テレビで見るたびに、驚きの料理を披露してくれる平野レミさん。
その自由すぎる発想と明るさに惹かれる一方で、「どうしてあんなに個性的なんだろう?」と気になったことはありませんか?
実は、もともとはシャンソン歌手として活動していた時期があり、料理愛好家として知られるようになったのは後からなんです。
そんな平野レミさんの若い頃や、出身高校・大学といった学歴、事務所に所属しているのかどうか、さらには年収の噂まで…幅広く調べてみると、意外な一面が次々と見えてきました。
平野レミの若い頃はどんな感じ?
平野レミさんの若い頃の姿は、現在のイメージとはまた少し違った魅力があります。
そして、平野レミさんの若いころ見つけた。シャンソン歌手だったらしい。 pic.twitter.com/tY00qj8ykT
— たば やん (@tbysyk) September 4, 2014
平野レミさんの若い頃のお写真
— RABU (@kpugmw) May 25, 2018
お淑やかに見えるけどこの頃からトマト手でぶっ潰す料理してたらしい pic.twitter.com/Po1k8CxUWq
母がブックオフで買ってきた古い料理の本。平野レミさん、若いぜ! pic.twitter.com/Q1tXi0R1W5
— Duke13 (@Duke_Augustas) September 13, 2015
かなり昔からあるオレンジページ読んでたら、1994年の平野レミ出てきた!
— エリンコインコ@コタツの妖精 (@erinkoinko) May 9, 2015
お若い!! pic.twitter.com/4DXS7cfoO1
SNSでは、シャンソン歌手として活動していた当時の写真や、料理本に登場していた若き日の姿が多数共有されており、品のある雰囲気や清楚な表情が印象的だという声も見られます。
たとえば、ブックオフで入手したという古い料理本には、エプロン姿の平野レミさんが微笑む写真が掲載されており、その当時から料理とともに生きていた様子が垣間見えます。
また、1994年発行の『オレンジページ』にも登場しており、すでに家庭向けレシピを紹介する料理研究家としての一面が見られます。
投稿された写真を見ると、現在と変わらぬ明るい笑顔が印象的で、当時から自然体で親しみやすいキャラクターだったことが伝わってきます。
もともと平野レミさんは、音楽一家に育ち、若い頃は本格的にシャンソン歌手として活動していた経歴があります。
大学在学中にNHKの音楽番組に出演したことがきっかけで芸能界入りし、レコードデビューも果たしました。
その後、料理好きが高じて料理研究家としても頭角を現し、独創的でユーモラスな調理スタイルが注目を集めるようになります。
素手でトマトを潰すなど、豪快ながらもどこかチャーミングな料理法は、当時から周囲の印象に強く残っていたようです。
若い頃の平野レミさんは、現在と比べてやや落ち着いた雰囲気の写真も見られますが、「自由奔放で明るい性格」は当時から変わっておらず、それが今日までの彼女の個性や魅力の核となっているようです。
見た目や雰囲気は時代と共に変化しても、芯の部分がぶれない姿勢こそ、多くのファンに長く愛されている理由かもしれません。
平野レミのプロフィールや経歴
平野レミさんのコマーシャル
— かめたろう、こっちです🤣🤣🤣👍 (@kamekoutangin) February 6, 2022
見て元気もらったわ😅👍
若いで綺麗でぇ~🤣👍 pic.twitter.com/XQ1C11t4jx
名前:平野レミ
生年月日:1947年3月21日
出身地:東京都
血液型:O型
身長:非公開
詩人でフランス文学者だった父・平野威馬雄さんを持つ平野レミさんは、幼い頃からフランス文化が身近にある家庭で育ちました。
家にはフランス人の来客が頻繁に訪れ、彼らが持参する日本未発売のレコードに触れるうちに、自然とシャンソンの世界に引き込まれていったといいます。
まだ意味もわからないフランス語を発音した際に「上手だね」と褒められたことが嬉しく、いつしか歌そのものに強く惹かれるようになったそうです。
高校を中退したのち、本格的にシャンソンを学び始めた平野レミさんですが、当時の先生からは「お金を稼ぐために歌ってはいけない。お金は汚らわしい」といった哲学的な指導を受けたといいます。
しかし、「月謝を取っておいてそれは矛盾しているのでは?」という素朴な疑問を持ち、レミさんはその信念に反してプロの道を選択。日航ホテルのミュージックサロンのオーディションを受け、見事合格。
華やかに歌手としての第一歩を踏み出しました。
1970年にはシングル「誘惑のバイヨン」でデビューし、当時としては異例の10万枚を売り上げるヒットを記録。
その後、TBSラジオの人気番組『キンキン・ケンケンのそれ行け!歌謡曲』内のコーナーで、久米宏さんのアシスタントを務めるなど、タレントとしても活動の幅を広げていきます。
私生活では、イラストレーター・映画監督・エッセイストとして知られる和田誠さんと結婚。
育児と主婦業に専念していた時期には、夫の仕事仲間に家庭料理をふるまっていたことがきっかけで、料理に関するコラム執筆の依頼が舞い込みます。
これを機に「料理愛好家」としての顔も確立され、テレビや雑誌など各種メディアに再び登場するようになります。
NHK『きょうの料理』では、従来の料理番組の枠を超える自由奔放なスタイルで注目を集め、「レミパン」などの独自アイテムも開発。
SNS上では放送直後に「奇想天外すぎて見逃せない」「もはやパフォーマンス芸」と話題になり、女優の北川景子さんが愛用していることも報じられました。
また、2007年にはディズニー映画『レミーのおいしいレストラン』の日本プロモーションで「料理親善大使」に就任。
2022年には、自身の子育てエピソードを綴ったエッセイ『おいしい子育て』が「第9回 料理レシピ本大賞 in Japan」のエッセイ賞を受賞するなど、文筆家としても評価されています。
さらに近年では、シャンソン歌手としての活動も再開しており、コンサートへの出演など、年齢を重ねてもなお精力的な表現活動を続けています。
こうした多彩なキャリアの背景には、「自分らしく生きることを恐れない姿勢」と「固定概念にとらわれない発想力」があり、料理・音楽・執筆と、ジャンルを越えて愛され続ける理由にもつながっているのかもしれません。
平野レミの所属事務所
平野レミさんは、現在いわゆる芸能事務所には所属していません。
芸能活動に関するマネジメントやオファーの窓口は、息子の和田率(わだ・りつ)さんが代表を務める「remy(レミー)」が担っているようです。
この「remy」は、もともと平野レミさんの“料理愛好家”としての活動をサポートする目的で立ち上げられたプロジェクトで、公式サイト(https://www.remy.jp/)では、オリジナル調理器具やレシピの紹介、イベント情報なども発信されています。
和田率さんは、広告クリエイターとしての実績を持つ人物で、平野レミさんの独自の世界観をビジュアルやコンテンツに落とし込み、メディア展開や商品開発を一貫してプロデュースしてきました。
たとえば「レミパン」はその代表的なプロダクトであり、母と息子がタッグを組む形で誕生しています。
現在はその後継モデル「レミパンプラス」や、さまざまなキッチン用品も展開されており、商品企画やブランド運営をremyが担っています。
また、テレビや雑誌などメディア出演の際も、一般的な芸能マネジメント事務所ではなく、「remy」経由での対応となっているのが特徴です。
個人の表現活動やブランディングが重視される現代において、こうした家族経営型の体制は一つの理想形とも言えそうです。
公式情報においても、「remy」が唯一の活動窓口として明示されており、タレント一覧や事務所連絡先を有するような従来型の芸能プロダクションには属していない点が平野レミさんの特異性でもあります。
このように、平野レミさんの活動スタイルは、従来の芸能界の枠にとらわれない、柔軟でオリジナリティに富んだ運営形態となっており、本人の個性を活かした自由な表現を支える基盤として、remyの存在が大きな役割を果たしています。
平野レミの年収
平野レミさんの正確な年収は公表されていませんが、活動の幅広さを考えると、相当な収入があると考えられます。
料理愛好家として老若男女から支持されているだけでなく、シャンソン歌手としての芸歴、タレントとしてのテレビ出演、そして独自ブランド「remy」を通じた商品展開など、多方面にわたる活躍を続けています。
特に注目されているのが、自身がプロデュースした「レミパン」シリーズです。
初代モデルから改良を重ねた「レミパンプラス」や「レミパンミニ」などは、実用性とデザイン性を兼ね備えたキッチンツールとして人気を博しており、リピーターも多いようです。
これらの調理器具は通販サイトや百貨店などで幅広く取り扱われており、売れ行きの好調さが伝えられることもあります。
また、著書やエッセイも多数出版しており、特に『おいしい子育て』は料理レシピ本大賞のエッセイ賞を受賞するなど高い評価を受けています。
テレビやラジオ、雑誌での出演料に加え、講演会やイベント出演などもあることを踏まえると、全体的な収入はかなり多岐にわたるといえます。
公的な数字は明かされていないものの、これらの収益を総合すると、年収は数千万円規模に達している可能性も十分にあります。
SNS上でも「レミパンは定番」「本を読んでファンになった」などの声が多く見られ、根強い支持層があることからも、安定した収益構造がうかがえます。
ただし、具体的な数字がない以上、あくまで推測の域を出るものではなく、参考程度にとどめておくのが適切でしょう。
とはいえ、活動の質と量から見て、平野レミさんが一流の“表現者”として多方面から信頼されていることは間違いありません。
平野レミの学歴
料理愛好家としてだけでなく、歌手やタレントとしても幅広く活躍している平野レミさん。
型にはまらない自由な発想や、独自の表現力が印象的ですが、その感性はどのような学生時代を経て育まれたのでしょうか。
平野レミさんの出身小学校から高校・最終学歴までを振り返ると、家庭環境や本人の素質だけでなく、学校生活の中でも彼女らしさが随所に表れていたことが見えてきます。
ここでは、平野レミさんの学歴とあわせて、学生時代のエピソードについても詳しくご紹介します。
平野レミの出身小学校
平野レミさんは、松戸市立上本郷第二小学校出身です。
小学生の頃、家にあった食材を組み合わせてグラタンを作ってみたところ、とても美味しく仕上がったという経験が、料理に興味を持つきっかけになったといいます。
この頃からすでに創造力豊かで、自分で考えて行動する好奇心旺盛な性格だったことがうかがえます。
平野レミの出身中学
小学校卒業後は、松戸市立第二中学校に進学しました。
中学時代は卓球部に所属し、部活動にも積極的に取り組んでいたようです。
特に印象的なエピソードとして語られているのが、部活の夏合宿での「カレー事件」。
キャンプでカレーを作る際、平野レミさんが調理担当となり、大鍋に大量のカレー粉を加えたところ、あまりにも辛くなってしまったそうです。
この出来事は今でも同窓会で語られるほどの“伝説”となっているとのことで、当時から人を驚かせる大胆な感性が際立っていたことがわかります。
平野レミの出身高校
中学校卒業後は、東京都立上野高等学校に進学しました。
偏差値は60前後とされる進学校で、学力的にも一定のハードルがある高校です。
もともと成績優秀というよりは、「親戚がみんな上野高校に通っていたから」という理由で受験を決意し、勉強に励んだ結果、合格を勝ち取ったという背景があります。
しかしながら、校風や環境に馴染めなかったことから途中で中退。
その後、自分の感性を活かせる環境を求め、自由で芸術教育にも力を入れていた文化学院に転校し、同校を卒業しました。
文化学院は長年にわたり多くの文化人を輩出してきた名門校でしたが、残念ながら2018年に閉校となっています。
平野レミの出身大学
文化学院卒業後、平野レミさんは大学には進学していません。
文化学院は高卒資格が取得できない教育機関であったため、進学を前提とした進路ではなかったようです。
その代わり、在学中からシャンソンに傾倒し、芸能活動に足を踏み入れていくことになります。
大学に進学しなかったことがマイナスではなく、むしろ自由な学びの環境の中で個性を伸ばし、後の表現活動につながっていったという点が、平野レミさんらしいキャリアの始まりだといえるでしょう。
まとめ
シャンソン歌手として芸能界に入り、料理愛好家として独自の道を切り拓いてきた平野レミさん。
自由奔放なキャラクターや発想力の裏には、学生時代から培われた柔軟な感性や、自分の信念を貫く姿勢がありました。
高校・大学にまつわる経歴や、現在の活動スタイル、所属事務所や年収に至るまで、多彩な視点から平野レミさんの人物像をたどってみると、どの時代も「自分らしく生きる」ことを大切にしてきたことが伝わってきます。
これからも、テレビやイベントで見せる驚きと笑いに満ちた活躍から目が離せませんね。
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