元サッカー選手の久保竜彦さんは、現在山口県で塩づくりやカフェを行っています。
何故、山口県で第二の人生を歩むことにしたのでしょうか。
今回は、久保竜彦さんの経歴や出身学校、現在の暮らしなどについて調べてみました。
久保竜彦は山口県で塩作りやカフェをやっている
久保竜彦「伸二、塩作りはいいぞー。沖縄で塩作ってみないか」 pic.twitter.com/nKGQ0zshQH
— ショージ・ベスト (@BOWBOW12204755) December 25, 2020
久保竜彦さんは、サッカー選手引退後、山口県光市にある離島「牛島」で塩作りの取り組み、カフェ経営を行っていながら、全国各地でサッカー教室の講師としても活動しています。
ネット上では、元サッカー選手の第二の人生に「凄い」、「行ってみたい」などという声が聞かれています。
久保竜彦はなぜ山口県に?
久保竜彦さんが、山口県光市室積に惹かれたのは「自然の豊かさ」でした。
都会暮らしになじめなかった久保竜彦さんは、元々「いつかは気持ちいい場所で生活したい」という希望を持っていたそうです。
そのため福岡や宮崎にも場所を探しに行ったこともあるものの、希望の場所が見つけられずにいた時、山口県でサッカー教室を行っている時に知り合った株式会社国際貿易の重岡敬之さんと出会いました。
そして牛島のことを教えてもらい、
「本当に気持ちのいい場所で、チャンスがあればここに来たいと素直に思った」
引用元:REALSPORTS
という久保竜彦さんは、移住を決めたのでした。
久保竜彦のカフェや自宅
久保竜彦さんは、2018年6月に山口県光市に引っ越しました。
自宅の場所は公開されていませんが、市内の「室積BASE」ではカフェを開いています。
ドラゴン久保竜彦さんのコーヒー屋に行ってきました!!
— 柳 ひろき (@hirokki1101_yng) August 13, 2022
やべっちFCとかで見てた人が目の前にいて嬉しかったです。 pic.twitter.com/UqyQzlNhIo
店名:ドラゴンカフェ
住所:山口県光市室積2丁目10-5
営業時間:9:00~17:00
定休日:不定休 (不定期出店で営業)
お店では、ファンや近隣住民の憩いの場となっていて、自家焙煎コーヒーのほか、デザートなども販売しています。
コーヒー豆の選定や焙煎をすべて久保竜彦さんが行っており、「コーヒーに塩を入れると味がマイルドになると好評」だと話していました。
久保竜彦プロフィールや経歴
名前:久保竜彦
生年月日:1976年6月18日
出身地:福岡県
血液型:A型
身長:181cm
1995年にサンフレッチェ広島へ加入した久保竜彦さんは、1998年には広島のエースとして定着、さらに日本代表にも選ばれ、同年10月の対エジプト戦に初選出初キャップを飾り、以降もアジアカップなど度々選出されました。
2002年末、広島はJ2に降格したことをきっかけに移籍を決意、2003年に横浜F・マリノスへ移籍すると一気にブレイク、Jリーグにおいて群を抜く攻撃力を示し年間優勝に貢献し、功績を評価されて日本年間最優秀選手賞を受賞しています。
2004年2月18日の2006 FIFAワールドカップ・アジア予選のオマーン戦では、途中出場ながら引き分け濃厚な後半ロスタイムに、勝ち越しゴールを奪い勝利に貢献しました。
2008年に古巣・広島へ6年ぶりに復帰するも、2010年にツエーゲン金沢へ完全移籍。
2012年に金沢退団した後は移籍先を探すことになり、JFL、県地域リーグ、タイのクラブなどからオファーがあったものの、現役引退を決断したのでした。
久保竜彦の学歴
久保竜彦さんが通っていた学校について調べてみました。
久保竜彦の出身小学校
出身小学校は公表されていません。
2年生までは野球をやっていた久保竜彦さんでしたが、左手小指を切断する寸前の重傷を負い、グローブをはめられなくなったことがきっかけでサッカーを始めました。
久保竜彦の出身中学
出身中学校も公表されていません。
中学入学後もサッカーを続けていましたが、当時の久保竜彦さんに誰もサッカーの基礎を教えてくれることはなかったそうです。
久保竜彦の出身高校
中学卒業後は、筑陽学園高等学校に進学しました。
偏差値は、46~49です。
高校でもサッカーを続け、ポジションは左MFでした。
2年の時には高校選手権福岡県決勝に進出、さらに福岡県選抜として国体に出場したこともありました。
大学からの推薦の話もありましたが、家計が厳しく進学は諦め、テストを受けてサンフレッチェ広島に入団しました。
久保竜彦の伝説がやばい!
久保竜彦さんは、数々の伝説を持っているといわれています。
どんな伝説なのか、調べてみました。
久保竜彦の伝説①クラブから「話し方講座」受講をすすめられる
試合中以外は基本的に寡黙・謙虚である久保竜彦さんは、どんな質問でも「よかったです」「嬉しかったです」などと答えるため、インタビュアー泣かせの選手として知られていました。
また「将来の夢は?」と聞かれて「トラックの運転手になりたいっす」と答えたり、「2002年W杯の代表になりたいとかは?」と聞かれ「1999年に世界の終わりが来るのでそんな先の事は…」と発言したこともあります。
そんな久保竜彦さんに対し、所属していたクラブから「話し方講座」受講を勧められたことがあるそうです。
久保竜彦の伝説②トラップするのがめんどくさいからスーパーボレーでゴール
2007年3月3日、浦和レッズvs横浜FCとの開幕戦で久保竜彦さんはスーパーボレーでゴールするという技で試合を盛り上げました。
しかしこれは、「トラップするのがめんどくさい」という理由で行ったことだったそうですよ。
まとめ
日本代表にも選出され、サッカー界を盛り上げていた久保竜彦さんは、引退後もサッカーと関わりながら塩つくりやカフェ経営など新しいことにもチャレンジしています。
これからも久保竜彦さんの挑戦に注目していきたいですね。