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ジョン・カビラと川平慈英は実は三人兄弟!ハーフ?父親がすごい人だった

jonkabira kabirajay_family タレント
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芸能界では兄弟で活躍してる方も多く、ジョン・カビラさん&川平慈英さんも実の兄弟です。

ジョン・カビラさんと川平慈英さんはどんな家庭で育ったのでしょうか。

今回は、ジョン・カビラさんと川平慈英さんの家族や実家について調べてみました。

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ジョン・カビラと川平慈英は実は三人兄弟!

ジョン・カビラさんと川平慈英さんは、2人兄弟ではありません。

2人の間には、次男の川平謙慈さんという方がいます。

川平謙慈さんは、1960年6月16日生まれで、10歳でアメリカへ単身留学、都立高校からアメリカカンザス州のヘストンカレッジへ進学しました。

1985年にシカゴ大学を卒業し就職、1992年にはシカゴ大学経営大学院を卒業しています。

その後ケロッグカンパニーに入社、経営コンサルタントを経て日本マクドナルドに入社して、CMでベスト広告賞を受賞しました。

2006年には、経営コンサルタントのリップマン・ハーネに入社しています。

ジョン・カビラと川平慈英の実家は沖縄の名家

ジョン・カビラさんと川平慈英さんは、沖縄県出身です。

お父さんが、通訳や音楽の分野で琉球王朝に仕えた川平家の末裔なんだそうです。

1972年5月15日の沖縄本土復帰を機に東京に転居しており、現在実家は東京都内にあるとのことですが、詳しい場所は公開されていません。

ジョン・カビラと川平慈英はハーフ?国籍は?

ジョン・カビラさんと川平慈英さんは、お父さんが日本人、お母さんがアメリカ人のハーフです。

お父さんや兄弟とは日本語で、お母さんとは英語で会話していたそうですよ。

ただジョン・カビラさんと川平慈英さんは、沖縄県で生まれ育っているため国籍は日本になります。

ジョン・カビラと川平慈英の父親がすごい人だった

ジョン・カビラさんと川平慈英さんのお父さんは、川平朝清さんと言います。

川平朝清さんは、お兄さんが設立した琉球放送(RBC)の前身である琉球の声放送の初代アナウンサーに就任、放送課長・チーフアナウンサーを務め、1953年10月から1957年10月には渡米しミシガン州立大学大学院に留学、放送局の経営を学びました。

帰国後RBCに戻り、KSBK(英語放送)局長を1年務め、その後は編成課長、解説委員長、常務取締役を歴任、テレビ局の立ち上げや経営に携わり、座安盛徳社長の通訳も務めています。

1967年9月23日にはNHK沖縄放送局の前身となる沖縄放送協会を設立し初代会長に就任、沖縄本土復帰にともない沖縄放送協会は解散、NHKへ移り、会長室主幹(国際協力)、経営企画室国際協力担当経営主幹を歴任しています。

1992年にNHKを退職してからは昭和女子大学で英文科教授、副学長、副理事長、監事を経て、2011年に名誉理事、名誉教授になりました。

ジョン・カビラの生い立ち

1958年11月1日に誕生したジョン・カビラさんでしたが、元々予定日は12月20日で未熟児で出生、生後すぐに重い黄疸にかかり命が危ぶまれていたものの、アメリカ人医師ドクターウルフによって一命を取り留めました。

大学卒業後はCBS SONY(現・ソニーレコード)に入社、海外との渉外部門に所属し、レコードの資材輸入やアーティストプロモーションのコーディネートなどを担当していたそうです。

1988年の「J-WAVE」開局と同時に、ナビゲーターに転身しました。

川平慈英の生い立ち

1962年9月23日に誕生した川平慈英さんは、子供の頃からサッカーを始め、高校時代は読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)のユースチームに在籍していました。

サッカー留学後に大学に進学、在学中にミュージカル俳優としてデビューしました。

テレビ東京『三菱ダイヤモンド・サッカー』のキャスターとして自らのサッカー経験を生かしたユニークな解説で人気を集め、サッカーキャスターとしても活躍しています。

ジョン・カビラと川平慈英の母親はどんな人?

ジョン・カビラさんと川平慈英さんのお母さんは、川平ワンダリーさんです。

アメリカ人のお母さんは、アメリカンスクール・イン・ジャパンの教師を務めていました。

しかし、2018年1月11日に亡くなりました。

まとめ

ジョン・カビラさんと川平慈英さんは、芸能界で今も活躍していますが、両親や兄弟も輝かしい経歴を持っていました。

これからも家族それぞれの場所で頑張ってほしいですね。

ジョン・カビラと川平慈英さんの他のことについてはコチラ
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