木原龍一さんとのペアで「りくりゅう」の愛称で親しまれてきた三浦璃来さん。
2026年の五輪でペア日本勢初の金メダルを獲得し、同年に競技生活へ区切りをつけられました。
その歩みを20年にわたって支えてきたのが、兵庫県宝塚市のご家族です。
今回は三浦璃来さんの実家や、お父さん・お母さん・兄弟など家族構成について調べていきたいと思います!
三浦璃来の実家は宝塚市?
三浦璃来さんの実家について調べていくと、出身地と実家の所在地が混ざって語られていることに気づきます。
この2つは似ているようで、公表されている範囲が異なります。
まずは、はっきりしていることから見ていきましょう。
三浦璃来の出身地は兵庫県宝塚市
三浦璃来さんの出身地は兵庫県宝塚市です。
これは宝塚市の公式サイトが「宝塚市出身のフィギュアスケート選手」として紹介しているため、確かな情報です。
三浦璃来さん本人も、宝塚市の公式インタビューで、宝塚市は生まれ育ってきたまちであり、一番落ち着く場所だと語っています。
出身中学校も宝塚市立御殿山中学校ですから、少なくとも中学時代までは宝塚市で暮らしていたことになります。
2026年3月には、五輪で獲得したメダルを持って宝塚市役所を表敬訪問されました。
このときの報道では「生まれ故郷である宝塚市」と紹介され、市民としてメダルを持ち帰れたことが嬉しいという本人の言葉も伝えられています。
帰郷の際には宝塚駅前の商業施設ソリオを歩き、地元に戻ってきた実感を語ったとも報じられました。

じゃあ実家も宝塚?

そこは公表されていません。
ここで注意したいのが、実家の具体的な場所については公表されていないという点です。
町名や住所、住まいの形などが明らかにされたことはありません。
2026年3月の凱旋時に帰宅して両親と会っていることから、実家は現在も宝塚市の周辺にあるのではないかとみられています。
ただし、これはあくまで報道内容からの推測にとどまります。
したがって「実家はどこか」という問いへの答えは、出身地が兵庫県宝塚市であるところまで、ということになります。
実家がお金持ちと言われる理由
ネット上では、三浦璃来さんの実家は裕福なのではないかと言われることがあります。
そう語られる理由は、大きく2つあるようです。
1つは、宝塚市という地域のイメージです。
宝塚市は兵庫県の中でも閑静な住宅地として知られ、落ち着いた環境の街という印象を持たれています。
もう1つは、フィギュアスケートという競技にかかる費用です。
スケート靴や衣装、リンクの使用料、コーチへの謝礼、遠征費など、続けるだけで相応の負担がかかる競技です。
三浦璃来さんは中学生のころからカナダへ渡っており、その費用も小さくなかったと考えられます。
さらに幼いころには、空手や新体操、水泳、ピアノといった習い事もしていたと伝えられています。

それだけ聞くと裕福そう

でも根拠にはなりません。
もっとも、これらはいずれも状況からの推測です。
三浦家の収入や資産、住まいについて公表された情報はありません。
住んでいる地域のイメージから、その家庭の経済状況を判断することはできません。
また、競技にお金がかかることと、家庭が裕福であることは別の話です。
費用の工面の仕方は家庭ごとに異なりますし、スポンサーや連盟の支援を受けられる時期もあります。
実際にはっきりしているのは、ご両親が長い年月にわたって三浦璃来さんを支えてきたという事実です。
そのことは後の章であらためて取り上げます。
三浦璃来の父親の職業
三浦璃来さんのお父さんについては、ネット上でひとつの説が広く出回っています。
自動車関連の会社を経営しているというものです。
この説がどこまで確かなのか、順に見ていきます。
三浦璃来の父親は三浦オートの社長?
ネット上では、三浦璃来さんのお父さんは「三浦オート」という車やバイクを扱う会社の社長さんではないか、と言われています。
この情報は複数のサイトで繰り返し紹介されており、目にしたことがある方も多いかもしれません。
ただし、この説には裏付けが見当たらないのです。
三浦璃来さん本人のSNS、所属先である木下グループ、マネジメントのIMG、JOC、宝塚市、出身校のいずれも、お父さんの職業に触れていません。
大手スポーツ紙の報道でも、お父さんの勤務先や経営する会社が紹介されたことはありません。

あちこちに書いてあるのに?

出どころがたどれないんです。
気をつけたいのは、同じ名前の会社が実際にあったとしても、それだけでは三浦璃来さんの実家である根拠にならないという点です。
三浦という姓は珍しいものではありませんし、自動車関連の事業者に「オート」という名前が付くこともよくあります。
実際、ネット上で挙げられている店舗の所在地も、宝塚市内としているものと近隣の市としているものがあり、情報にばらつきが見られます。
お父さんのお名前についても、特定の氏名を挙げているサイトがありますが、同じく裏付けは確認できていません。
したがって現時点では、お父さんの職業は公表されていないというのが正確な答えになります。
三浦オートに関する話は、ネット上でそう言われているという範囲にとどめておくのがよさそうです。
両親に伝えた「20年支えてくれてありがとう」
職業は分からなくても、ご両親と三浦璃来さんの関係が見える場面はあります。
2026年3月、宝塚市への凱旋の際のことです。
三浦璃来さんは実家に戻り、ミラノ・コルティナ五輪で獲得した2つのメダルをご両親に見せました。
そのとき、恥ずかしかったけれど「20年支えてくれてありがとう」という言葉を伝えられてよかった、と本人が明かしています。
スケートを始めたのが5歳ですから、20年という数字はほぼ競技生活そのものの長さにあたります。

20年分の感謝ですね。

照れちゃう気持ち分かる
この報道の中でも、ご両親の職業や氏名は明かされていません。
三浦家は、家族の情報を積極的に出さない姿勢を続けてきたようです。
また、金メダル獲得後には、報奨金を家族のために使いたいという趣旨のことを本人が語ったとも伝えられています。
長く支えてくれた家族へ何かを返したい、という思いがうかがえる言葉です。
お父さんが何をしている方なのかは分かりません。
それでも、20年にわたって娘の競技生活を支え続けてきたご両親であることは、本人の言葉からはっきりと伝わってきます。
出典:デイリースポーツ
三浦璃来の母親はどんな人?
三浦璃来さんのお母さんについても、公表されている情報はほとんどありません。
お名前も職業も明らかにされたことがなく、メディアの取材に登場した記録も見当たりません。
ネット上では特定の氏名を挙げているサイトもありますが、こちらもお父さんの場合と同じく裏付けは確認出来ていない状況です。
お父さんの会社を手伝っているのではないか、専業主婦ではないか、といった話も見られます。
ただしこれらは、お父さんが会社を経営しているという未確認の説を前提にした推測です。
前提そのものが確かではないため、そこから導かれる話も確かなものにはなりません。

何も分からないんだ

見える部分もありますよ。
プロフィールは分からなくても、家族としての姿が垣間見える場面はいくつかあります。
そのひとつが、家での過ごし方についての本人の話です。
三浦璃来さんは、家族には試合の話をあまりしないと語っていたことがあります。
競技の緊張感を持ち込まず、家では家族として過ごす時間を大切にしてきたということなのかもしれません。
結果を出し続けなければならない世界にいた三浦璃来さんにとって、成績と関係なく迎えてくれる場所があることの意味は小さくなかったはずです。
宝塚市の公式インタビューでも、家族と過ごす時間について触れています。
シーズン中は半年ほどカナダに滞在するため、帰国後の時間は限られます。
それでも先日は家族と買い物に行ってきた、と話していました。
宝塚市は一番落ち着く場所だという本人の言葉も、こうした家族との時間があってこそのものでしょう。

家では競技の話をしません。

そこが休まる場所なんだね
幼いころの三浦璃来さんは、空手や新体操、水泳、ピアノなど複数の習い事をしていたと伝えられています。
小さな子どもがこれだけの習い事に通うには、送り迎えをはじめとした家族の支えが欠かせません。
スケートを始めたのが5歳ですから、その時期から練習に付き添う日々が始まっていたことになります。
お母さんが具体的にどう関わっていたのかを示す情報はありません。
それでも、20年支えてくれてありがとうという本人の言葉には、お父さんとお母さんの両方が含まれています。
表に出ないところで競技生活を支え続けてきた方であることは、間違いなさそうです。
三浦璃来の兄弟や姉妹
三浦璃来さんに兄弟や姉妹がいるのかどうかも、よく調べられている項目です。
ネット上では、年下の妹さんが1人いるという情報が広く出回っています。
この点についても、確かめられる範囲を見ていきます。
まず、妹さんの存在については公表されていません。
三浦璃来さん本人や所属先、宝塚市、大手メディアの報道のいずれにも、兄弟姉妹に関する記載は見当たりません。
お名前や年齢を具体的に挙げているサイトもありますが、その出どころをたどることはできませんでした。

妹さんいるって聞いたよ

確かな情報がないんです。
一方で、4人家族だとする紹介も複数のメディアで見られます。
お父さん、お母さん、三浦璃来さん、そして妹さんという構成です。
そのため、妹さんがいる可能性は否定できませんが、続柄や年齢を含めて確定した情報とは言えない状況です。
ここで押さえておきたいのが、仮に妹さんがいたとしても一般の方であるという点です。
公の場に出てきた方ではありませんし、ご本人が情報を発信しているわけでもありません。
お名前や通っている学校、顔写真といった情報を追いかけることは、避けるべきでしょう。
実際、三浦璃来さんの家族について語られる場面でも、妹さんが話題の中心になることはほとんどありません。
取り上げられているのは、ご両親への感謝を伝えた場面のような、本人の言葉から見える内容です。

一般の方ですからね。

そっとしておこう
なお、三浦璃来さんは中学生のころからカナダを拠点に練習を積んできました。
シーズン中は半年ほど日本を離れる生活が続いていたため、家族と過ごせる時間は限られていたことになります。
10代のうちから家族と離れて暮らす選択をしていたわけです。
そうした生活を送りながらも、帰国のたびに家族と過ごす時間をつくってきたことが、本人のインタビューからは伝わってきます。
兄弟姉妹について確かなことは分かりません。
それでも、家族との距離感を大切にしてきた方であることは、これまでの発言から見えてきます。
三浦璃来の家族構成まとめ
ここまで見てきた内容を、ひとつにまとめておきます。
三浦璃来さんの家族については、はっきりしている部分と分かっていない部分がはっきり分かれます。
まずは、公表されている情報から確かめられる内容です。
出身地:兵庫県宝塚市
両親:健在。2026年3月にメダルを見せて感謝を伝えている
両親の居住地:宝塚市周辺とみられる
スケート開始:5歳
現在の拠点:カナダ・トロント
一方で、次の項目は公表されていません。
実家の住所・町名・住まいの形
父親の氏名・職業・勤務先
母親の氏名・職業
兄弟姉妹の有無・人数・年齢
家庭の収入や資産の状況
両親のスケート経験の有無
祖父母の有無・居住地

分からないことが多いね

そこが三浦家らしさです。
こうして並べてみると、三浦家が家族の情報をほとんど表に出してこなかったことが分かります。
五輪で金メダルを獲得した後も、ご両親が取材に応じたという報道は見当たりません。
アスリートの家族が受賞後に取材を受けることは珍しくありませんから、これは一つの姿勢の表れと言えるかもしれません。
ネット上には、お父さんの会社名やご家族のお名前を挙げている情報が数多くあります。
いずれも同じ内容が繰り返し引用されているものの、元をたどると出どころが見つかりません。
広く流通していることと、確かであることは別だという例と言えそうです。
そのうえで、確かなこともあります。
5歳から始めた競技を20年続けられたのは、ご家族の支えがあったからだと本人が語っている点です。
職業や名前が分からなくても、そこがいちばん大切な部分なのかもしれません。
三浦璃来と家族のエピソード
家族の名前や職業は分からなくても、三浦璃来さんと家族の歩みが見えてくる場面はいくつも残されています。
ここでは、幼少期から現在までのエピソードを追っていきます。
始まりは、5歳のときでした。
三浦璃来さんがスケートを始めたきっかけは、ディズニーのアニメに出てくるフィギュアスケートの場面だったそうです。
その映像を見て、自分にもできると思ったと本人が語っています。
家族に勧められて始めたのではなく、本人の興味から始まった競技だったことになります。
幼いころには、空手や新体操、水泳、ピアノにも通っていました。
回し蹴りが得意だったと話していたこともあり、体を動かすことが好きな子どもだったようです。

自分からやりたがったんだ

それを家族が支えました。
転機になったのが、中学時代です。
三浦璃来さんは中学生のころに初めてカナダへ渡っています。
スケート中心の生活になったことで、学校行事に参加することが難しくなったと本人が振り返っています。
10代前半で、家族と離れて海外で練習する生活が始まったことになります。
その象徴が、卒業式のエピソードです。
カナダへ渡る日程の都合で、三浦璃来さんは中学校の卒業式に出席できませんでした。
そこで学校が、最後の登校日に三浦璃来さんのためだけの卒業式を開いてくれたそうです。
このことは、本人が宝塚市の公式インタビューで明かしています。
地元の学校が競技を選んだ生徒を送り出した場面であり、家族だけでなく地域に支えられてきたことが伝わるエピソードです。

学校も応援してたんだね

地元ぐるみの支えでした。
その後もカナダ生活は続きました。
シーズン中は半年ほど日本を離れるため、家族と会えるのは帰国したときに限られます。
それでも帰国のたびに家族と買い物に出かけるなど、日常の時間を大切にしてきたことを本人が話しています。
宝塚市を一番落ち着く場所だと語る背景には、こうした積み重ねがあるのでしょう。
そして2026年3月2日、20年の集大成となる日が訪れます。
ミラノ・コルティナ五輪でペア日本勢初の金メダルと団体銀メダルを獲得した三浦璃来さんは、宝塚市役所を表敬訪問しました。
市民としてメダルを持ち帰れたことが嬉しい、と語っています。
そして実家に戻り、2つのメダルをご両親に見せました。
恥ずかしかったけれど「20年支えてくれてありがとう」と伝えられてよかった、というのがこのときの言葉です。
5歳でアニメを見て始めた競技が、20年後に家族への感謝の場面までつながったことになります。
その後、三浦璃来さんは2026年4月に競技選手としての引退を発表しました。
現在はプロスケーターとして活動を続けており、拠点は引き続きカナダのトロントです。
そして2026年8月23日には、木原龍一さんとの婚約を発表されています。
婚約に至るまでの経緯や結婚の時期をめぐる話題については、こちらの記事で詳しく取り上げています。
りくりゅうの本当の関係は?婚約発表で結婚はいつ?年齢差や身長差も
三浦璃来の彼氏は木原龍一?婚約を発表|かわいいと言われる理由や市橋翔哉との解散理由も
宝塚市で育った日々から数えると、生活の場は大きく変わりました。
それでも帰る場所として宝塚市を挙げ続けているところに、家族との結びつきの強さが表れています。
出典行は以下に差し替えてください。
出典:宝塚市公式サイト/サンケイスポーツ/デイリースポーツ/Olympics.com
まとめ
今回は三浦璃来さんの実家や家族構成についてご紹介しました。
出身地は兵庫県宝塚市で、本人も生まれ育ったまちとして語っています。
一方で、実家の詳しい場所やご両親の職業、兄弟姉妹の有無については公表されていません。
ネット上で語られている「三浦オート」の話も、裏付けは確認できませんでした。
そのかわりに確かなのは、5歳から続けた競技を20年にわたって家族が支えてきたということです。
2026年3月、三浦璃来さんは五輪のメダルを持って宝塚市へ戻り、ご両親に感謝の言葉を伝えました。
拠点をカナダに移した今も、宝塚市を一番落ち着く場所として挙げ続けています。
これからの歩みにも注目していきたいですね。
