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内田也哉子の両親の葬儀の弔事や喪主挨拶が話題!生い立ちがやばい?

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エッセイストや女優、歌手とマルチに活動している内田也哉子さんは、女優の樹木希林さんとミュージシャンの内田裕也さんの一人娘として誕生しました。

2018年と2019年に両親を亡くした内田也哉子さんですが、二人とはどんな生活を過ごしていたのでしょうか。

今回は、内田也哉子さんの両親について調べてみました。

内田也哉子の母親は樹木希林

内田也哉子さんおお母さんは、女優の樹木希林さんです。

樹木希林さんは1961年に文学座一期生として付属演劇研究所に入り、「悠木千帆」名義で女優活動をスタート、1966年に文学座を退団してからは「樹木希林」として多くのドラマや映画に出演しました。

これまでに日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、報知映画賞主演女優賞などの賞も受賞しています。

そんな樹木希林さんは内田也哉子さんにとって「厳しい母」だったそうで、「私にとって母は、ものすごく強い、絶対的なもの」と語っていました。

樹木希林の葬儀で内田也哉子の喪主挨拶が話題

樹木希林さんは、2018年9月15日に75歳で亡くなりました。

東京都港区南麻布の光林寺にて葬儀が執り行われた際には、夫の内田裕也さんが喪主を務めています。

ただ内田裕也さんも高齢で車椅子での参加だったということもあり、娘の内田也哉子さんが最後の挨拶を行いました。

内田也哉子さんは、「私が唯一親孝行できたとすれば、本木さんと結婚したことかもしれません」という言葉を残しています。

内田也哉子の父親は内田裕也

内田也哉子さんのお父さんは、ミュージシャンの内田裕也さんです。

内田裕也さんは1959年に日劇ウエスタンカーニバルで本格的にデビュー、「内田裕也とザ・フラワーズ」のヴォーカリスト、フラワー・トラベリン・バンドのプロデュース活動などを経て、1970年代後半からは俳優としても活動していました。

内田也哉子さんが物心ついたときにはすでに両親が別居しており、内田裕也さんとは年に1~2回会う程度だったそうです。

そのため内田裕也さんについては、「会う時は常に怒っているか酔っ払っているか、誰かを論破しようとしているかなので、とにかく「怖い」というイメージが固定されていた」と明かしています。

内田裕也の葬儀の内田也哉子の弔事が話題

内田裕也さんは、2019年3月17日に79歳で亡くなりました。

青山葬儀場でお別れの会「ロックンロール葬」が開かれた際、内田也哉子さんは喪主で遺族代表として謝辞を述べていました。

内田也哉子さんの言葉に、ネット上では「涙が流れた」などという声が多く寄せられました。

内田也哉子の生い立ちがやばい?

1976年2月11日に誕生した内田也哉子さんは、幼い頃から樹木希林さんと二人で生活していました。

家での食事は極めて質素で一汁一菜とお漬物、分厚い木の蓋を載せた鉄釜で玄米を炊くという日本昔話のような生活で、子供の頃おもちゃを買ってもらったこともなく、服もいつもお下がりだったため、内田也哉子さんは「うちは貧乏なんだ」と思っていたそうです。

しかし中学生に入る頃にたまたまとヨウジヤマモトの店の前を通りかかった時、樹木希林さんは内田也哉子さんに「あなたも黒いスーツを持っていたほうがいいわね」と言い、初めてブランド店に入った内田也哉子さんが目移りしていると全部買ってくれたのでした。

この時、樹木希林さんがお財布からお札を出すのを見て、「うちは貧乏だったわけじゃないんだ」と初めて知ったと明かしています。

そんな内田也哉子さんは幼稚園に入る頃、内田裕也さんが一方的に離婚届を提出したことで樹木希林さんは裁判を起こし、マスコミの人が自宅に押し掛けてきて大騒ぎになりました。

このことがきっかけで近所の幼稚園から入園を断られ、インターナショナルスクールに通うことになりました。

そして内田也哉子さんは両親のことは絶対に明かさず、匿名性を守りながら生きていたそうです。

まとめ

お母さんが女優、お父さんがミュージシャンという環境で育った内田也哉子さんは、決して「芸能人の子供だから」と甘やかされた生活を送っていたわけではありません。

偉大だった両親は空の上に旅立ってしまいましたが、これからも内田也哉子さんらしく、前を向いて歩んでいってほしいと思います。

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