落語家としての確かな話芸はもちろん、バラエティ番組やドラマ、映画でも活躍し、幅広い世代から愛されている笑福亭鶴瓶さん。
現在の温厚で親しみやすいイメージとは裏腹に、若い頃はアフロヘアにオーバーオールという個性的なスタイルで活動していたことをご存知でしょうか?
そんな鶴瓶さんは、どのような学校に通い、いつから落語家としての道を歩み始めたのでしょうか。
また、本名や年収、学生時代のエピソードなども気になるところです。
そこで今回は、笑福亭鶴瓶さんの若い頃のファッションや本名、出身中学・高校・大学、さらに気になる年収についても徹底調査!
彼の意外な一面やこれまでの歩みを深掘りしてみました。
若い頃はアフロヘアでオーバーオール!
今日からオーバーオール型作業着のパートさんが鶴瓶感全快で癒されまくり😊 pic.twitter.com/H0BiZFwST4
— (ネジ) (@cure_the_blues) March 25, 2020
笑福亭鶴瓶さんは、若い頃に「アフロヘアにオーバーオール」というユニークなスタイルで活動していました。
今の穏やかな雰囲気とはまったく異なり、個性的なファッションがトレードマークだったのです。
このスタイルを選んだ理由は、「落語家の古臭いイメージに対する反発」だったそうです。
当時の落語界は、和服姿で髪を短く整えるのが一般的。
しかし、鶴瓶さんはあえてその伝統に逆らい、自由なファッションを貫きました。
このアフロヘアには、師匠である6代目笑福亭松鶴さんや、3代目桂春団治さんから何度も「髪を切れ」と言われるほど。
当時の落語界では異例のヘアスタイルだったため、周囲からの圧力も相当なものだったようです。
実際に、「金をやるから切ってくれ」とお金を渡されたこともあったとか。
しかし、鶴瓶さんはその申し出を断り、自分のスタイルを貫き続けました。
そんな彼がアフロをやめたのは、30歳のとき。「みんなが喜ぶやろう」と思い、ついに長年のトレードマークを卒業しました。
落語家としての地位も確立し、見た目よりも実力で勝負できるという自信がついたのかもしれませんね。
現在の親しみやすい雰囲気とは違い、若い頃はかなり型破りなスタイルだった鶴瓶さん。
そんな自由奔放な精神こそが、落語界の枠を超えて幅広く活躍する今の姿につながっているのかもしれません。
笑福亭鶴瓶のプロフィールや経歴
名前:笑福亭鶴瓶
生年月日:1951年12月23日
出身地:兵庫県
血液型:O型
身長:173cm
所属事務所:デンナーシステムズ
高校時代から落語家を志していた笑福亭鶴瓶さんですが、父親の反対を受けて大学に進学しました。
しかし、落語への思いを捨てきれず、大学2年生のときに中退。
当初は3代目笑福亭仁鶴さんに弟子入りを考えていましたが、観覧した落語会で6代目笑福亭松鶴さんの口演に衝撃を受け、「この人に学びたい」と決意。
1972年2月14日、笑福亭松鶴さんの11番弟子として入門しました。
同年9月26日には島之内寄席で初舞台を踏み、本格的に落語家としてのキャリアをスタートさせます。
その後、舞台以外にも活躍の場を広げ、近畿放送の『丸物ワイワイカーニバル』で注目を集めると、ラジオやテレビの仕事が増えていきました。
特に、関西で放送された伝説の深夜ラジオ『ぬかるみの世界』や、テレビ番組『突然ガバチョ!』は大ヒットし、一気に全国区の人気者となります。
1987年には、『森田一義アワー 笑っていいとも!』のレギュラーに抜擢され、全国的な知名度を獲得。
その後も、『ザ!世界仰天ニュース』『鶴瓶の家族に乾杯』『A-Studio+』など、現在に至るまで多くの番組でMCを務めています。
また、俳優としても精力的に活動し、1976年にドラマや映画デビュー。
2009年には映画『ディア・ドクター』で主演を務め、日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞しました。
演技力も高く評価され、ドラマや映画での存在感も際立っています。
現在、落語家としては上方落語協会相談役を務めるなど、伝統芸能の継承にも尽力。
バラエティ、司会業、俳優業とマルチに活躍しながら、今も多くの人に笑いと感動を届け続けています。
笑福亭鶴瓶の本名
笑福亭鶴瓶さんの本名は「駿河学(するが まなぶ)」さんといいます。
現在の芸名とは大きく異なりますが、落語家としてのキャリアをスタートする際に、師匠である6代目笑福亭松鶴さんから「笑福亭鶴瓶」の名前を授かりました。
「鶴瓶」という名前の由来には、いくつかの説があります。
1つ目の説は、師匠から「鶴之(つるゆき)」と「鶴瓶」のどちらかを選ぶように言われたというもの。
当時、鶴瓶さんは「どっちでもいいです」と答えたところ、「じゃあ鶴瓶にしよう」と決まったそうです。
2つ目の説は、「お前は、井戸のつるべ(釣瓶)のタガが抜けたみたいな性格をしている」と師匠に言われたことが由来になったというもの。
「タガが抜ける」とは、勢いが止まらなくなったり、型にはまらない自由な性格を指します。
確かに、若い頃の鶴瓶さんは型破りなキャラクターで知られ、師匠の目から見ても「ちょっと変わった弟子」だったのかもしれません。
結果的に、「鶴瓶」という芸名は彼のユニークな個性とぴったり合い、今では日本中に親しまれる名前となりました。
もしかすると、師匠は鶴瓶さんの将来を見越して、この名前を選んだのかもしれませんね。
笑福亭鶴瓶の所属事務所
笑福亭鶴瓶さんは、現在「デンナーシステムズ」に所属しています。
この事務所は、1999年に元・松竹芸能の社員であり、鶴瓶さんのマネージャーを務めていた方が設立したものです。
そのため、長年の信頼関係があるスタッフとともに活動を続けていると考えられます。
ただし、デンナーシステムズがメインのマネジメントを担当しているものの、鶴瓶さん自身は長年所属していた「松竹芸能」にも籍を残しているとされています。
これは、落語家としての活動を大切にしながら、タレント・俳優業など幅広い分野で自由に活動するための形とも言えるでしょう。
また、デンナーシステムズは鶴瓶さんの個人事務所に近い形態であり、公式ホームページも鶴瓶さんを中心とした内容になっています。
そのため、芸能活動のほぼすべてをこの事務所が管理していると考えられます。
長年にわたり、落語家・タレント・俳優として第一線で活躍し続ける鶴瓶さん。
彼がのびのびと活動できるのは、信頼できるマネジメント体制があるからこそなのかもしれませんね。
笑福亭鶴瓶の年収
笑福亭鶴瓶さんの年収は公表されていませんが、その活躍ぶりを考えると、億を超えている可能性が高いと言われています。
現在もテレビでは、
- 『ザ!世界仰天ニュース』
- 『鶴瓶の家族に乾杯』
- 『A-Studio+』
など、複数の人気番組でMCを務めており、出演本数やギャラを考えると相当な額になることが予想されます。
さらに、ドラマや映画にも出演し、俳優としても活躍。2009年の映画『ディア・ドクター』では主演を務め、日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞するなど、高い評価を受けています。
また、落語家としても全国各地で独演会を開催しており、チケットの売り上げやDVD・配信などの収益も見込まれます。
さらにCM出演も多数あり、過去には「日清食品」「サントリー」「アフラック」などの大手企業の広告にも登場。
CM出演のギャラは1本あたり数千万円とも言われており、こうした仕事が積み重なれば、年収は軽く数億円に達している可能性もあります。
落語家としての伝統を大切にしながら、テレビ・映画・CMと幅広く活躍する鶴瓶さん。
これだけの仕事量を考えると、芸能界でもトップクラスの高収入であることは間違いなさそうですね!
笑福亭鶴瓶の学歴
笑福亭鶴瓶さんが通っていた学校について調べてみました。
笑福亭鶴瓶の出身小学校
笑福亭鶴瓶さんは、大阪市立長吉小学校出身です。
小学生の頃、登校途中に近所の男性に競馬場に誘われた笑福亭鶴瓶さんは、適当に指名した馬券を男性が購入した所、それが的中し約40万円の払戻金を貰ったそうです。
しかしお母さんにそのお金が見つかり大事に発展、40万円という大金はその後実家の増築資金になったのでした。
笑福亭鶴瓶の出身中学
小学校卒業後は、大阪市立長吉中学校に進学しました。
中学生の頃、2代目桂伸治さんが演じる「堀の内」に魅せられ、落語に興味を持ちました。
学校の教室で手作りの高座を用意し我流の「堀の内」を演じていたそうです。
笑福亭鶴瓶の出身高校
中学校卒業後は、浪速高等学校に進学しました。
現在の偏差値は50~65ですが、当時は40台ほどだったといわれています。
高校ではボクシング部にも所属したものの、先輩からの打撃で目を痛め退部しました。
その後、落語研究会を立ち上げ、当時は「浪花亭無学」の高座名を名乗っていました。
笑福亭鶴瓶の出身大学
高校卒業後は、京都産業大学に進学しました。
笑福亭鶴瓶さんは経済学部に在籍、現在の偏差値は48です。
大学では当時出来たばかりの落語研究会に所属、「童亭無学 (どうてい むがく)」を名乗っていました。
2年生の時に中退し、落語家の道を歩み始めました。
まとめ
高校時代からの夢を叶えた笑福亭鶴瓶さんは、落語家としての実力はもちろんのこと、俳優やタレントとしても注目を集めています。
これからも多くの人を楽しませてほしいですね。