坂口憲二さんといえば、かつて俳優として数々の作品に出演し、現在はコーヒー焙煎士として新たな道を歩んでいることで知られていますね。
そんな坂口さんの家族について、「実家はどんな環境だったの?」「父親や兄弟も有名って本当?」と気になって調べている方も多いのではないでしょうか。
実は坂口さんの父親は、日本プロレス界のレジェンドとして名高い坂口征二さん。
そして兄は現役プロレスラーとして活躍中。さらに母親についても意外な経歴があることがわかってきました。
この記事では、坂口憲二さんの家族構成や実家の背景に迫り、あまり知られていない家族のエピソードもご紹介していきます。
読み進めるうちに、坂口さんの魅力がより深く感じられるはずです。
坂口憲二の父親はプロレスラー坂口征二
坂口征二さん「50年前に猪木さん、小鉄さん、藤波、木戸とこの4人からスタートして、その間にもいろんな事がありましたけど、携わった人、頑張った人のおかげでこの日があると思います。本当にありがとうございましたとお礼を言いたい」
— 新日本プロレスリング株式会社 (@njpw1972) March 1, 2022
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坂口憲二さんの父親は、昭和から平成にかけてプロレス界を支えた名レスラー、坂口征二さんです。
かつては柔道家としても実績を残しており、アスリートとして二つの分野で活躍された人物として知られています。
もともとは柔道界のホープで、1965年には全日本柔道選手権で優勝を果たしています。
その年には世界柔道選手権の日本代表としてブラジル・リオデジャネイロにも出場し、世界を舞台に活躍。
その後、プロレスの世界に転身し、1967年に日本プロレスへ入団しました。
プロレスラーとしては、「ビッグ・サカ」というリングネームでも知られ、迫力のあるファイトスタイルと端正なルックスで一躍人気選手に。
特にジャイアント馬場さんやアントニオ猪木さんに次ぐスターとして高い人気を誇り、「世界の荒鷲」と呼ばれるほどのカリスマ性を持っていました。
新日本プロレスの黎明期にも大きな存在感を示しており、1989年には同団体の社長に就任。
翌1990年には社長業に専念するため、現役を引退しました。
引退後もプロレス界を支える立場として活動を続け、業界全体の発展に尽力しています。
また、親子共演が実現したことでも話題になったのが、2005年に放送されたホンダ「エアウェイブ」のテレビCMです。
坂口憲二さんと坂口征二さんが揃って登場する姿に、多くの視聴者が親子の絆を感じたのではないでしょうか。
父である坂口征二さんの存在は、坂口憲二さんの人柄や価値観、ひいては俳優時代の役柄選びにも影響を与えていたのかもしれませんね。
スポーツと芸能、それぞれの世界で第一線を走ってきた父子の歩みに、自然と敬意を抱かずにはいられません。
坂口憲二の兄もプロレスラー
コーヒー焙煎士と。
— 坂口征夫 (@yukiosakaguchi) February 15, 2020
彼は元気ですよ。 pic.twitter.com/2z98v5Aeq3
坂口憲二さんの兄・坂口征夫(さかぐち ゆきお)さんも、父・坂口征二さんの背中を追うように、プロレスラーとして活躍してきた人物です。
とはいえ、その道のりは決して順風満帆ではなく、異色のキャリアを経て格闘家としての地位を築いた努力人でもあります。
実は坂口征夫さんは、もともと身長のハンデを理由にプロレスラーになる夢を一度は断念していたそうです。
高校卒業後は建設会社に就職し、土木作業員として働きながら現場経験を積み、2004年には国家資格である「1級土木施工管理技士」も取得しています。
この時期の真面目な勤務ぶりは、後のビジネス展開にもつながっていく大きな土台になったのかもしれません。
27歳から本格的に空手を始めた坂口征夫さんは、東都空手道選手権で準優勝という好成績を収め、さらにルーキーチャレンジカップでは優勝という実績を残しました。
その後、30歳で総合格闘家としてデビューすることを決意。2007年4月には総合格闘技団体「パンクラス」でプロデビューを果たしています。
プロ2戦目では韓国のチェ・キーソクさんと対戦し、スタンディングでのチョークスリーパーにより見事一本勝ち。
この勝利が、格闘家としての第一歩を大きく後押しする結果となりました。
2009年には映画『カムイ外伝』で俳優デビューも果たしており、アクションシーンを中心に存在感を発揮。
その翌年、2010年には身体への負担やケガの影響を考慮して一度は現役を引退しています。
このタイミングで、専務として務めていた建設会社から独立し、自身の会社を立ち上げたことも注目すべきポイントです。
水道管工事を中心とした事業で、現場の経験と資格を生かした堅実な経営を行っています。
ところが、引退後も格闘技への情熱は冷めなかったようで、2010年12月30日に開催されたイベント『戦極 Soul of Fight』で電撃復帰。
以降もプロレスと格闘技の両フィールドで活動を続けており、年齢を重ねながらも現役にこだわる姿勢は、多くのファンの支持を集めています。
坂口征夫さんの歩みは、父・坂口征二さんや弟・坂口憲二さんとは異なるルートを通りながらも、「自分の信じる道を貫く強さ」においては共通しているように感じますよね。
現場で汗を流した日々からリングでの闘いまで、人生のあらゆるステージで誠実に向き合ってきた姿勢が、多方面での成功につながっているのかもしれません。
坂口憲二の母親はどんな人?
坂口憲二の母ちゃん絶対美人と思って調べたら、元東宝女優の木村利子さん。 pic.twitter.com/Udkuq0SxjF
— kmrt (@kmrtwit) February 21, 2019
坂口憲二さんの母親は、坂口利子(さかぐち としこ)さんという方です。
現在は芸能活動から離れているものの、かつては「木村利子」という芸名で東宝に所属していた元女優として知られています。
当時の東宝といえば、数多くのスターを輩出してきた映画制作の名門。
そんな環境の中で活動していた坂口利子さんも、当時は清楚で品のある美貌を持つ女優として注目を集めていたようです。
実際、現在もインターネット上では「若い頃の写真がとても美しい」「坂口憲二さんの整った顔立ちは母親譲りかも」といった声が見られます。
芸能界を離れた現在は、公の場に登場することはほとんどありませんが、その存在は坂口家の中で非常に大きな支えとなっていたことは間違いないでしょう。
坂口憲二さんや兄の坂口征夫さん、そして父の坂口征二さんといった“表舞台で活躍する家族”をそっと支える、まさに縁の下の力持ちのような存在だったのかもしれませんね。
また、女優という華やかな世界に身を置いていた過去を持つ坂口利子さんだからこそ、家族の表現活動にも深い理解があったのではないでしょうか。
坂口憲二さんが俳優として成功を収め、現在はコーヒー焙煎士という新たな道を歩んでいる背景には、母親の影響も少なからずあると考えられます。
表に出ることは少なくても、その歩みや美しさが今もなお注目されている坂口利子さん。
坂口憲二さんの柔らかさや品のある雰囲気の一端には、母親譲りの魅力が息づいているのかもしれません。
坂口憲二の実家
坂口憲二さんの出身地は東京都とされています。
ただし、実家の正確な住所や場所については、本人や関係者から公表された情報は見当たらず、明確には分かっていません。
プライバシー保護の観点から、あえて詳細を伏せている可能性もありそうです。
一方で、これまでに報じられた情報や、坂口憲二さんの学歴をもとに推測できることもあります。
たとえば、坂口さんが通っていた小学校は「東京都世田谷区立等々力小学校」と言われており、これが事実であれば、幼少期は世田谷区内で生活されていた可能性が高いと考えられます。
世田谷区といえば、閑静な住宅街が多く、著名人が多く住むエリアとしても知られていますよね。
そうした環境で育った坂口憲二さんの落ち着いた雰囲気や、上品なたたずまいにも、どこか世田谷らしい空気感が感じられるかもしれません。
また、坂口さんの父親である坂口征二さんは、長年にわたり新日本プロレスの要職を務めてきた人物。
家族が安定した生活基盤を築いていたことを考えると、世田谷区のような都内の住宅地に住んでいたとしても不自然ではありません。
一部では「有名人だから都心の高級住宅街では?」という声もありますが、それを裏付けるような報道や証言は確認されておらず、あくまで想像の域を出ない情報です。
坂口さん自身がプライベートを大切にする方であることを考えると、実家について過度に明かされていない点も納得できますよね。
実家に関する情報は限られていますが、学歴や家庭環境から読み取れる背景には、温かい家庭の支えと落ち着いた環境でのびのびと育った印象があります。
こうした環境が、坂口憲二さんのまっすぐで飾らない人柄にも影響を与えているのかもしれません。
まとめ
坂口憲二さんは、柔道家やプロレスラーの道は歩んでいないものの、柔道二段の腕前を持ち、お父さんが設立したスポーツジム「坂口道場」(現在は閉鎖)で柔道コーチとして在籍していたこともあります。
それぞれ違う道を歩んでいますが、坂口憲二さんの家族の活躍に今後も目が離せませんね。




