1971年にデビューした中田喜子さんですが、実家はどこにあるのでしょうか。
両親や兄弟はどんな人なのでしょうか。
今回は、中田喜子さんの実家や家族について調べてみました。
中田喜子の実家は築地の増田屋!
中田喜子さんは、東京都出身です。
実家は、築地の蒲鉾等の加工品の仲買(昔は製造もしていた)「増田屋」でした。
こちらのお店は中田喜子さんのお姉さんが跡を継いでいましたが、現在は廃業しています。
中田喜子さんの祖父は練り製品部会の会長を務めた人で、電気で表面に焦がしを付けるという機械を発明しました。
「増田屋」の屋号の店は、祖父からのれん分けされた店だったのだそうです。
中田喜子さんは小学6年生まで、東京都中央区新富町の当時としては珍しい木造3階建ての一軒家で暮らしていました。
1階には台所や食事をする広いスペースと祖父母の部屋、2階は両親の部屋や子ども部屋、親族の結婚式ができるほどの大きな広間、3階にはお手伝いさんの部屋がありました。
中田喜子さんが生まれた頃には家業が傾いてきた感じではあったものの、お姉さんたちはこれ以上の裕福な暮らしをしていたのだそうですよ。
その後、お母さんが港区の青山に土地を買い、一軒家を建て、中田喜子さんはお姉さんたちとお母さんと一緒に住んでいました。
中田喜子の父親の職業
中田喜子さんのお父さんは一般人です。
名前や年齢、顔写真などは公表されていません。
お父さんも「増田屋」に関わっていたと思いますが、詳しい情報はなかったため分かりませんでした。
お父さんとお母さんは中田喜子さんが小学生の時に離婚しており、お父さんについてはほとんど語っていませんが、インタビューでは「私の父は本当に美男子だったんですよ。銀座のおねえさんたちにモテて大変だったっていうのは聞きました」と明かしていました。
中田喜子の母親
中田喜子さんのお母さんも一般人です。
お父さんと同じく詳しい情報は公表されていません。
青山に一戸建てを購入したお母さんですが、その後渋谷に土地を買ってビルを建てました。
とても気っ風のいい人で、青山に家を建てるときは、中田喜子さんら娘たちに家造りを任せたのだそうです。
中田喜子の兄弟や姉妹
中田喜子さんは、5人姉妹の末っ子として誕生しました。
両親が「次は男の子を」って頑張ったものの、中田喜子さんの誕生で諦めたそうです。
中田喜子さん産のお姉さんたちは、長姉・2番目の姉が双子で一般人です。
名前や顔写真は公表されていません。
3番目の姉は、元宝塚歌劇団の京かおる(本名・良子)さんです。
宝塚退団後は家業を継ぎ、芸能活動は行っていません。
4番目の姉についても情報がなかったため、一般人だと思われます。
まとめ
中田喜子さんのお姉さんたちは、芸能界とは別の道を歩んでいますが、中田喜子さんの活動を陰で応援してくれているのではないかと思います。
中田喜子さん、そして家族がこれからも幸せな日々を過ごしていけることを願っています。