「鶴ちゃん」の愛称でタレント、俳優活動を行っている片岡鶴太郎さんですが、若い頃はどんな姿で、何をしていたのでしょうか。
出身学校や年収も気になりますね。
今回は、片岡鶴太郎さんの経歴や出身中学高校、年収などについて調べてみました。
片岡鶴太郎の若い頃が今と全然違う!
片岡鶴太郎さんの若い頃の姿はこちらです。
#徹子の部屋
— フミリン (@dbGxBHFONClwVcY) June 22, 2020
「マッチで~す」
片岡鶴太郎さん28歳
この頃デパートの屋上で見ました
(ノ´∀`*) pic.twitter.com/94SIQ7M7u1
片岡鶴太郎のマッチの物真似、面白いよな〜
— おちょごさん (@chogo2009) December 7, 2019
#タイムラインをあたかも昭和にする pic.twitter.com/vNGbqY6fkY
今よりもぽっちゃりしていますね。
ネット上でも「全然違う」、「別人みたい」などという声が聞かれていました。
片岡鶴太郎は元祖おでん芸人だった!
片岡鶴太郎、なんか世捨て人のような仙人のような感じになってるけど昔はおでん芸人でしたからね( pic.twitter.com/h2nHzFtBtx
— 漫遊@6/18三郷中央で落語 (@manyou_mangetsu) September 6, 2018
片岡鶴太郎さんは、お笑いタレントとして多数のバラエティー番組に出演していました。
当時は熱いおでんを無理矢理食べさせられて大げさなリアクションを繰り出すなど、被虐的なキャラクターでした。
そのため、片岡鶴太郎さんが「元祖リアクション芸人」とも言われています。
マッチのものまねでも注目に
鶴ちゃんも還暦すぎてるのか・・・「マッチでーす!」とやっていたのも遠い昔になりましたね^^;
— ココタビ(元ココロノタビビト) (@cokotabi) August 2, 2017
【片岡鶴太郎が4時間かけヨガを行う姿にネット騒然「凄すぎる」と感嘆】 https://t.co/NXUaa7U7RF pic.twitter.com/9B23I7TCQB
片岡鶴太郎さんのブレイクのきっかけは、『オレたちひょうきん族』で披露した近藤真彦さんのものまねでした。
今では多くの人が「マッチでーす」とものまねしていますが、片岡鶴太郎さんが元祖だったそうです。
他にも九官鳥の「キューちゃん」やたこ八郎さん、小林旭さん、坂上二郎さんらのものまねをしていました。
片岡鶴太郎のプロフィールや経歴
名前:片岡鶴太郎
生年月日:1954年12月21日
出身地:東京都
血液型:O型
身長:163cm
所属事務所:太田プロダクション
高校卒業後、片岡鶴太郎さんは俳優になるため喜劇女優の清川虹子さんの家に押しかけ弟子になろうと思ったものの、本人が不在で追い返されてしまい、あてが外れてただの無職になってしまいました。
生活の為しばらく土木作業員などの仕事を経験した後「このままではいけない」と一念発起、1973年に声帯模写の片岡鶴八さんに弟子入りし、声帯模写で東宝名人会や浅草松竹演芸場などの舞台に出演するようになりました。
しかし片岡鶴八さんからは「声帯は人によって違うから、君に僕の芸はそのまま教えられない」と、芸を教えもらえなかったそうです。
それでも蕎麦屋へ同行した際には、そばの食べ方の手ほどきを受け「芸人として売れるまで、そば屋では盛りそばしか食べてはいけない」など、芸人としての「粋」を教えてもらいました。
その後、知人の紹介で「隼ジュンとガンリーズ」というコントグループに加入するも、ものまね芸人として独り立ちをしたかったため、片岡鶴太郎さんはグループを抜け出して強引に脱退、24歳の時に実質的なテレビデビューとなるフジテレビ系『お笑い大集合』に出演しました。
そして『鶴ちゃんのプッツン5』、『笑っていいとも!』など数々の番組にレギュラー出演、1986年には「プッツン」が新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞に選ばれています。
ドラマ『男女7人夏物語』への出演をきっかけにして俳優業にも力を入れるようになり、NHK連続テレビ小説『春よ、来い』、『金田一耕助シリーズ』、などに出演しています。
1988年には「今までの自分が嫌になり、それを否定したかった」という理由からプロボクサーのテストを受験、本来受験資格は無かったものの、日本ボクシングコミッション(JBC)に懸命に頼み込み「合格しても試合には出場できない」という条件で特別に受験が叶い、見事合格を果たしました。
片岡鶴太郎の絵がすごい!
片岡鶴太郎さんはタモリさんに影響を受け、挿絵を描くことを始めると、1989年にドラマ『志功の青春記 おらあゴッホだ』で若き頃の棟方志功を演じたことをきっかけに、水墨画や陶芸などもやるようになりました。
そして今では個展を開くほど、画家としても活動しています。
青森大学では芸術論を担当、NHK『趣味悠々』では2003年7月から9月に「鶴太郎流墨彩画塾」、2004年4月から5月に続編となる「新鶴太郎流墨彩画塾」で講師を務めました。
2007年に絵画の視点で書道にも挑戦し、第24回産経国際書展で産経新聞社賞を受賞、2015年3月には書家として第10回手島右卿賞を受賞しています。
片岡鶴太郎は草津と福島に美術館がある
群馬県草津市には「草津片岡鶴太郎美術館」という美術館があります。
こちらは草津温泉にあり、展示作品は150点、収蔵作品は300点になっています。
名前:草津片岡鶴太郎美術館
住所:群馬県吾妻郡草津町草津479
電話番号:0279-88-1011
開館時間:8:00~17:00
定休日:木曜日
入館料金:一般・大学生 600円
福島県には「福島片岡鶴太郎美術庭園」があり、こちらは初期の作品から、繊細な陶器の作品など約70点を展示しているそうですよ。
名前:福島片岡鶴太郎美術庭園
住所:福島県福島市飯坂町銀杏1-13
電話番号:024-542-0555
開館時間:9:00~17:00 (1〜3月は9:00〜16:00)
定休日:年中無休 (1・2月は火曜日定休)
入館料金:一般・大学生950円 高校・中学生700円
他にも、石川県加賀市と佐賀県伊万里市に工藝館があります。
片岡鶴太郎の年収
片岡鶴太郎さんの年収は公表されていません。
タレントや俳優と芸能の仕事以外にも画家や書家などマルチに活動しており、全ての収入を合わせると数千万円~億の年収があるのかもしれませんね。
片岡鶴太郎の学歴
片岡鶴太郎さんが通っていた学校について調べてみました。
片岡鶴太郎の出身小学校
片岡鶴太郎さんは、荒川区立真土小学校出身です。
こちらの小学校は、1989年に統廃合のために閉校しています。
片岡鶴太郎さんは10歳の時に親に内緒で『しろうと寄席』という素人参加型のお笑い番組に応募、出演を果たしました。
何度か勝ち上がり、番組のADにアドバイスを受けながらネタを考えていたそうで、このときのADが、のちに『オレたちひょうきん族』のプロデューサーとなるフジテレビの横澤彪さんでした。
片岡鶴太郎さんは気合十分でこの番組に懸けていたものの、勝ち進んでいる途中で番組は終了しています。
片岡鶴太郎の出身中学
小学校卒業後は、荒川区立第十中学校に進学しました。
こちらの中学校も1998年に統廃合のために閉校しています。
3年時の初めには成績がビリッケツで、先生から進路を聞かれて「都立高校に行きたい」と伝えても「ムリだ」って言われるような状態だったそうです。
しかし家が裕福ではなかったためお母さんから「私立は通えない」と言われ、夏休みの1か月間で小学校6年生の教科書からやり直して猛勉強した結果、成績が上位10番に入り都立高校を受験することが出来ました。
片岡鶴太郎の出身高校
中学校卒業後は、都立竹台高等学校に進学しました。
こちらの学校の現在の偏差値は47ですが、片岡鶴太郎さんが在籍していた事は進学校でした。
高校では演劇部に所属し、3年生の時には部長を務めています。
片岡鶴太郎の出身大学
高校卒業後は、進学していません。
高校もお金がなくて私立は通えないといわれていたことから、金銭的な理由で大学に通うことを断念したのかもしれません。
まとめ
ブレイクするまでは長い下積みを送っていた片岡鶴太郎さんは、現在多くの才能を開花させ話題を集めています。
これからも片岡鶴太郎さんの才能に注目していきたいと思います。
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