高嶋ちさ子さんは、クラシック界で第一線を走りながらバラエティでも活躍し、その歯に衣着せぬ発言で多くのファンを魅了しています。
辛口トークの裏には家族への深い愛情があり、とくにお父さんやお姉さんとのエピソードはたびたび話題になります。
お父さんは著名な経歴を持つ人物で、ちさ子さんが幼い頃から恵まれた環境で育ったことがうかがえます。
また、ダウン症のお姉さんとの関係は、彼女の人生観や人柄を語るうえで欠かせない大切な要素です。
さらに、お母さんや兄についても知られざるエピソードがあり、家族それぞれの存在がちさ子さんの強さやユーモアを形づくってきたのだと感じられます。
家庭の背景を知ることで、舞台上では見えない高嶋ちさ子さんの素顔に触れることができるはずです。
高嶋ちさ子の姉はダウン症のみっちゃん
高嶋ちさ子さんには、「みっちゃん」の愛称で呼ばれるお姉さん・高嶋未知子さんがいます。
一般の方なのでメディアに登場することはほとんどありませんが、高嶋ちさ子さんはお姉さんがダウン症であることを隠さず公表し、家族の日常の一部として自然に語ってきました。
「どうして隠さないのか」と尋ねられた際に「うちでは普通のことだから」と答えたエピソードはよく知られており、障がいを特別視せず、家族として当たり前に接するという考え方を体現しています。
お母さんからは幼い頃に「あなたとお兄ちゃんを産んだのは、将来みっちゃんを支えてほしいから」と伝えられていたそうで、その言葉通り物心ついた頃から自然に姉の世話をしてきたと振り返っています。
高嶋ちさ子さんはテレビやラジオでお姉さんとの日常をユーモラスに語ることもありますが、その根底には強い責任感と深い愛情が感じられます。
実は、2020年に放送された『ザワつく!金曜日』(テレビ朝日系)では「みっちゃんと一緒に過ごす時間が何より癒やしになる」と話しており、SNSでも仲の良い写真を公開してファンの共感を集めました。
お姉さんの存在は、高嶋ちさ子さんが持つユーモアや人間的なあたたかさの大きな源であり、今も変わらず家族の絆を深める存在となっています。
高嶋ちさ子の父親は高嶋弘之
高嶋ちさ子さんのお父さんは音楽プロデューサーの高嶋弘之さんです。
東芝音楽工業(現・ユニバーサルミュージック)に入社後、レコード事業部でディレクターとしてキャリアをスタート。
ザ・フォーク・クルセダーズや黛ジュンさん、由紀さおりさんなどの作品を手掛け、日本の音楽シーンに大きな影響を与えました。
その後はキャニオン・レコードの取締役制作部長や、ポリグラム・グループのチャペル・インターソング社長を歴任し、自ら高嶋音楽事務所を設立。
クラシックを広める「J-クラシックス」シリーズの仕掛け人としても知られています。
バラエティ番組では娘の高嶋ちさ子さんと共演することもあり、早口でせっかちな性格が「せっかちモンスター」と呼ばれてネタにされる場面もあります。
父娘の掛け合いはユーモラスで、ファンからも人気を集めています。
高嶋弘之はビートルズの仕掛け人!
実は高嶋弘之さんは「ビートルズの日本の仕掛け人」と呼ばれています。
1960年代、まだ日本で無名だったビートルズをいかに広めるかを考え、邦題を工夫して親しみやすくしたのも高嶋弘之さんの仕事です。
代表的なものに「I Want To Hold Your Hand」を「抱きしめたい」、「Ticket to Ride」を「涙の乗車券」と名付けたエピソードがあります。
さらに、東芝音工の社員を床屋に連れて行き、マッシュルームカットにさせて「ビートルズカットが流行している」とメディアに書かせるなど、プロモーションの仕掛けもユニークでした。
こうした柔軟な発想と行動力が、ビートルズ人気の火付け役となったことは業界内でも語り草です。
高嶋弘之の兄は高島忠夫
高嶋弘之さんのお兄さんは俳優でタレントとして活躍した高島忠夫さんです。
1951年に新東宝の第1期ニューフェイスとして芸能界入りし、『恋の応援団長』で映画デビュー。
その後も多くの映画やドラマに出演し、舞台『マイ・フェア・レディ』などのミュージカルでも存在感を発揮しました。
「せーの、イェーイ」って、高島忠夫に迎合するのかね? pic.twitter.com/Mdd1ugQ3ql
— ☀️🎌はげぼうず◢|⁴⁶ 🎌☀️ (@hagebouzu07) June 23, 2023
また、バラエティ番組の司会としても人気を博し、長年にわたりお茶の間で親しまれました。
晩年は闘病生活を送り、2019年6月26日に老衰で88歳の生涯を閉じています。
音楽界で名を残したお父さん・高嶋弘之さんと、芸能界で活躍したお兄さん・高島忠夫さん。
まさに華やかな家系に育ったことが、高嶋ちさ子さんのユニークな個性や強さにつながっているのかもしれません。
高嶋ちさ子のいとこは髙嶋政宏と髙嶋政伸
高嶋政伸と高嶋政宏(これは仕方ない pic.twitter.com/RqXdyppK02
— ははねこ (@hahaneko917) January 23, 2019
高嶋ちさ子さんの いとこは、俳優の髙嶋政宏さんと髙嶋政伸さん です。
彼らの父親である 高嶋忠夫さんは、高嶋ちさ子さんの父の兄 にあたります。
つまり、音楽界と芸能界の両方で活躍する才能豊かな家系といえるでしょう。
幼少期には 髙嶋政宏さんや髙嶋政伸さんと一緒に遊んでいた そうで、親戚としての交流があったことがうかがえます。
成長するにつれて、それぞれの道を歩むようになりましたが、現在も家族のつながりは続いているようです。
高嶋家は音楽と芸能の分野で名を馳せる家系であり、髙嶋政宏さん・髙嶋政伸さんは俳優として活躍。
一方で、高嶋ちさ子さんはヴァイオリニストとして国内外で成功を収めています。
それぞれ異なる分野で才能を発揮しながらも、表現者としての共通点を持つ一家 といえるでしょう。
高嶋ちさ子と髙嶋兄弟に確執があった?
高嶋ちさ子さんと、髙嶋政宏さんは2019年にテレビ初共演を果たしています。
これまで親戚であることは明かしていながらも共演がなかった理由は「確執があるから」といわれていました。
高島忠夫さんと高嶋ちさ子さんのお父さんである弘之さんの仲がこじれてしまい、それが高嶋ちさ子さんと髙嶋政宏さんと髙嶋政伸さんの共演NGにつながってしまったそうなのです。
しかし、高嶋ちさ子さんは「(いとこ同士は)確執どころかめっちゃ仲良いんだけど」と明かしていました。
共演がなかったのも「今まで共演するきっかけがなかった」だけだそうです。
番組内では、高嶋ちさ子さんが髙嶋政宏さんのことを「バーブ」と呼び、親しく話していました。
髙嶋政伸さんとは共演していませんが、機会があれば髙嶋政宏さんと同じように共演することがあると思います。
髙嶋政宏の兄弟仲は?兄がいた?父親と母親・いとこは高嶋ちさ子!
高嶋ちさ子の実家はお金持ち?
高嶋ちさ子さんの 実家は東京都世田谷区上野毛にあり、裕福な家庭で育った といわれています。
世田谷区上野毛といえば、高級住宅街として知られるエリアで、著名人や資産家が多く住む地域でもあります。
そんな場所にある実家は 2階建ての一軒家 で、さらに 増築を繰り返していた そうです。
一般的な家庭ではなかなかできないことなので、実家が裕福であったことがうかがえます。
また、庭付きの広い敷地にはブランコなどの遊具も設置されていた とのこと。
都心部で庭付きの一軒家を所有するだけでも十分に裕福といえますが、さらに遊具があるほど広い庭があったという点からも、幼少期から恵まれた環境で育ったことが分かります。
さらに、高嶋ちさ子さんの父親は、ソニーの重役を務めていた人物です。
母親も教育熱心で、子どもたちにヴァイオリンやピアノを習わせるなど、子どもの教育にしっかりと投資できる経済力があった ことは間違いありません。
実際、高嶋さん自身も6歳からヴァイオリンを習い始め、桐朋学園大学からアメリカの名門・イェール大学の大学院へ進学しています。
これだけの教育を受けさせることができたのも、実家が裕福だったからこそでしょう。
高嶋さんはバラエティ番組などで豪快な性格を見せることが多いですが、こうした背景が彼女の自信や独自の価値観を育んだのかもしれません。
幼少期からの経験が、現在の彼女の成功につながっているのでしょう。
高嶋ちさ子の生い立ち
1968年8月24日に誕生した高嶋ちさ子さんの、幼少期のあだ名は「悪魔」でした。
レストランに行けばテーブルクロス引きをしてテーブルをぐちゃぐちゃにしたり、たくさん食べているところを褒められると口の中のものを吐き出したりと、やりたい放題だったそうです。
高嶋ちさ子さんは当時について、「全然覚えてないから何とも言えないんですけど、とにかく生まれた時から性格があまり良くなかった」と明かしています。
そんな高嶋ちさ子さんはモデル事務所に入っていたこともあるものの、カメラマンに「笑って」と言われ「おもしろくもねぇのに笑えるかよ」と応じなかった所、クビになってしまったそうですよ。
高嶋ちさ子の母親は毒舌だった
高嶋ちさ子さんの母親は 高嶋薫子さん という人物で、かつてピアニストとして活躍していました。
その影響もあり、高嶋さんは幼少期から音楽教育を受け、厳しく指導されていたようです。
特にヴァイオリンの練習には非常に厳しく、「絶対に妥協を許さない母だった」 と高嶋さん自身が語っています。
しかし、薫子さんの特徴は それ以上に強烈な毒舌ぶり にあったといいます。
高嶋さんが 「私の毒舌は母譲り」 と話すほどで、そのエピソードは数多く残されています。
例えば、あるとき薫子さんは高嶋さんに対し、「あなたは見た目はいいのに、中身に全く魅力がない」 という厳しい言葉を放ったことがあったそうです。
この発言からも分かるように、母親は遠慮なく本音をぶつけるタイプだったようです。
また、薫子さんは 麻雀とピアノが大好き で、音楽と娯楽を心から楽しむ一面もありました。
しかし、晩年は 間質性肺炎を患い、2年半にわたる寝たきり生活 を送ることに。
2017年、81歳で亡くなる まで、家族に見守られながら過ごしました。
高嶋ちさ子さんの強さやユーモアのセンスは、こうした母親の影響を色濃く受け継いでいるのかもしれません。
毒舌ながらも芯の強い薫子さんの存在が、現在の高嶋さんを形作る大きな要素となったことは間違いないでしょう。
高嶋ちさ子は3人兄弟
高嶋ちさ子 ダウン症の姉の今後を家族会議で…1人暮らしのマンション費用を兄に | ガールズちゃんねる – Girls Channel – https://t.co/NjEgqgiB6D pic.twitter.com/aeWuPouebk
— GIRL'S TALK (@girlstalksocial) January 6, 2021
高嶋ちさ子さんは 3人兄妹の末っ子 で、兄と姉がいます。
しかし、いわゆる「甘えん坊の末っ子」というタイプではなく、強気でしっかり者の性格 が際立っています。
バラエティ番組などで見せる歯に衣着せぬ発言や、自身の家庭をしっかり仕切る姿を見ても、末っ子らしからぬたくましさが伝わってきます。
特に、姉の 高嶋未知子さん はダウン症であり、母親から 「あなたとお兄ちゃんは、みっちゃん(未知子さん)の面倒を見るために生まれてきたのよ」 と言われて育ったそうです。
そのため、幼い頃から姉の世話をするのは自然なことだったようで、責任感の強い性格が培われたと考えられます。
また、兄についてはあまり多く語られていませんが、幼少期は 3人でよく遊んでいた というエピソードもあります。
家庭の中では、おそらく兄が最年長としてしっかりしていたこともあり、高嶋さんは自然と負けん気の強い性格になったのかもしれません。
現在も家族との関係は深く、テレビ番組やSNSでも姉とのやりとりを語ることがあり、兄妹の絆の強さを感じさせます。
音楽一家として育ちながらも、独自のキャラクターを確立した高嶋ちさ子さん。
彼女の強さや芯のある生き方は、こうした家族との関係の中で培われてきたのかもしれません。
高嶋ちさ子の兄は高嶋太郎
高嶋ちさ子さんの 兄は高嶋太郎さん という一般の方で、メディアへの露出はほとんどありません。
しかし、高嶋さん自身が兄の存在を語ることはあり、その仕事ぶりやエピソードからも 優秀で堅実な人物 であることがうかがえます。
大学卒業後、千代田化工建設株式会社に入社 し、石油プラントの建設に携わっているそうです。
千代田化工建設は、日本有数のエンジニアリング企業で、世界各国でエネルギー関連施設の建設を手がけています。
そのため、高嶋太郎さんも 国際的なプロジェクトに関わることが多く、過去にはシンガポールで働いていたこともある といいます。
高嶋ちさ子さんと違い、メディアにはほとんど登場せず、プライベートも公にされることが少ない ようです。
一般人ということもあり、高嶋さんも 兄の写真を公開することはほとんどなく、テレビ番組でも詳しい情報には触れていません。
ただし、幼少期は妹のちさ子さんや姉の未知子さんとよく遊んでいたそうで、家族仲は良好のようです。
高嶋さんのトークでは、兄に関するエピソードも時折語られますが、冷静で堅実な兄と、奔放な妹という対照的な関係 がうかがえます。
表舞台に立つことはないものの、高嶋太郎さんは グローバルな仕事に従事しながら、堅実な人生を歩んでいる ようです。
まとめ
高嶋ちさ子さんの家族について見てきましたが、お父さんである高嶋弘之さんの音楽業界での功績や、ダウン症のお姉さん・みっちゃんとの温かな関係、そして俳優として活躍したお兄さんの存在など、どれも彼女の価値観や人柄を形づくる大切な背景になっていることが伝わってきます。
テレビやSNSで披露されるエピソードはユーモアにあふれつつも、家族への深い愛情がにじんでおり、そんな姿に共感する人も多いはずです。
幼少期から恵まれた環境で育ちながらも、自分らしい歩みを選び取ってきた高嶋さん。
これからも家族と支え合いながら、音楽活動やメディア出演を通じて私たちに元気を届けてくれることでしょう。
彼女の新しい一面に触れたい方は、関連エピソードを紹介した記事もぜひチェックしてみてください。
