俳優の梅沢富美男さんは、どんな家庭で育ったのでしょうか。
両親はどんな人で何をしていたのか、気になりますね。
今回は、そんな梅沢富美男さんの実家や家族について調べてみました。
梅沢富美男の実家は福島県?
今をときめく、超売れっ子のー‼️
— ロメオ キノ B-boy KINO【YOUTUBER(仮)】 (@BBOYKINO) November 20, 2017
梅沢富美男様から〜🎉
激励のお言葉ありがとうございます😊
12月2日と3日は『福島県』『福島市』
教育会館でロメオパラディッソ4th公演
【WARAJIBOYS〜俺たちの1番熱い夏】
チケット絶賛発売中🎟
検索は#ロメパラ#ロメオパラディッソ #梅沢富美男 pic.twitter.com/Db04kLkleW
梅沢富美男さんは、福島県福島市出身です。
小学3年生から中学生までは群馬県前橋市で生活していましたが、高校からは福島県に戻っています。
ただ実家の詳しい場所は公表されていないため、分かりませんでした。
梅沢富美男の父親
#ファミリーヒストリー
— 本宮映画劇場🎞5/28〜『ポスター番外地 野方闇市篇』開催 (@motomiyaeigeki) November 4, 2017
梅沢富美男さんご両親と館主の両親が仲良く、梅沢清氏に赤紙が来た時は、初代館主が本宮駅から清氏を見送りました。
清氏が戦争でいない間は、奥様の竹沢龍千代さんが本宮の舞台に立ち、初代館主が何かと劇団の面倒をみたのです。
本宮映画劇場103年の歴史の1ページ… pic.twitter.com/wvPIoMriGN
梅沢富美男さんのお父さんは、1939年に旗揚げした剣劇一座「梅沢劇団」の創設者である梅沢清さんです。
梅沢清さんは梅沢昇さんに頼み込み劇団に入り、「市川梅三郎」という芸名で舞台に立ち、20歳の時にスカウトされたことがきっかけで雇われ座長ながら芸名を「梅沢清」と改め、独立して梅沢清劇団を旗揚げしました。
福島市にあった新開座という大きな劇場で梅沢清劇団が公演すると、客が数珠つなぎに大勢押し寄せ、無理矢理詰め込んだら二階席が落下するほどの人気を得ていたそうです。
梅沢富美男さんが歌手として「夢芝居」を発売しヒットしていた頃、お父さんは脳梗塞で倒れて入院していたものの、枕下に梅沢富美男さんらの写真を持ち、お見舞いに来る人に自慢していたそうですよ。
梅沢富美男の母親
梅沢富美男さんのお母さんは、娘歌舞伎出身の竹沢龍千代さんです。
青森県藤崎町出身のお母さんは、幼い頃から日本舞踊を習うなど裕福だったものの、お父さんの会社が倒産したことがきっかけで生活が変わり、北海道小樽市で過ごすことになりました。
そこで公演にやってきた竹澤龍造一座に夢中になり、その後「竹澤龍千代」の名で舞台に立ち、看板役者となりました。
そして中国地方を訪れていたある日、市川梅三郎さんを紹介され、結婚したのです。
お母さんも役者だったことから、梅沢富美男さんは「(お母さんの指導は)厳しかった」と明かしていました。
梅沢富美男の兄弟や姉妹
梅沢富美男劇団
— 椋 (@RyoAoisan) January 1, 2021
私が追っかけてた時には
梅沢武生劇団#梅沢武生 #梅沢富美男
私の観た中で
この2人以上の相舞踊は無いな〜
毎年の年賀状、有難う御座います pic.twitter.com/nbYTg9Kpyl
梅沢富美男さんは、8人兄弟の7番目(五男)として誕生しました。
長男の梅沢武生さんは、1963年にお父さんから座長の地位を引き継ぎ、梅沢劇団の第2代座長に就任、2012年10月に病で舞台に立つことも難しくなっていたことから、座長職を梅沢富美男さんに譲りました。
そして2022年1月、お兄さんは天国へと旅立っています。
梅沢富美男さんはお兄さんが旅立ったことを公表し、「僕ももう71歳、あと何年舞台に出られるかわかりませんが、体力が続くかぎり、皆様に見たいと思っていただけるかぎり兄の残した劇団を守っていきたいと思います」とコメントしていました。
他の兄弟については名前や顔写真は公表されていないものの、三人が劇団員として梅沢富美男さんを支えているのだそうです。
まとめ
大衆演劇「梅沢劇団」の花形役者の父、そして娘歌舞伎出身の母の間に誕生した梅沢富美男さんは1歳の頃から舞台に立ち、役者の道を歩んできました。
今後も空の上で見守ってくれている両親やお兄さんに届くよう、役者の世界で輝き続けてほしいですね。