大竹しのぶさんといえば、年齢を感じさせない柔らかな雰囲気と確かな演技力で、長年にわたり第一線で活躍してきた女優さんです。
そんな大竹さんの若い頃の姿に、あらためて「かわいすぎる…!」と注目が集まっています。
その一方で、「どんな学校に通っていたの?」「芸能界入りのきっかけは?」といった学歴や学生時代のエピソードが気になる方も多いのではないでしょうか。
この記事では、大竹しのぶさんの出身高校や大学をはじめ、若い頃のエピソードや所属事務所、年収にまつわる情報までを深掘り。
ファンならずとも知っておきたい素顔に、少しずつ迫っていきます。
大竹しのぶの学歴
大竹しのぶさんは、東京都品川区で生まれています。
その後父親が病気を患ったことから、一時期埼玉県入間郡に住んでいました。
大竹しのぶさんが卒業した学校について、ご紹介していきましょう。
大竹しのぶの出身小学校
出身小学校は、毛呂山町立毛呂山小学校です。
生まれは東京都ですが小学校1年生の時に父親が結核を患ったことにより、埼玉県に引っ越しました。
毎年学級委員に選ばれていた大竹しのぶさんは、とても優秀だったそうです。
小学校1年生の時に学芸会で演じたことがきっかけで、将来は舞台女優になりたいという夢を見つけることになりました。
大竹しのぶの出身中学
中学校は埼玉県にある毛呂山中学校を卒業しています。
田舎道を片道1時間をかけて通学していたそうで、中学校では体操部に所属していました。
特に床運動が得意だったそうです。
中学校3年生で、出身場所の東京都に戻り、東京の中学校に通っていました。
大竹しのぶの出身高校
出身高校は、東京都立小岩高等学校です。
現在の偏差値は50、当時は偏差値58でした。
高校時代はバレーボール部に所属していました。
テレビなどで運動をしているイメージはあまりないですが、運動は得意のようです。
大竹しのぶの出身大学
高校卒業後、東京都にある桐朋大学短期大学部演劇専攻科に進学しました。
現在は、桐朋芸術短期大学という名称に変わっています。
偏差値は、44です。
当時既に芸能界で活躍していた大竹しのぶさんは、芸能活動が忙しくなったため大学を中退しました。
大竹しのぶの若い頃がかわいい!
10代から芸能活動を始めた大竹しのぶさんは、当時から独特の存在感と透明感で視聴者の心をつかんできました。
特にNHKの朝ドラ『水色の時』(1975年)に主演した際の姿は、今もなお印象的だったと語るファンが多く、SNS上でも「当時のセリフを今でも覚えている」「とにかく可愛かった」といった声が投稿されています。
本日話題の「品性下劣」という言葉を知ったのはNHK連続テレビ小説「水色の時」(1975年4月スタート)で大竹しのぶさんの「品性下劣よ、信じられないわ!」ってセリフを聞いてから…何故かずっと覚えてる😙 pic.twitter.com/UVE3A4ONht
— タカミヤヒロフミ (@newxplora) March 25, 2021
ひなた編 1975年連続テレビ小説「水色の時」主演は大竹しのぶ pic.twitter.com/bfnm0izW0s
— Barira (@Baribari1104) January 31, 2022
若い頃の大竹しのぶ
— パド (@padopado39) June 5, 2021
めっちゃ可愛くない??#徹子の部屋 pic.twitter.com/jq1geIw5pL
若い頃の大竹しのぶ凄く可愛い😆 pic.twitter.com/Gf3xhHgpTp
— スグル (@kingsuguru96) January 12, 2023
はつらつとした表情と、どこか儚げな雰囲気が同居するような佇まいは、まさに唯一無二。
美少女的な可愛らしさというより、芯の強さと知性を感じさせる“凛とした魅力”が際立っていました。
そんな若い頃の写真がいまでもSNSなどで話題になるのは、それだけ大竹さんの若さが多くの人の記憶に残っているからでしょう。
そして興味深いのは、年齢を重ねた現在も、当時の魅力をそのままに、大人の品格と色気をまとうようになったことです。
演技の中で見せる表情の幅や声のトーンには、若い頃の繊細さに加え、豊かな人生経験がにじみ出ています。
まさに“若さが可愛さのピークではない”ということを体現している女優のひとりといえるかもしれません。
大竹しのぶは若い頃にヌード写真集も
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大竹しのぶさんの女優としてのキャリアには、可憐なヒロインから濃密な人間ドラマまで、幅広い役柄があります。
中でも、1993年に刊行された写真集『闇の光』は、当時大きな話題を呼びました。
撮影を手がけたのは、著名な写真家・篠山紀信さん。タイトルが示すように、光と闇を対比させたような芸術的な世界観が特徴で、大竹さんの身体表現と内面性が見事に映し出されています。
この写真集の発表に先立つ1992年には、映画『死んでもいい』で大胆なラブシーンにも挑戦しており、当時のインタビューでは、女優としての覚悟や役への没入について語る姿も見られました。
話題性ばかりが取り上げられがちですが、あくまで表現者として作品と真摯に向き合ってきた姿勢の延長線上にあったのがこの写真集です。
大竹しのぶさんにとって“魅せる”ことは決して表層的な美しさだけではなく、人間の内側に潜む感情や孤独までも含めて演じきること。
だからこそ、あの一冊は単なるセクシャルなグラビアではなく、彼女のキャリアの中でも重要な“表現の一形態”として位置づけられています。
今なお中古市場で根強い人気を誇っていることからも、多くの人にとって記憶に残る作品だったことがうかがえます。
大竹しのぶのプロフィールや経歴
生年月日:1957年7月17日
出身地:東京都
身長:158㎝
血液型:A型
大竹しのぶさんは10代で芸能界デビューをして以降、様々な名作に出演してきました。
小学校の学芸会で演じたことをきっかけに、女優を目指すことになった大竹しのぶさんは高校1年生の時に、ドラマの一般公募に応募します。
そして「ボクは女学生」というドラマの主役の相手役として、見事合格した大竹しのぶさんは、この作品をキッカケに芸能界で活動することになりました。
そして高校3年生で、NHKの連続テレビ小説「水色の時」のヒロイン役として抜擢され、一気に知名度をあげます。
当時、大竹しのぶさんが朝ドラのヒロイン役として、最年少記録を更新したことでも話題になっていました。
そして女優活動だけでなく、1976年には歌手デビューを果たします。
テレビの人気子供向け番組の『ひらけポンキッキ』の主題歌である『かまっておんど』を歌うなど、可愛いアイドル歌手としても注目を集めることになりました。
その後も、ミュージカル『にんじん』では、還暦にして14歳の少年役を演じるなど、大竹しのぶさんは現状に満足することなく挑戦をし続けます。
中居正広さんが司会を務めている『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』では、長らくレギュラーメンバーとして活躍している印象も強いのではないでしょうか。
大竹しのぶさんが還暦を迎えた2017年には、番組内で還暦を盛大にお祝いされていました。
またプライベートでも豪華な方々にお祝いされている様子がSNSで投稿されています。
還暦祝いでパーティーが開かれていたのですが、芸能界の層々たる方たちが参加するなか、元旦那である明石家さんまさんも参加していました。
長い芸能活動の中で大竹しのぶさんがたくさんの方たちに愛されていることが分かりますよね。
若い頃には身体を張った大胆な演技でも話題となっていた大竹しのぶさんは、現在ベテラン女優ながらもおちゃめで可愛いらしい雰囲気がとても魅力的です。
いつまでも若々しい大竹しのぶさんは、これからも新たな演技に挑戦されながら女優として活躍を続けていかれることでしょう。
大竹しのぶの所属事務所
大竹しのぶさんが所属しているのは、「エスター」という事務所です。
この事務所はもともと、大竹さんの芸能活動を支えるために立ち上げられた個人事務所で、長年にわたり舞台・テレビ・映画と幅広く活躍する大竹さんのマネジメントを一手に担ってきました。
エスターは単なる管理機関ではなく、大竹さんの活動スタイルや価値観を大切にした“信頼関係の土台”のような存在でもあります。
大手事務所に所属する芸能人が多い中で、あえて個人事務所を選んで活動している点にも、大竹さんの芯の強さや独立した姿勢がにじんでいるように感じられます。
また、この事務所には家族も関わってきた経緯があります。娘でタレントのIMALUさんは、芸能界デビュー当初は母と同じくエスターに所属していました。
ただ、音楽活動により特化した環境を求めた結果、2013年に別の事務所に移籍。
その後もアーティストとして自身のスタイルを模索しながら、活動の幅を広げています。
さらに注目すべきは、息子の二千翔さんの存在です。
かつてはIMALUさんと大竹さんのマネージャーを務め、裏方として現場を支えていたことでも知られています。
その後、エスターの代表取締役副社長というポジションに就任し、マネジメント全体を統括する立場として関わっているようです。
大竹さんの活動を家族が実務面でも支えているという点は、芸能界でも珍しい形かもしれません。
こうした家族ぐるみの体制は、プライベートと仕事を無理なく調和させる工夫のひとつとも受け取れます。
大竹しのぶさんの自然体で揺るがない表現力の背景には、こうした信頼できる環境があるのかもしれませんね。
大竹しのぶの年収
大竹しのぶさんは10代で芸能界入りして以降、舞台・映画・テレビと多彩なフィールドで活躍を続けてきた実力派の女優です。
1992年には映画作品で『キネマ旬報ベスト・テン』の最優秀主演女優賞を、2003年には『モスクワ国際映画祭』で最優秀女優賞を受賞するなど、国内外から高い評価を受けてきました。
そんな輝かしいキャリアをもつ大竹さんの年収については、明確な金額が公表されているわけではありませんが、その活動内容や立ち位置からある程度の推測は可能です。
まず、大竹さんは現在「エスター」という個人事務所に所属しており、出演交渉や契約に関しても事務所を通さず柔軟に動ける体制をとっています。
これにより、出演料やイベント出演の報酬なども自由度の高い契約ができる環境にあります。
舞台女優としても非常に評価が高く、主役を務めることも多いため、1ステージあたりの出演料は高額になる傾向があります。
仮に1回の舞台出演で40万円前後と仮定し、20回以上のロングラン公演となれば、それだけで800万円を超える計算になります。
そこに映画・ドラマ出演やナレーション、バラエティ番組、CM契約などを加えると、年収1,000万円台にとどまらず、2,000万円を超える可能性も十分考えられるでしょう。
さらに大竹さんは歌手としても活動しており、ライブやCDリリース、テレビでの音楽披露などにも出演しています。
こうしたマルチな展開を続けている点を踏まえると、単なる「ベテラン女優」ではなく、ジャンルを横断して稼働する“芸能界のプロフェッショナル”としての一面も見えてきます。
一部メディアでは、プライベートでのエピソードとして、元夫・明石家さんまさんが「しのぶさんの収入には関与せず、金額も知らなかった」と語っていたことが紹介されたこともありました。
これは、大竹さんが自立した女優として収入面でも自身でしっかり管理していたことを示す一幕として受け止められています。
現在もなお第一線で活躍を続ける大竹しのぶさん。
作品ごとに異なる役柄に命を吹き込みながら、着実にキャリアと収入を積み上げている姿には、業界内外からの信頼と敬意が寄せられているようです。
まとめ
大竹しのぶさんの学歴や若い頃のエピソード、そして現在の活動状況について振り返ってみると、長年にわたり第一線で活躍し続けてきた理由があらためて見えてきます。
高校時代から演技の世界に身を投じ、実力と存在感を磨きながら歩んできたキャリアは、まさに唯一無二といえるでしょう。
若い頃の可憐な姿に惹かれた方も、現在の大人の魅力に心を奪われた方も、それぞれの時代における大竹さんの変わらぬ芯の強さに共感を覚えたのではないでしょうか。
個人事務所での活動や家族との関係性、舞台や映像での表現力の幅広さなど、どの面から見ても奥深い魅力にあふれています。
これからも、年齢を重ねるごとに増していく表現力と存在感に注目していきたいですね。
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