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黒柳徹子の家系図がすごい!実家や父親と母親兄弟についても調べてみた

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長年テレビで活躍している女優でタレントの黒柳徹子さんは、どんな家庭で育ったのでしょうか。

両親や兄弟は何をしている人なのか、気になりますね。

今回は、黒柳徹子さんの実家や家族について調べてみました。

黒柳徹子の家系図がすごい!

黒柳徹子さんは、お父さんが音楽家という家庭で生まれ育ちました。

父方の祖父は医者でカトリック本所教会の長老を務めていた田口潔矩さんで、伯父には松竹蒲田撮影所の初代所長の田口桜村さんや、日本ニュース社のニューヨーク支社長やアメリカ・メトロニュースの極東代表を務めた田口修治さんがいます。

母方の門山家は代々松山藩の家臣で、曽祖父・門山周智さんは東京で医学修業ののち故郷の山形県松山町(現・酒田市)で開業、町会議員も務めた人物です。

黒柳徹子の実家

黒柳徹子さんは、東京府東京市(現・東京都)赤坂区乃木坂で生まれました。

その後、お父さんの音楽の練習場が洗足池近くに移ったため、旧東急目蒲線洗足駅に近い大森区北千束町で生活していたそうです。

黒柳徹子の生い立ち

1933年8月9日、黒柳徹子さんは黒柳家の長女として誕生しました。

両親は男の子が生まれるものだと思い込んでおり、「徹」という名前を考えていたものの、実際に生まれたのが女の子だったためやむを得ず「子」をつけて「徹子」にしたそうです。

そんな黒柳徹子さんは「落ち着きがない」と小学校を1年で退学させられたものの、転校先ではのびのびと生活を送り、将来はオペラ歌手を目指していました。

しかし音楽学校に通う中で自身がオペラ歌手になれないとわかり、「自分の子どもに人形劇や絵本の読み聞かせを上手にできるお母さんになろう」と思い立ち、「ひょっとしたら絵本の読み方も教えてくれるかもしれない」と新聞で見かけたNHK放送劇団の俳優募集の広告に応募したのです。

約6000人の応募者の中から第6次までの審査を経て、見事黒柳徹子さんは13人の劇団員の1人として選ばれ、1953年1月にNHK放送劇団の一員となり、テレビ女優の第一号としてデビューしました。

黒柳徹子の父親

黒柳徹子さんのお父さんは、音楽家でヴァイオリニストの黒柳守綱さんです。

黒柳守綱さんは、1937年1月に新交響楽団(NHK交響楽団の前身)のコンサートマスターに就任、1942年からは東京弦楽四重奏団としても活動し、毎日新聞優秀演奏家賞を受賞しました。

戦争を経て1949年末に帰還し、東京交響楽団のコンサートマスターに就任しています。

そんなお父さんは、1983年4月30日に74歳で亡くなりました。

黒柳徹子の母親

黒柳徹子さんのお母さんは、エッセイストの黒柳朝さんです。

黒柳朝さんは、黒柳徹子さんの著書『窓ぎわのトットちゃん』がベストセラーになったことで世間からの注目が集まり、雑誌『主婦と生活』内で自伝エッセイ『チョッちゃんが行くわよ』の連載を始めました。

1984年には自伝『チョッちゃんが行くわよ』を出版しベストセラーになると、NHK連続テレビ小説『チョッちゃん』としてドラマ化され、1993年刊行の自伝『チョッちゃん物語』は1996年にアニメ映画化されています。

お母さんは2006年8月16日に96(満95)歳で亡くなっており、翌9月に最後の著書『チョッちゃんは、もうじき100歳』が出版されました。

黒柳徹子の兄弟や姉妹

黒柳徹子さんには、弟さんが2人、妹さんが1人います。

黒柳家の長男である黒柳明兒さんは、1944年5月に敗血症で亡くなりました。

黒柳家の次男はヴァイオリニストの黒柳紀明さんと言い、1962年に読売日本交響楽団に入団、その後ケルン、ロッテルダムを経て、1971年にNHK交響楽団入団しました。

2000年に退団した後は、フロイデフィルハーモニーで第二ヴァイオリンのトップを務めています。

黒柳家の次女は元バレリーナで美容師・エッセイストの黒柳眞理さんと言い、プロバレリーナとして活躍していたものの、19歳の時に足首の捻挫でバレリーナの活動を終えました。

その後お母さんの勧めで美容学校に入学し美容師免許を取得、元野球選手・井石礼司さんとの結婚と離婚を経験し美容師に転身、北海道のテレビ番組でコメンテーターとしてメディアに出演していました。

まとめ

黒柳徹子さんは、両親の多彩な才能を受け継いでいるからこそ、芸能界でもマルチに活動することが出来ているのだと思います。

これからも黒柳徹子さん、そして兄弟の活躍に注目していきたいですね。

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