていた宇野さんにとって、これ以上ない出会いでした。
ランビエルコーチの指導は、宇野さんの感性を爆発させました。
練習拠点をスイスに移し、スケート漬けの日々を送る中で、二人の間には言葉を超えた信頼関係が生まれました。
引退会見に際してランビエルコーチが贈った「あなたの情熱やスポーツへの愛をサポートできて幸せだった」というメッセージには、胸が熱くなった方も多いはずです。
そして、この関係は引退後も続いています。
2025年に開催された宇野さんのプロデュースショー『Ice Brave』には、ランビエル氏もゲストとして出演。
さらには2026年1月に予定されている特別公演への出演も決定しています。
師弟関係から、共にショーを創り上げる「プロ同士のパートナー」へ。
二人の絆の物語は、ステージを変えてまだ続いているのです。
宇野昌磨の所属やスポンサー
プロスケーターとして活動する現在、宇野さんを支える体制も現役時代から変化しています。
ここでは、2025年現在の所属やスポンサーについて整理してみましょう。
まず、所属事務所についてです。
現役時代は「USM(ユニバーサルスポーツマーケティング)」に所属していましたが、2024年5月のプロ転向と同時に「ヒーローズマネジメント株式会社」へ移籍しました。
ここは、浅田真央さんや、パートナーである本田真凜さんも所属している事務所。
気心の知れた仲間たちと同じ環境で、より自分らしい活動ができる場所を選んだのですね。
そして、長年所属契約を結んでいた「トヨタ自動車」とは、2024年5月の引退をもって契約満了となりました。
しかし、これは決してネガティブなものではありません。
引退会見にはトヨタ自動車の豊田章男会長も駆けつけ、花束を贈呈。
現在も宇野さんの活動を温かくサポートする関係は続いています。
現在の主なスポンサーには、以下のような企業が名を連ねています。
- 株式会社コラントッテ(2017年から契約継続。『Ice Brave』の冠スポンサーも務める)
- ミズノ株式会社(ブランドアンバサダーとしてウェアやシューズをサポート)
- トヨタ自動車(サポート継続)
ほか、KOSE、ニッスイ(旧ニチレイ)、ロッテなど
特にコラントッテとの関係は深く、2025年のアイスショーでは「Colantotte Presents」として全面的にバックアップしています。
企業の広告塔としてだけでなく、共にエンターテインメントを作るパートナーとして信頼されていることが分かりますね。
宇野昌磨のネックレス
宇野昌磨さんの首元でいつも輝いているネックレス。
演技中も激しい動きに合わせて揺れるそのアイテムは、ファンの間でも「あれはどこの?」と常に注目を集めています。
宇野さんが愛用しているのは、長年契約を結んでいるコラントッテ(Colantotte)の製品です。
中でも特に着用頻度が高いのが、「TAO ネックレスα ARAN(アラン)」というモデル。
これは、TAOシリーズの中でも磁束密度が65mT(ミリテスラ)と最も高く、広範囲に磁力が働くように設計されています。
連日のハードな練習やアイスショーでのパフォーマンスを支えるために、首や肩の血行改善、コリの緩和といったケアは欠かせません。
宇野さんにとって、単なるアクセサリーではなく、コンディションを整えるための「必需品」なんですね。
さらに2025年2月には、宇野昌磨オリジナルモデル「TAO ネックレスα ARAN【REI 2025】」も発売されました。
また、自身のアイスショー『Ice Brave』では、新たなモデル「TAO ネックレス ARC」を着用する姿も見られました。
「昌磨くんと同じものを着けたい!」というファン心理はもちろんですが、実際に効果を感じてリピートする人も多いこのアイテム。
宇野さんの活躍と共に、その輝きも増しているようです。
宇野昌磨の年収
トップアスリートの年収は常に注目の的ですが、現役からプロへ転向したことで、宇野昌磨さんの収入構造はどのように変化したのでしょうか。
2025年の活動状況をもとに、その規模感を紐解いてみます。
現役時代、宇野さんの年収は推定で2億円以上と言われていました。
その内訳は、オリンピックや世界選手権などの大会賞金、高額なスポンサー契約料、そしてシーズンオフのアイスショー出演料などでした。
では、プロ転向後の2025年はどうでしょう?
一般的に、プロスケーターは大会賞金がなくなりますが、それを補って余りある新たな収入源が生まれます。
- アイスショー出演料の増加
競技の制限がなくなったため、国内外の多くのアイスショーに出演可能になりました。
トップスターである宇野さんの出演料は1公演あたり100万〜200万円とも噂され、年間公演数を考えればこれだけで数千万円〜億単位になります。 - アイスショーのプロデュース収入
これが最も大きな変化です。自身が座長を務め、構成・演出を手掛ける『Ice Brave』の開催。
単なる出演者ではなく「主催側」に回ることで、興行収入の一部やプロデュース料が入ります。
冠スポンサーがついていることや、チケットの売れ行きを考えると、この事業規模はかなりのものです。 - 継続するスポンサー収入
引退後もコラントッテやミズノといった大手企業との契約は継続中。
彼の好感度や影響力は健在です。 - メディア出演 解説者としての仕事や、バラエティ番組への出演など、露出の幅も広がっています。
これらを総合すると、プロ転向後の年収は、現役時代と同等か、あるいは事業の成功次第ではそれ以上の数億円規模になっている可能性も十分にあります。
「稼ぐ」ことよりも「良いショーを作ること」に情熱を注いでいるようにも見えますが、その結果として大きな対価を得ているのは、彼の実力と人気の証ですね。
まとめ
5歳でフィギュアスケートに出会い、ひたむきに走り続けてきた宇野昌磨さん。
中京大学を中退して競技にすべてを捧げた現役時代を経て、2025年の今、プロスケーターとして、そしてアイスショーのプロデューサーとして、第2の黄金期を迎えています。
引退会見で見せたあの晴れやかな笑顔は、新しいステージでの成功を予感させるものでした。
『Ice Brave』で見せる表現者としての深み、本田真凜さんやステファン・ランビエル氏との変わらぬ絆。
競技の枠を超えて、より自由に、より自分らしく輝く宇野さんの姿に、私たちはこれからも魅了され続けることでしょう。
これからも、氷上のアーティスト・宇野昌磨さんが描く未来を、一緒に応援していきたいですね。
【参考文献】
- 宇野昌磨公式Instagram(引退発表)
- Ice Brave公式サイト
- 中京大学スポーツミュージアム
- 朝日新聞 宇野昌磨が引退会見
- コラントッテ 宇野昌磨選手愛用品
- ヒーローズマネジメント OUR TEAM
- 毎日新聞 ランビエルさん再び




