押切もえさんといえば、CanCamやAneCan時代から”憧れのモデル”として名前を挙げる人が多い存在ですよね。
実は2013年に小説家デビューを果たし、最近はジュエリープロデュースやメディア出演など活動の幅がますます広がっています。
そんな押切もえさんがどんな学校で青春を過ごし、どんな経験を積んできたのか気になる人も多いのではないでしょうか。
学生時代の転校エピソードや、芸能活動との両立で悩んだ時期の話は、知れば知るほど”努力で道を切り開いてきた方なんだな”と感じさせます。
また、身長・年齢といった基本的なプロフィールから、現在の所属事務所、そして気になる年収の話まで、押切もえさんの「今と昔」を丁寧に整理してみると見えてくるものも多いはずです。
読みながら自然と応援したくなるような歩みが詰まっています。
押切もえの学歴
押切もえさんの学歴には、モデルとして活躍する前の”素の姿”が自然と表れているように感じます。
幼い頃から真面目な性格で、部活や習い事にもコツコツ取り組むタイプだったそうです。
学生時代の途中で芸能活動とのバランスに悩む時期もありましたが、その経験が今の芯の強さにつながっているのかもしれませんね。
進路を選ぶ場面でも自分の感覚を大切にしていて、その決断力が押切もえさんらしさを作っている印象です。
押切もえの出身小学校
押切もえさんは、松戸市立梨香台小学校に通っていました。
1986年の入学から6年間をここで過ごし、幼い頃はとても人見知りで静かなタイプだったと明かしています。
とはいえ、ただ大人しいだけではなく、新体操を習っていたことで毎日のように身体を動かし、コツコツ練習を積み重ねる努力家な一面もありました。
押切もえさんは当時の自分について、「真面目で練習を休まない子どもだった」とInstagramで触れていて(2025-11-17確認)、この頃に身についた基礎体力や集中力が、後のモデル活動にもつながった印象です。
教室では控えめでも、好きなことに対しての姿勢はまっすぐで、先生にも評価されていたそうです。
また、お父さんやお母さんからのサポートも大きかったようで、送迎や習い事の環境づくりなど、家族の温かな関わりが押切もえさんの土台になっています。
いまの芯の強さは、子ども時代のこうした環境が自然に育ててくれたのかもしれませんね。
押切もえの出身中学
押切もえさんは、私立昭和学院中学校に通っていました。
小学6年生の頃にはすでに新体操に夢中で、「もっと本格的に取り組みたい」という気持ちから、この学校を自ら選んで受験したといいます。
実は、昭和学院中学校は新体操に力を入れていることで知られていて、押切もえさんにとっては理想的な環境だったんですよね。
中学生になっても練習への姿勢は変わらず、放課後は部活にほとんどの時間を使うほど熱心だったそうです。
その一方で、思春期らしい悩みもあったようで、後年のインタビューでは「自分に自信が持てない時期でもあった」と振り返っています。
けれど努力を続けることだけはやめず、仲間とのつながりにも支えられながら3年間を乗り越えました。
ちなみに昭和学院は中高一貫校のため、多くの生徒はそのまま高校へ進学します。
押切もえさんも一度は内部進学の道を選びましたが、この選択が後のモデル活動とのバランスに大きく影響していきます。
この”分岐点”が訪れるのが高校時代で、押切もえさんの人生にとって大きな転機になっていくのが印象的です。
押切もえの出身高校
押切もえさんは、昭和学院高校へ内部進学しました。
しかし、当時モデル活動を始めていたため、芸能活動禁止の校則違反となり、退学処分となってしまいました。
そのため、一年遅れで千葉県立市川西高等学校(現在は市川昴高等学校)に入学しました。
ここで1学年遅れからの再スタートとなりました。
本人は「半年間ひたすら受験勉強をしていた」と振り返っていて、当時の必死さが伝わってきます。
この頃の押切もえさんは、校内でも”スーパー高校生”と呼ばれるほど存在感があり、ギャルブームを牽引するポジションに近づいていた時期でもあります。
市川西高校には同じく人気を集めていた生徒が多く、アナウンサーとして活躍する西尾由佳理さんも在籍していたことで知られています。
学校生活は派手に見えつつも、撮影や締め切りに追われ、一般的な高校生とはまた違う忙しさの中で成長していった印象です。
芸能との両立で悩みながらも、自分の進みたい道を選び直した高校時代は、押切もえさんの”芯の強さ”が形づくられた大切な時期だったと感じます。
押切もえさんの出身大学
押切もえさんは高校卒業後、大学には進学していません。
当時すでに読者モデルとして多くの雑誌に登場し始めていて、撮影やイベントのスケジュールが増え続ける中、「このまま仕事に全力で向き合いたい」という気持ちが強くなっていったそうです。
進学しないという選択は簡単ではなかったと思いますが、押切もえさん自身は「なんとなく大学へ行くより、自分の直感を信じたかった」と振り返っています。
高校時代は「努力しない自分が嫌いだった」と語る押切もえさんですが、その後の姿を見ると、決断した瞬間から一気にスイッチが入ったようにも感じます。
CanCamで大ブレイクするのは少し先の話ですが、この”大学へ進まずモデル業に専念する”という判断が、結果的にトップモデルとしての道を切り開くきっかけになったのは間違いありません。
また、大学に行かなかったことで自由な時間が生まれ、小説や絵画といった表現活動にも触れる機会が増えたと語っています。
2013年には小説家デビューも果たし、後に画家としての活動やブランドコラボへと広がっていくので、学生時代の選択が現在の幅広い才能につながっている印象です。
押切もえさんにとって”大学へ行かない”という選択は、消極的ではなく前向きなスタートだったのだと感じられるエピソードですね。
押切もえのプロフィールや経歴
押切もえさんは、1979-12-29生まれの千葉県出身。
身長169cmで、血液型はA型です。
10代の頃から”ギャルブーム”の象徴として注目され、1996年に『Popteen』で読者モデルとして活動をスタートしました。
当時は学校との両立に苦労しつつも、撮影の合間に受験勉強をするなど地道な努力を重ねていたそうです。
名前:押切もえ
生年月日:1979年12月29日
血液型:A型
身長:169cm
出身地:千葉県
高校卒業後は本格的にモデル業へ進みましたが、すぐに順風満帆というわけではありませんでした。
仕事が安定せず、「このまま続けていけるのか」と迷う時期もあったと語っています。
さらに、20歳の頃には当時交際していた恋人の事故死という大きな喪失を経験し、しばらくふさぎ込んだ時期もあったそうです。
それでも「立ち止まらないで前に進みたい」という気持ちを支えに、少しずつモデルとしての道を切り開いていきました。
努力の甲斐もあり、2001年には人気ファッション誌『CanCam』の専属モデルに抜擢。
ここから押切もえさんのキャリアが大きく動き出します。
しかし、ほどなくして所属していた事務所が解散。
事務所がない状態で、仕事の窓口からスケジュール管理まで自分でこなしながら活動を続けるという、今では考えられないほど大変な時期を過ごすことになります。
それでも粘り強く続けた結果、押切もえさんの存在感は徐々に確かなものになり、「エビちゃん」こと蛯原友里さん、「山田優さん」とともに”CanCam神3″と呼ばれるトップモデルへと成長。
3人の着用アイテムが即完売する”爆買い現象”が起きるほどの人気を獲得しました。
2003年にはドラマ『恋のチカラ』で女優デビューし、バラエティ番組や情報番組の出演も増加。
2007年には『CanCam』を卒業し、『AneCan』専属モデルに移籍して30代読者からの支持も強めていきます。
一方で、創作活動にも積極的で、2013年には小説『浅き夢見し』で作家デビュー。
第2作『永遠とは違う1日』は山本周五郎賞候補にも選ばれ、モデルの枠を超えた表現者として評価されました。
実は押切もえさんは子どもの頃から絵を描くことも大好きで、2015年には自身の絵画『咲くヨウニ』が仁科展に入選するなど、アートの世界でも存在感を示しています。
2025年現在は、InstagramやYouTubeを通じて美容・ファッション・子育て・ライフスタイルを発信する”マルチクリエイター”として活躍中。
モデル、作家、アーティスト、ママという複数の顔を自然に行き来しながら、自分らしい働き方を築いている印象です。
(Instagram公式)
押切もえの所属事務所
押切もえさんは、ケイダッシュグループに属する芸能事務所「パール」に所属しています。
モデル・タレント活動を中心にしながらも、小説・アート制作・ブランドコラボなど幅広く挑戦している押切もえさんにとって、サポート体制の整った環境のようです。
同じ事務所には、長年の友人でもあり”CanCam神3″として一緒に時代を作った蛯原友里さん、さらにはトラウデン直美さんなど人気モデルが所属。
ジャンルの近いタレントが複数在籍していることもあり、イベント出演やブランド案件でも刺激を受けることが多いと感じられます。
ちなみにパールでは、モデル業だけにとどまらず、ジュエリーやファッションのコラボ展開、メディア出演、トークショーなどさまざまな活動を後押し。
押切もえさんが2025年に発表したコラボジュエリー「B by Moe Oshikiri」(2025-06-公開)にも事務所が携わっており、近年は”クリエイティブ領域の広がり”が明確になっています。
SNSでの情報発信にも積極的な押切もえさんのスタイルを尊重しつつ、新しい挑戦を継続できる体制が整っている印象で、今後の活動の幅もさらに広がりそうですね。
(パール公式)
押切もえの年収
押切もえさんの年収については正式な公表こそありませんが、活動内容から見ると”1,000万円以上のレンジ”にあると考えられています。
結婚後は家庭とのバランスを大切にしながら仕事量を調整しているものの、現在は YouTube・Instagramの収益化、イベント出演、ブランドコラボ、書籍印税、トークショー など収入口が幅広いんですよね。
たとえば2025年には、コラボジュエリー「B by Moe Oshikiri」の新作発表(2025-06、PR TIMES)や、美容イベントへの登壇、ファッション企画のメディア露出が複数確認できます。
こうした”スポット型の高単価案件”はモデル経験の長い押切もえさんだからこそ任される仕事で、継続的な収入源になりやすい分野です。
さらに、YouTubeやSNSでの発信も人気で、美容・子育て・ライフスタイルの投稿は安定した視聴数を集めています。
Instagramフォロワー数(@moe_oshikiri)は2025年時点で20万人超え。
企業案件の依頼が増えている背景を考えると、ここからの収益も無視できません。
子育て期間に合わせて無理のないペースで続けている印象ですが、活動の幅はむしろ広がっている状態です。
今後、ジュエリーやアパレル系のプロデュースが本格化すれば、収入規模もさらに伸びていきそうですね。
(Instagram公式)
まとめ
押切もえさんの歩いてきた道を振り返ると、華やかなモデル像とは裏腹に、学生時代の転校や芸能活動との両立、恋人の事故死や事務所解散といった想像以上の試練が重なっていたことがわかります。
どんな状況でも前を向いて努力を続けてきた背景を知ると、現在の穏やかな表情や幅広い活躍にも自然と説得力が出てきますね。
学歴や経歴のひとつひとつが、押切もえさんという人の芯の強さを形づくっていると感じます。
これからも家族との時間を大切にしながら、自分らしいペースで表現の幅を広げていくはずですし、新しい挑戦に触れるたびに応援したくなる魅力が増していきそうです。
興味がある方は、関連インタビューやSNSの発信も合わせてチェックしてみても良いかもしれません。
