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カルーセル麻紀の若い頃がすごい!性転換手術や大物俳優との男性遍歴など

carrouselmaki_career オネエタレント
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元男性のタレント・カルーセル麻紀さんは、「日本人として初めて性別適合手術を受けた人」「戸籍を男性から女性にしたパイオニア」とも言われています。

そんなカルーセル麻紀さんは、どんな人なのでしょうか。

ネット上では「元カレが大物」、「若い頃が美人」などと話題になっていました。

今回は、そんなカルーセル麻紀さんの若い頃や経歴、元カレなどについて調べてみました。

カルーセル麻紀の若い頃からキレイ!

カルーセル麻紀さんの若い頃の姿はこちらです。

男性だったとは思えないほど、美しいですね。

カルーセル麻紀のプロフィールや経歴

名前:カルーセル麻紀
生年月日:1942年11月26日
出身地:北海道
血液型:A型
身長:157cm
所属事務所:オフィスカルーゼル

15歳の時に年齢を誤魔化して北海道札幌市のゲイバーで働くようになったカルーセル麻紀さんは、全国各地のゲイバーの他ショーパブやキャバレーなどを転々とし、1963年に芸能界入りしました。

そして1968に「愛してヨコハマ」で歌手デビュー、『11PM』の出演をきっかけに他にもレギュラー番組を抱えるようになり、雑誌『平凡パンチ』などではグラビアの仕事もこなしています。

現在もテレビやラジオ、舞台などで活躍しています。

カルーセル麻紀の本名や芸名の由来

カルーセル麻紀さんの出生時の本名は、「平原徹男」さんでした。

2004年に施行された性同一性障害者特例法で性別の変更が認められ、「平原徹男」から「平原麻紀」と改名し、現在は「平原麻紀」が本名になっています。

「カルーセル」という芸名は、19歳の頃に働いていたゲイバー「カルーゼル」からとってたもので、日劇ミュージックホールに出演する際に「麻紀だけでは短すぎる」と言われたことをきっかけに現在の芸名で活動するようになりました。

カルーセル麻紀の男性遍歴がすごい!

カルーセル麻紀さんは、これまでに多くの男性と関係を持ったことを明かしています。

若い頃から美人だったということもあり、かなりモテたようですね。

カルーセル麻紀の歴代彼氏①石原裕次郎

1人目は、俳優の石原裕次郎さんです。

石原裕次郎さんはカルーセル麻紀さんのことを実の妹の様に可愛がり、カルーセル麻紀さんも「まさに性を越えて心を許せた尊敬できる人だった」、「人間として大好きだった」と明かしています。

バーを貸し切りにして、マスターと三人で朝まで飲み明かしたこともあり、酔いつぶれたカルーセル麻紀さんを石原裕次郎さんはお姫様抱っこして家まで送ってくれたこともあったそうですよ。

カルーセル麻紀の歴代彼氏②市川猿翁

2人目は、歌舞伎役者の二代目市川猿翁さんです。

カルーセル麻紀さんがまだ無名だった頃、市川猿翁さんはカルーセル麻紀さんをハワイから来たプリンセスだと偽って、突然東京プリンスホテルのプールを貸し切りにさせたことがあったそうです。

とても仲が良かったため、カルーセル麻紀さんは当時市川猿翁さんの奥さんだった浜木綿子さんに嫉妬されたと、語っていました。

カルーセル麻紀の歴代彼氏③梅宮辰夫

3人目は、俳優の梅宮辰夫さんです。

梅宮辰夫さんとの出会いは、「熊本でいきなりブチュ~ッてキスをされた」ことだったそうです。

そしてカルーセル麻紀さんが性転換した後には、電話で何度も「処女を俺にくれ!」とカルーセル麻紀さんに言っていました。

しかしカルーセル麻紀さんは「人さまの旦那様だから、さすがに私も遠慮してやった」と話しており、梅宮辰夫さんと関係は持たなかったようです。

カルーセル麻紀の歴代彼氏④野球選手

4人目は、プロ野球選手です。

カルーセル麻紀さんは元々プロ野球が好きで、選手の知り合いも多くいました。

テレビ番組では「東京、大阪の野球選手、ほとんど食ってるね。おいしかったわ~」と発言しています。

また調子の良くなかった「ある阪神選手」と一夜を共にしたら、ホームラン、ヒットを連発し絶好調になったそうです。

カルーセル麻紀の性転換手術が壮絶だった

物心つく頃から「心は女の子」だったというカルーセル麻紀さんは、19歳の頃に身体つきが男性化していくことに恐怖を覚え始め、友人に相談すると「睾丸を取ればいい」という結論にたどり着きました。

当時の日本では睾丸摘出手術が認められていなかったものの、ある性病科の医師が「盲腸より簡単やで」と引き受けてくれたそうです。

ところがオペして次の日くらいから内出血が始まってどんどんどんどん膨らんでしまい、「取ったんじゃなくて入れたんじゃないの?」と友人に言われるほどになってしまったのです。

その後、膿を取る手術をしたものの傷口がなかなか塞がらず、出演する舞台が決まっていたため、カルーセル麻紀さんは自分の手で消毒してホチキスで留め、上から絆創膏貼って舞台に立っていました。

そして30歳の時には、モロッコで性転換手術をした美女の存在を知ったことをきっかけに陰茎の切除を決意、病院を調べ手紙を出し、現在の1000万相当の金額で手術を受けました。

しかしこの手術でも癒着がうまくいかず化膿してしまい、普通なら1週間くらいで退院できるものの、その期間を超えても高熱がおさまらず、さらには何も食べれず言葉も通じず、カルーセル麻紀さんは死をも覚悟していました。

そんな中、唯一会話のできた看護師にお金を渡し「オペの道具持ってきてくれ」と頼み、麻酔もなしに自分で手術しました。

当時についてカルーセル麻紀さんは、「痛いとかそういう問題じゃなくて、自分が『生きたい』と思ってこのままじゃ死んじゃうなと思ったから」と語っています。

まとめ

若い頃から自分の心と体が一致しない性同一性障害を抱えていたカルーセル麻紀さんは、壮絶な手術、そして法律を乗り越え、今は女性として生活しています。

これからもそんなカルーセル麻紀さんの活躍を、応援していきたいと思います。

オネエタレント
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