記事内にPRが含まれています。

七海ひろきの事務所や退団理由は?年齢や本名・実家についても調査!

女優
スポンサーリンク

元宝塚歌劇団星組の男役スターである七海ひろきさんは、俳優や声優、歌手として活動をしています。

今回は、七海ひろきさんの経歴や宝塚を退団した理由について紹介します。

七海ひろきの所属事務所

宝塚を退団した七海ひろきさんは、現在「アンドステア」という事務所に所属しており、歌手としての所属レーベルは「キングレコード」です。

「アンドステア」という事務所は大手の芸能事務所ではありませんが、映画、ゲーム、アニメやマンガなどの企画やプロデュースなども数多く手掛けています。

七海ひろきさんが俳優やラジオパーソナリティーなど幅広い分野で活動しているところをみると、かなり所属タレントを売り込んでくれる事務所のように感じますね。

七海ひろきが宝塚を退団した理由

2019年3月24日、「霧深きエルベのほとり/ESTRELLAS」の東京公演千秋楽をもって、七海ひろきさんは宝塚歌劇団を退団しました。

2003年から16年在籍していた宝塚を退団した理由について七海ひろきさんは、「自分のこれまでの宝塚人生や今後を考えた結果」であることを明かしています。

星組の男役スターとして活動していた七海ひろきさんは、いつかは辞めなければいけないと考えたとき「ファンの方たちに見せたい男役の姿の時に終わりにしたい」と思いました。

「最後にどういう風に皆さんに七海ひろきの背中を見せたいか」というのを考え、それが今だなと感じたことから宝塚の退団を決意したそうです。

周りのことも考え退団を決意した七海ひろきさんは、素敵ですね。

七海ひろきのプロフィールや経歴

名前:七海ひろき
生年月日:1984年1月16日
血液型:O型
出身地:茨城県
身長:173.5cm
趣味:読書、アニメ鑑賞、万年筆のショーケースを眺めること
特技:水泳
所属事務所:アンドステア

小学6年生の時にテレビで宝塚歌劇団月組公演の『風と共に去りぬ』を見て天海祐希さんのファンになり、『ME AND MY GIRL』を観劇してから宝塚受験を決意、2001年に宝塚音楽学校に入学しました。

2003年に宝塚歌劇団89期生として入団し、月組公演『花の宝塚風土記/シニョール ドン・ファン』で初舞台を踏み、その後宙組に配属されます。

2009年には大和悠河さんと陽月華さんのトップコンビ退団公演『薔薇に降る雨』で新人公演初主演を務めました。

2013年、『the WILD Meets the WILD』で、蓮水ゆうやさんとバウホール公演ダブル主演を務め、『風と共に去りぬ』ではヒロインを朝夏まなとさんと役替わりで演じました。

2015年に星組に組替えすると、2017年に『燃ゆる風』でバウホール公演単独初主演を果たします。

2019年の宝塚退団後は、いばらき大使に就任したり、アニメ『ソマリと森の神様』や、『うちタマ?!~うちのタマ知りませんか?~』などで声優を務めています。

七海ひろきの本名

七海ひろきさんは芸名です。

本名は公表されていませんが、噂によると「海津久美子」さんだそうです。

芸名については、家族で覚えやすい名前を考え、好きだったテレビアニメ『七つの海のティコ』と本名の漢字で使いたかった「海」から「七海」、「七つの海の広大なイメージ」から「ひろき」とつけられました。

七海ひろきの実家や高校

七海ひろきさんは茨城県出身で、実家は今も茨城県水戸市にあるようです。

そして高校は、茨城県立水戸第二高等学校に通っていました。

中学生の頃から宝塚に入るためのスクールに通っていた七海ひろきさんは、両親から「学業の成績が落ちたら宝塚を受験させない」といわれていたため、宝塚に入るという夢を叶えるために学業も手を抜かず必死に頑張っていたそうです。

その努力が実り、七海ひろきさんは高校2年生のとき、2度目の受験で見事合格しました。

まとめ

七海ひろきさんは、宝塚を退団したばかりということでまだテレビドラマや映画に出演したことがありませんが、今後出演する可能性は十分あると思います。

宝塚で披露していた演技をテレビでも早く見たいですね。

トップ画像引用元:Twitter

元宝塚の人についてはこちらも↓↓

真矢ミキの身長などのプロフィールは?旦那や子供についても調査

貴城けいに子供はいるのか?宝塚トップ就任後すぐの退団理由について調査

女優
スポンサーリンク

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました