学生時代は”カリスマ読モ”としてギャル文化をけん引していた押切もえさんですが、たどってきた道のりを見ていくと、ご実家やご家族とのつながりがとても大切に感じられるんですよね。
とくに松戸市にあると言われる実家での思い出や、お父さん・お母さん、そして弟さんとの関係は、押切もえさんの芯の強さにもつながっているのでは…と想像してしまいます。
芸能界で長く活躍しながら、家族との距離感を大切にしてきた姿に惹かれる方も多いはず。
どんな環境で育ち、今どんな家族に囲まれているのか――その背景を知ると、押切もえさんの魅力がさらに立体的に見えてきます。
続く内容では、ご家族とのエピソードや現在の暮らしぶりにもそっと触れていきますね。
押切もえの実家は松戸市?
押切もえさんは、公式プロフィールなどでも「千葉県松戸市出身」とされています。
出生地を千葉県市川市と紹介している記事も一部にありますが、現在主流となっているのは松戸市出身という情報で、出身地については松戸市で統一しておくのが自然ではないでしょうか。
実家の詳しい住所までは公表されておらず、新しい公式アナウンスも出ていないため、「千葉県松戸市方面に実家がある」といった表現がいちばん現実的と言えるでしょう。
たとえば、押切もえさんがテレビやインタビューで「地元・千葉」について話すときには、自然や空気感、学生時代の思い出に触れることが多く、今も心のベースは千葉にあることが伝わってきます。
モデルとして都内で忙しく活動しながらも、ときどき千葉の実家に帰って家族と過ごす様子が語られることもあり、地元との距離感はほどよく近いままに保たれている印象です。
お相手の涌井秀章さんも、同じく千葉県松戸市出身のプロ野球選手として知られています。
出会った当初から「地元が一緒」という共通点があったことを思うと、2人で松戸の話題や学生時代のエピソードで盛り上がっていた可能性も十分ありますよね。
SNS上でも「夫婦そろって松戸市出身なんてすてき」という声があがることがあり、ファンの間でも”千葉・松戸のカップル”というイメージがすっかり定着しています。
現在は仕事や子育ての拠点を都内に置きつつ、千葉・松戸はルーツとして大切にしている、というのが2025年時点で見える押切もえさんの立ち位置です。
華やかな活動の裏に、落ち着ける「帰る場所」としての松戸があると想像すると、人柄やライフスタイルにも少し親近感が湧いてきますね。
(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/押切もえ)
押切もえの生い立ち
押切もえさんは1979年12月29日生まれ。
出生地は千葉県市川市ですが、幼少期のほとんどを松戸市で過ごしています。
小さい頃の押切もえさんは、実は今の「カリスマモデル」のイメージとは少し違い、人見知りでおとなしい性格でした。
4歳のとき、お母さんが働き始めたことで保育園に通うようになり、ハキハキした同年代の女の子の前ではなかなか自分を出せなかった…と昔のインタビューで語っています。
ただ、一人で絵を描いたり、工作に没頭したりする時間はとても好きで、ものづくりの世界に入ると夢中になってしまうタイプだったそうです。
のちに押切もえさんが”ファッション誌の企画書を自分で作るモデル”と呼ばれるほどの企画力を発揮するのも、こうした幼少期の感性がベースにあるのかもしれませんね。
さらに興味深いのが、新体操との出会いです。
押切もえさんはアニメ『タッチ』に登場する新体操シーンに惹かれ、自作のリボンで”新体操ごっこ”を楽しんでいたほど。
本人いわく、当時は「ただ純粋にキラキラした世界に憧れていた」時期だったそうです。
その流れで新体操教室にも通い始め、子どもながらに本気で練習に取り組んでいました。
ファッションへの興味が芽生えたのも、小学生の頃。
お母さんがとてもおしゃれで、可愛い服を選んでくれることが嬉しかったと語っています。
こうした家庭環境が、”ファッションを見る目”を自然と育てていったのでしょう。
中学受験では、新体操部があることで知られる昭和学院中学校(千葉県)に入学。
ところが、部員たちのレベルの高さに圧倒され、子どもながらに初めて大きな挫折を味わいます。
新体操部を辞めたあとは、当時の流行の中心だった渋谷へ足を運ぶようになり、やがてギャル文化の中に溶け込んでいきました。
SNSでは、当時のプリクラや読モ時代の写真が今も話題になることがあります(https://twitter.com/emily_0606/status/287539251657179137)。
高校時代には「太っていた時期があった」と本人が語るほどで、体重が60kg近くまで増えた経験も。
その一方で、安い服をおしゃれに見せる”リアルコーデ力”が反響を呼び、読者モデルとしてスカウトされるきっかけになります。
ギャル雑誌の全盛期、押切もえさんは”身近なのにセンスがずば抜けている読モ”として人気に火が付きました。
荒れていた時期があったとしても、渋谷に通った経験、新体操で鍛えられた体幹、そして持ち前の高身長。
そのすべてが、のちの大ブレイクへつながっていく要素だったのは間違いありません。
遠回りに見えて、すべてが必然だったように感じる生い立ちです。
(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/押切もえ)
押切もえの父親
押切もえさんのお父さんは、正信さんというお名前です。
出生地は山形県で、若い頃は料理人として働いていた経験があり、その後は建築系の現場監督へと転身したそうです。
コックから建築の現場へという異色のキャリアですが、押切もえさんがインタビューで語る「家族を支えるために黙々と働いていたお父さん」という姿から、仕事に対する誠実でまっすぐな性格が想像できます。
また、お父さんは身長183cmという長身の持ち主。
押切もえさん自身も169cmとモデルとして際立つスタイルを持っていますが、父方のおばあさんも168cmの高身長だったと語られており、「お父さん譲りの遺伝」とSNSでも話題になることがあります。
ファッション誌時代の押切もえさんを知る読者からは「脚の長さが別格」「モデル体型って本当に遺伝するんだな」といった声が見られ、家系的な要素への関心も高いようです。
ちなみに、お父さんはとても穏やかで優しいタイプだったと言われています。
押切もえさんが過去の番組で「お父さんは怒るより先に心配してくれる人だった」と語ったことがあり、子どもに寄り添う姿勢が印象的でした。
仕事の変化や生活の忙しさがあった中でも、家庭での空気をやわらかくしてくれる存在だったのではないでしょうか。
一方、幼少期〜学生時代の押切もえさんは、絵を描くことや新体操など多彩な興味を持ち、のちにギャル文化の中心地・渋谷へ足を運ぶようになるなど、外の世界への興味が強くなっていきました。
その変化の中でも、お父さんは押切もえさんの”選択”を尊重していたと言われています。
過度に干渉せず、そっと後ろから支えるタイプのお父さん像が伝わってきますね。
また、山形出身のお父さんは、家族に対して「食」や「生活の基盤」を大切にする考えを持っていたようで、押切もえさんは大人になってからも料理に対する考え方や食材選びの丁寧さを語ることがあります。
もしかすると、このあたりにもお父さんの影響があるのかもしれません。
押切もえさんが結婚後に子育てコラムやSNSで”家庭の丁寧な暮らし”を発信しているのを見ると、幼少期の家庭環境がしっかりと根付いているんだなと感じさせます。
公的な場でお父さんが大きく取り上げられることは多くありませんが、押切もえさんの芯の強さや柔らかい雰囲気、そしてモデルとしてのスタイルの良さには、確かな家族の背景があると言えそうです。
(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/押切もえ)
押切もえの母親
押切もえさんのお母さんは、薫さんというお名前です。
過去には資生堂の美容部員として働いていた経験があり、押切もえさん本人も「あの頃のお母さんは本当に綺麗だった」とSNSやインタビューでたびたび振り返っています。
美意識の高さと凛とした雰囲気は、押切もえさんの”モデルとしての土台づくり”にも大きな影響を与えたようです。
薫さんは、働きながら家事も育児もこなしていた忙しいお母さんでした。
押切もえさんは幼い頃の記憶として「働いて家に帰ってきて、家事もして、おいしいご飯まで作ってくれた姿がすごく印象に残っている」と語っており、その背中を見て育ったことで、自分も”努力を続けることの大切さ”を自然に学んだと話しています。
モデルとして苦労した時期に踏ん張れた背景には、こうした家庭環境があると考えるファンも多いですよね。
ただ、しっかり者の一面だけでなく、少し天然なところがあるのも薫さんの魅力。
たとえば、押切もえさんが執筆した原稿を誤って濡らしてしまい、「加湿器の上に置けば乾くと思って…」と本気で心配してくれたエピソードは有名です。
この”ちょっと抜けているけど優しい”感じが、押切もえさんの柔らかい性格にもつながっているのでは…と感じさせる微笑ましい話ですね。
また、薫さんは教育面でも押切もえさんを強く支えていました。
仕事が忙しくても、洋服選びのセンスを褒めたり、絵を描く姿を見守ったりと、押切もえさんの「好き」を伸ばす接し方を大切にしていたのだとか。
VERYのインタビュー(2023年10月1日公開)では、押切もえさんが「お母さんが買ってくれた小さなリボン柄のワンピースが嬉しくて、今でも覚えている」と語っており、幼い頃からの”おしゃれ心”は親子で一緒に育ててきた文化のようにも感じられます。
さらに、押切家は共働き家庭だったため、日々の生活には”自立”も自然と組み込まれていました。
押切もえさんが中学受験を決めた時も、薫さんは「あなたがやりたいなら応援するよ」と背中を押しつつ、勉強がつらい時期にはそっと寄り添ってくれたそうです。
中学受験期は親子で支え合うことが多く、この経験が押切もえさんの芯の強さにつながったと語るファンの声もあります。
現在、押切もえさんは二児の母になり、薫さんとの”親子の関係性の深さ”を改めて感じることが増えたとインタビューで認めています。
忙しい中でも家事や子育てをこなす姿勢、丁寧に暮らす姿勢は、まさに薫さん譲り。
押切もえさんがSNSで披露する手作り弁当や子どもとの日常にも、そんな”お母さんの影響”が自然とにじんでいます。
(出典:https://veryweb.jp/life/526003/)
押切もえの兄弟や姉妹
押切もえさんには、2歳年下の弟・正和さんがいます。
一般の方ですが、過去にはテレビ番組『深イイ話~密着クイズ・お姉さまは誰?』(2020-03-23放送)に出演したことがあり、その際に「消防士」として紹介されました。
消防車の中でも操作の難しい”はしご車”の操縦資格を持つ実力者で、現場で頼られる存在として働いているそうです。
番組に登場した際の正和さんは、高身長で顔立ちも端正と話題になり、「押切家は姉弟そろって美形なんだな」とSNSでも驚きの声が上がっていました。
押切もえさん自身が169cmと長身で、弟さんも同じく体格に恵まれていることから、家族の”高身長の遺伝”を感じさせますね。
ちなみに、正和さんの現在の職場やプライベートについては、一般人のため詳しい情報は公表されていません。
ただ、押切もえさんは家族との距離感を大切にしており、折に触れて弟さんの話題を出すことがあります。
互いの仕事を尊重し合う、あたたかい姉弟関係がうかがえます。
(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/押切もえ)
まとめ
押切もえさんの歩んできた背景をたどると、高身長を受け継いだお父さんや、美意識にあふれたお母さんとの時間が、今の押切もえさんを形づくってきたことがよく分かります。
幼少期の新体操や絵が好きだった記憶、思春期に渋谷で磨かれたファッション感覚、そしてモデルとして壁にぶつかりながらも前に進んできた姿は、どれも家族の支えが根っこにあるように感じられますね。
結婚してからは2児のお母さんとしての日々も重なり、SNSでは子育ての温かい瞬間や夫・涌井秀章さんとの家族時間が自然体で発信されています。
仕事と家庭のバランスを模索しながら、今の”押切もえらしさ”を大切にしているのが伝わってきて、読む側までほっとする気持ちになります。
これからの活動や家族のエピソードにも、また新しい発見がありそうです。
