「芸能界のご意見番」としても知られる歌手の美川憲一さんですが、生い立ちが複雑だと話題になっています。
美川憲一さんはどんな環境で育ったのでしょうか。
今回は、美川憲一さんの実家や家族、本名、生い立ちについて調べてみました。
美川憲一の生い立ちが複雑
【昭和の食卓】美川憲一 (歌手) 昭和54年
— 萬象アカネ@レトロ (@bansho_akane) November 29, 2019
東京都港区の自宅にて、実母(左)と養母(右)との夕食風景。家で夕食をとるのは週に数日程度だが、その時は必ず二人の母と過ごす。二人は実の姉妹、それぞれ下ごしらえした夕食を持参してくれるが、不思議と同じ献立でかち合ったことは無いという。@retoro_mode pic.twitter.com/ZNUpNIUINd
1946年5月15日に誕生した美川憲一さんは、2歳の時に育ての両親に引き取られました。
そのため育ての両親を実の両親だと思っており、中学1年のときに隣に住むおばさんに『あんたの本当のお母さんは、叔母ちゃんなのよ』と言われてた際には、「この人何言ってんだろう?」と思ったそうです。
やがて2人の母から秘密が語られ全てを受け止めた美川憲一さんは、2人の母に「お金に不自由のない暮らしをさせてやりたい」という思いから芸能界に入りました。
1965年に歌手デビューし、現在も活動を続けています。
美川憲一の本名
徹子の部屋 美川憲一 | 2019年5月29日 – 19.05.29https://t.co/UwykxjbIB7#徹子の部屋 #美川憲一 #2019年5月29日 pic.twitter.com/kGrOBeZHiF
— Tetsuko’s Room (@TalkshowTetsuko) May 29, 2019
美川憲一さんの本名は「百瀬 由一 (ももせ よしかず)」さんです。
芸名の「美川」は、長野県・愛知県・三重県・岐阜県を流れる木曽川・揖斐川・長良川の3つの美しい川にちなんでつけられました。
美川憲一さん自身は愛知県・三重県・岐阜県にゆかりはなかったものの、デビュー当時のプロダクションの担当者が岐阜出身であり、「川のように息が長く、美しい歌手であるように」という意味が込められているのだそうです。
美川憲一の実家
美川憲一さんは、長野県諏訪市出身で東京都生まれです。
幼い頃は裕福ではなかったものの、家にはお手伝いさんがいたそうです。
しかし知人の借金のせいで差し押さえにあい、「赤紙が貼られた家財を触っちゃダメって言われたことを覚えているわ」と明かしていました。
実家の詳しい場所は公表されていませんが、美川憲一さんが港区立南桜小学校、港区立愛宕中学校出身ということで港区内にあったようですね。
現在は両親が亡くなっているということもあり、実家はありません。
美川憲一の産みの父親と母親
美川憲一さんの産みのお母さんは、百瀬以し子さんと言います。
百瀬以し子さんは華やかな人で、新橋のダンスホールで社交ダンスの相手役をするダンサーとして働いていたそうです。
実のお父さんは神田で会社を経営する実業家の男性で、名前や写真などは公開されていません。
百瀬以し子さんがお姉さんが汽車に乗っている時にたまたま前に座った男性が実のお父さんで、汽車の中で「妹さんは?」、「独り身なんですよ」などと会話したのをきっかけに付き合いが始まりました。
しかし実のお父さんには妻子がおり、そのことを知らなかった百瀬以し子さんは、美川憲一さんを身ごもりました。
妊娠を告げた際、実のお父さんは百瀬以し子さんに「元気な赤ちゃんが生まれるから」と流産させる薬を飲ませようとしたことがあるそうです。
ただ百瀬以し子さんはその薬を飲まなかったため、お腹は日に日に大きくなり、実のお父さんは逃亡、美川憲一さんを認知することもありませんでした。
百瀬以し子さんは美川憲一さんを出産した後に実のお父さんの家に突撃、そこで奥さんに事情を全て話すと、奥さんは「夫がこんな罪作りなことをしてごめんなさい。あなたはまだ若くてこれからの人生があるから、お互いにいがみ合うよりも、夫と別れてほしい」と頭を下げたのです。
お母さんは慰謝料を貰い、半分をお姉さんにあげ、美川憲一さんをお姉さんに託しました。
百瀬以し子さんは結核を患い、信州で療養した後、東京に戻ったそうです。
実のお父さんとは一度も会うことはなかったものの、美川憲一さんが40代の頃にフジテレビの番組『夜のヒットスタジオ』のご対面コーナーで、初対面しました。
さらに後日、実のお父さんから申し出があり赤坂の料亭で二人きりで会い、美川憲一さんは「対面に座った実父に頭を下げて謝られて。この人が本当の父親なんだ、しっかり目に焼きつけておこう」と思ったと明かしています。
その後実のお父さんは亡くなり、2006年に百瀬以し子さんも旅立ちました。
美川憲一の育ての父親と母親
美川憲一さんの育てのお母さんは、百瀬以し子さんの実のお姉さんである米子さんです。
育てのお父さんは、書道の先生をしていたそうです。
しかし美川憲一さんが小学校低学年のときに脳溢血で亡くなり、以降米子さんは180度生活を転換し、昼は保険の外交を、夜は料亭の仲居をするなどして知人の借金を返済しながら、美川憲一さんを育てました。
そんな米子さんは、1996年に亡くなっています。
美川憲一の兄弟や姉妹
美川憲一さんを育てた米子さんと育てのお父さんには、子供がいませんでした。
産みのお母さんである百瀬以し子さんも美川憲一さんを出産した後に子供を授かったなどの話が出ていません。
ただ美川憲一さんの実のお父さんには子供がいるため、異母兄弟はいます。
まとめ
2人のお母さんと共に暮らしていた美川憲一さんは、「2人の母が、“いろいろ苦労があったけど、あんたのおかげで贅沢させてもらって、人生幸せだったわ、ありがとう”と言ってくれたの。親孝行できたから、悔いはない」と話していました。
これからも天国で見守ってくれている両親に届くよう、芸能界で輝いていてほしいですね。