ユニークな発想と明るいキャラクターでおなじみの料理愛好家・平野レミさん。
実は、結婚相手があの名イラストレーター・和田誠さんだということをご存知でしたか?
現在もメディアで活躍を続ける平野レミさんですが、結婚当時はまだシャンソン歌手として活動していた頃。
そんなふたりがどんな経緯で結ばれたのか、気になる方も多いのではないでしょうか。
また、「自宅は代々木上原らしい」という噂もあり、その暮らしぶりや住まいのエピソードにも注目が集まっています。
この記事では、おふたりの出会いから結婚、そしてこだわりの自宅についてまで、あたたかなエピソードをまじえながら詳しくお伝えしていきます。
平野レミの旦那は和田誠
平野レミさんとご主人の和田誠さん。小船に乗った若い頃の写真素敵だなぁ。いい写真。レミさんは今度生まれ変わっても和田さんと結婚して、自分が先に死んで残された方がどれだけ悲しいかリベンジしてやると言ってた。そのくらい大好きだったんだな。 pic.twitter.com/9fOq7YTbpQ
— Green Pepper (@r2d2c3poacco) December 4, 2021
平野レミさんの旦那さんは、イラストレーター・グラフィックデザイナー・エッセイストとして活躍した和田誠さんです。
1959年に広告制作会社「ライトパブリシティ」に入社し、同年に行われた紙巻きたばこ「ハイライト」のパッケージデザインコンペで採用されたことが、デザイナーとしての大きな転機となりました。
その後も広告デザインの第一線で活躍し、社会党のロゴマークをはじめ、キヤノン・東レなどの大手企業広告も手がけ、1968年にフリーランスに転向。
以降は『週刊文春』の表紙イラストや、村上春樹さんの小説『アフターダーク』の装丁をはじめとする多くの文芸作品のブックデザインを担当し、三谷幸喜さんや阿川佐和子さんといった著名人との仕事でも知られるようになりました。
日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)のメンバーでもあり、イラストや装丁だけでなく、エッセイや映画監督としてもマルチに活動したことから、戦後日本の文化を支えた希少な存在と評価されています。
2019年10月7日、肺炎のため83歳で亡くなりましたが、その功績は今なお語り継がれています。
2021年には、渋谷区立中央図書館にて「和田誠記念文庫」が開設され、彼が手がけた装丁本や蔵書、自作の本棚までもが寄贈されました。
平野レミさんとの結婚生活は、お互いの個性を尊重し合うあたたかな関係だったようで、レミさんはテレビやエッセイで和田さんとの日常をたびたびユーモラスに語っています。
創作の現場を共有することも多く、互いの活動を理解し合う理想的なパートナーだったことがうかがえます。
平野レミと和田誠の馴れ初め
若い頃の和田誠さんと平野レミさん。とっても可愛いです😊 pic.twitter.com/LoM0K04zHB
— たなきょん (@tanakyon65) October 11, 2019
平野レミさんと和田誠さんの出会いは、まさに“声が運んだ縁”でした。
きっかけは、和田誠さんが偶然ラジオで平野レミさんのトークを耳にしたこと。
明るく個性的な話しぶりに強く惹かれ、「この人が自分の結婚相手だ」と直感したそうです。
その想いのまま、当時レミさんと共演していた久米宏さんに紹介を頼みましたが、「レミさんはやめておいた方がいい」と止められてしまいます。
しかし諦めなかった和田さんは、別のルートで番組スタッフに依頼し、ついに直接会う機会を得ることに成功しました。
初対面からお互いに強く惹かれ合い、交際開始からわずか10日ほどでスピード結婚に至ったというのは有名なエピソードです。
当時としても異例の展開でしたが、ふたりにとってはごく自然な流れだったのかもしれません。
後に平野レミさんはテレビ出演時に「見た目は全然好みじゃなかったけど、話してみたらすごく面白い人だった」と語っており、人柄に惚れたことを明かしています。
1972年に結婚した後は、公私ともにパートナーとして支え合い、平野レミさんの活動に和田誠さんが助言を送る場面も多かったといわれています。
個性豊かな夫婦のやりとりはメディアでもたびたび紹介されており、飾らない二人の関係性に憧れを抱くファンも少なくありませんでした。
創作の世界でそれぞれ活躍しながらも、相手の世界を理解し、尊重し合う関係が長年続いた背景には、出会った当初からの強い“フィーリング”があったことがうかがえます。
平野レミの自宅は代々木上原?
平野レミさんの自宅は、東京都渋谷区の代々木上原にあるといわれています。
詳しい住所は非公開ですが、周辺は閑静な住宅街として知られ、クリエイターや文化人が多く住むエリアとしても人気があります。
現在の住まいは1978年に完成したもので、設計は建築家であり映画評論家としても知られる渡辺武信さんが担当しました。
家づくりの際、夫の和田誠さんは「好きにしていいよ」とレミさんに全権を託したそうで、間取りや仕様はレミさん自身がすべて決めたといいます。
中でも特にこだわったのがキッチンで、南向きの庭に面した設計になっており、子育て中には外で遊ぶ子どもたちの様子を見ながら料理ができるよう工夫されているとのこと。
料理研究家としての活動拠点でもあるため、自宅のキッチンは機能性と暮らしやすさが両立した空間になっているようです。
また、自宅近くのマンションをキッチンスタジオとして活用しており、そこからは神宮外苑の花火が見えるほど眺望も良好なのだとか。
スタジオではテレビや雑誌の撮影が行われることもあり、料理を通じた発信の場としても活用されています。
なお、平野レミさんは過去のテレビ番組などでこの自宅についてたびたび触れており、料理と家族を中心としたライフスタイルがにじむ空間であることがうかがえます。
こうした住まいの背景には、彼女の「暮らしを楽しむ」という哲学が色濃く反映されているのかもしれません。
まとめ
平野レミさんのご主人・和田誠さんは、多彩な才能で日本の文化やメディアに多大な影響を与えた方でした。
ラジオ番組を通じて始まったおふたりの出会いから、代々木上原の自宅での暮らしに至るまで、ユニークで温かい人生を共に歩んできたことが伝わってきます。
設計にこだわったキッチンや、何気ない日常ににじむ創造性は、まさにおふたりらしい暮らしそのものだったのではないでしょうか。
和田誠さんが旅立たれた今も、平野レミさんは明るく前向きに活動を続けています。
かつて「次に生まれても、死ぬときは和田さんと一緒がいい」と語っていたレミさんの言葉には、深い愛情と絆が感じられます。
そんな思いを胸に、これからも平野レミさんが“らしさ”を大切に、日々を笑顔で彩っていかれることを応援したいですね。
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