ナイツの塙宣之さんといえば、柔らかな語り口と鋭いツッコミでおなじみですが、実は兄が芸人のはなわさんだというのをご存じでしょうか。
はなわさんの楽曲『佐賀県』の影響で、「塙家=佐賀出身」というイメージを持たれがちですが、実家の所在地や生まれ育った場所には意外な事実があります。
ふたりがどんな家庭で育ち、それぞれどのようにして芸人の道を選んだのか――背景には、個性豊かな父親と母親の存在もありました。
穏やかで控えめな父と、明るく世話好きな母。その家庭像を知ると、塙さんの芸風や人柄がより深く理解できるかもしれません。
今回は、ナイツ塙さんの兄弟関係や実家の場所、両親とのエピソードを通じて、塙家のルーツにじっくり迫ります。
ナイツ塙宣之の兄ははなわ!
婆ちゃんがブツブツ言っていました
— 水野博愛🌎🔴【公認】 (@yokohamahawaii) July 21, 2023
『このはなわと言う兄ちゃんと
ナイツとか言うコンビの塙宣之とか言う兄ちゃんは名前も似ておるけんが顔も似とるのぅ』
イヤイヤ婆ちゃん アレ実の兄弟なんだよ…と言いそびれてしまいました🤣 pic.twitter.com/EnYaTfmA5n
塙宣之さんのお兄さんは、お笑いタレントのはなわさんです。
ベースを弾きながら漫談を繰り広げる独自のスタイルで知られ、1997年に芸人としての活動をスタート。
2000年代初頭にはNHK『爆笑オンエアバトル』などに出演し、松井秀喜さんのモノマネやご当地ネタを取り入れた漫談で注目を集めました。
中でも2003年にリリースされたシングル『佐賀県』は、ユニークな歌詞とインパクトのあるメロディで一躍話題に。
累計で約25万枚を売り上げ、『第54回NHK紅白歌合戦』にも出場するなど、全国的な知名度を獲得しました。
子ども時代、塙宣之さんは兄のはなわさんによく嘘をつかれていたというエピソードもあり、ユーモアあふれる家庭環境で育った様子がうかがえます。
それでも兄弟仲は非常に良好で、現在でもバラエティ番組やイベントなどで度々共演しています。
とくに日本テレビ系『しゃべくり007』や『ヒルナンデス!』では、互いにツッコミ合う軽快なやりとりが見られ、兄弟ならではの息の合った掛け合いにファンからも好評の声が多く寄せられています。
また、はなわさんは音楽活動のかたわら、3児の父としての子育てエピソードや家族との生活をYouTubeチャンネルやブログで公開しており、家族思いな一面も支持されています。
そうした中で弟・塙宣之さんとの関係も時折触れられており、芸人としてだけでなく家族としての信頼関係も感じられる場面が見受けられます。
このように、塙宣之さんとはなわさんは、共に芸人として異なる道を歩みながらも、兄弟としての強い絆を保ち続けているようです。
ナイツ塙宣之は三兄弟末っ子でもう一人兄がいる
塙宣之さんは、三兄弟の末っ子として生まれ育ちました。
次兄はタレントのはなわさんとして広く知られていますが、長男は芸能活動とは無縁の一般人です。
そのため、名前や顔写真、職業などの詳細な情報は公表されておらず、メディアに登場したこともありません。
かつては大学受験に失敗し、進路に迷っていた時期もあったそうですが、転機となったのは塙宣之さんの結婚式。
受付係を担当した際に、塙宣之さんの妻の親友と出会い、交際を経て結婚に至ったといわれています。
この出来事をきっかけに精神的にも前向きになり、それ以降は仕事にも真剣に取り組むようになったとのことです。
また、家庭を持ったことで生活も安定し、兄弟との関係も一層深まったようです。
はなわさんや塙宣之さんとの絆は変わらず強く、現在も兄弟3人で仲良く交流を続けているとされています。
芸能界に身を置く兄2人とは異なり、長男は表舞台に立たない人生を選んでいますが、その分、家庭内では穏やかでしっかり者の存在として家族を支えているのかもしれません。
このように、ナイツ塙さんの家族構成には、表には出てこないながらも重要な役割を担う兄の存在があり、兄弟それぞれの個性と歩んできた道がうかがえます。
兄弟愛に支えられた家庭環境こそが、塙さんの穏やかで人懐っこい芸風の土台になっているのかもしれません。
ナイツ塙宣之の実家は佐賀ではなく千葉
塙宣之さんは、千葉県我孫子市つくし野の出身です。
出生地も我孫子市で、小学生の頃までは千葉で過ごしていました。
その後、10歳のときに家族で佐賀県佐賀市へ引っ越し、高校卒業までの青春時代を佐賀で過ごしています。
このため、塙さん自身の「ふるさと」の記憶には千葉と佐賀の両方が存在しており、それぞれに思い入れがあるようです。
世間では「佐賀出身」と思われがちですが、その印象を強くしたのが、兄・はなわさんの代表曲『佐賀県』の影響です。
2003年にリリースされたこの楽曲は、佐賀のあるあるネタをユーモアたっぷりに歌い上げたもので、塙家のルーツまでも世間に知らしめる結果となりました。
とはいえ、実際の戸籍上の実家は現在も千葉県にあるとされており、佐賀はあくまで一時的な居住地だったようです。
また、塙宣之さんは千葉の我孫子高校に在籍していたという噂もありますが、これは誤情報で、実際には佐賀県立佐賀東高等学校の卒業生です。
本人も過去のラジオやインタビューで「佐賀には高校まで住んでいた」と明かしており、芸人としてデビューするまでは九州での生活がベースでした。
こうした背景から、「千葉生まれ・佐賀育ち」という表現がもっとも的確かもしれません。
ナイツ塙さんの話しぶりからは、関東の落ち着いた語り口と、佐賀で育まれた人懐っこい感覚の両方が感じられます。
地元に関する話題では、自身の出身や生活拠点を明確に使い分けて語っており、千葉と佐賀のどちらにも感謝と愛着を持っていることが伝わってきます。
ナイツ塙宣之の生い立ち
1978年3月27日に千葉県で誕生した塙宣之さんは、芸能一家とは無縁の、ごく一般的な家庭で育ちました。
父親はかつて教師を務めていたことがあり、母親は専業主婦。
兄弟3人の末っ子として生まれた塙さんの家庭には、決して“お笑い一家”と呼ばれるような空気はなかったそうです。
学生時代は特に目立つ存在ではなく、どちらかといえば大人しい性格だったとのこと。
学校帰りに友達と寄り道することも少なかったと語っており、地味な日常の中で唯一の楽しみが、テレビで見る『ドリフターズ』や『志村けんのだいじょうぶだぁ』などのお笑い番組だったそうです。
とくに志村けんさんへの憧れが強く、のちに「志村さんがいなかったら芸人になっていなかった」と語るほど、彼の影響は大きかったといいます。
思春期に入る頃、家庭内には進路をめぐる複雑な空気も流れていたようです。
長男は大学受験の失敗から一時的に塞ぎ込み、次兄のはなわさんは「芸人になりたい」と堂々と宣言。
その中で塙宣之さんも同じ夢を抱いていましたが、家庭の状況や兄の存在を前に「自分も芸人を目指したい」とは言い出せず、家族には黙ったままこっそり芸人としての活動を始めることになります。
その後、創価大学に進学し、卒業後に後輩だった土屋伸之さんを誘って「ナイツ」を結成。
2001年の結成当初から「ツッコミ」としての腕を磨き、2008年には『M-1グランプリ』で決勝に進出するなど、着実に実力派コンビとしての地位を確立していきました。
土屋さんとの関係性も、年齢差を超えて信頼し合えるパートナーとして築かれており、長年にわたって第一線で活躍できている理由のひとつともいえます。
内向的だった少年が、家庭への遠慮や葛藤を抱えながらも夢を追い続け、結果的に全国区の芸人へと成長していった歩みには、静かな芯の強さと誠実な努力がにじんでいます。
ナイツ塙宣之の父親
塙宣之さんの父親は芸能活動などはしていない一般人で、職業はサラリーマンでした。
若い頃から一貫して同じ会社に勤め、定年まで地道に働き続けたそうです。
その堅実な働きぶりは、塙さん兄弟の価値観にも大きく影響を与えているようで、塙宣之さんは「父はとても真面目で、怒ったところを一度も見たことがない」と語っています。
また、塙さんの父親は一時期、学校の教員として勤務していた時期もあったという情報もあり、人に教えることや社会規範を重んじる姿勢が、家庭内にも自然と根付いていたのかもしれません。
そうした穏やかで規律を大切にする家庭環境の中で育ったことが、塙宣之さんのおおらかで優しい人柄の土台になっていると考えられます。
さらに、父親の存在は、芸人としての塙宣之さんのスタイルにも影響を与えています。
ナイツの漫才では、過激な笑いではなく言葉遊びや教養的なユーモアが中心ですが、こうした品のある芸風は、家庭で培われた価値観に基づくものだとする見方もあります。
本人も「父のように黙々と地道に努力するタイプの人間でいたい」とインタビューで語ったことがあり、父への尊敬と影響の深さがうかがえます。
表に出ることはないながらも、塙さんの父親は、静かに家族を支えてきた存在であり、子どもたちの生き方や仕事への姿勢に確かな影響を残しているようです。
ナイツ塙宣之の母親
塙宣之さんの母親も、芸能界とは無縁の一般の方です。
父親が穏やかで寡黙なタイプだったのに対し、母親は明るくておしゃべり好き、いわゆる「チャキチャキした江戸っ子気質」のような、面倒見のいい性格だったといわれています。
塙さん自身もテレビやラジオで、母親について「とにかくよくしゃべる」「いつも笑っている」といった表現で語っており、家庭内でもムードメーカー的な存在だったことがうかがえます。
特に子どもたちの教育や身の回りのことには熱心で、3人兄弟それぞれの個性に合わせて接していたそうです。
長男の進路で悩んだ時期や、はなわさんが芸人を志したときも、母親は感情を大きく表に出さず、どっしりと受け止めていたというエピソードもあります。
また、ナイツ塙さんが芸人としての第一歩を家族に隠して踏み出したときも、のちにその事実を知った母親は怒るどころか「よく頑張ってたね」と励ましてくれたそうで、その包容力に救われたという話も印象的です。
現在もメディアに顔出しすることはありませんが、塙さんやはなわさんのトークの中に度々登場し、ユーモアあふれるエピソードで親しまれています。
家族を温かく見守りながら、それぞれの挑戦を後押ししてきた存在として、塙家の原動力になっていたのは間違いありません。
ナイツ塙宣之のいとこも話題
はなわ&ナイツ塙兄弟のいとこ・慶くんが『アウトデラックス』が登場「尾崎豊が…」 https://t.co/SgGpXO9Seb pic.twitter.com/iSkl3HJDOO
— 最新芸能ナビ速報! (@beautifulmegami) February 21, 2019
塙宣之さんのいとこである慶(けい)さんは、一般人ながらメディアにも登場し、その独特な存在感からたびたび話題となっています。
はなわさんのブログやバラエティ番組などでも取り上げられ、「尾崎豊さんに似ている」と評されたこともある中性的なルックスも注目のひとつです。
慶さんはもともと女性として生まれ、結婚・出産を経験したのち、自らの内面に向き合い、「昔から女性を好きになってしまう」「自分の心は男性だ」とカミングアウト。
現在は戸籍上の性別を変更し、男性としての人生を歩んでいます。
そうした経緯を自らの言葉で語り、性の多様性や生きづらさへの理解を広める存在としても注目されています。
さらに、慶さんは不思議な感性を持つことでも知られており、「霊感がある」「人のオーラが見える」といったエピソードも語られています。
趣味として占いも行っており、その的中率が身内の間で話題になるほどだったとか。
本人はプロの占い師ではありませんが、スピリチュアルな感覚に優れた人物として、周囲から一目置かれる存在のようです。
こうした慶さんのユニークなキャラクターが注目され、日本テレビ『はなわ音楽会』やフジテレビ系『アウト×デラックス』などのバラエティ番組にも出演経験があります。
塙宣之さんも慶さんのことを「最終兵器」と冗談交じりに評しており、家族の中でもひときわ異彩を放つ存在であることがうかがえます。
一般の方でありながら、家族やメディアを通じてその存在感を発揮してきた慶さん。
時代の変化とともに、その生き方や考え方にも共感が集まっており、多様性を象徴する人物のひとりとして注目を集めています。
まとめ
ナイツ塙宣之さんは、一般的な家庭に生まれ育ちながらも、自身の道を静かに切り拓き、お笑い界で確かな地位を築いてきました。
芸人として先にブレイクした兄・はなわさんとは、それぞれ異なるスタイルで活動しつつ、テレビや舞台での共演を通じて兄弟ならではの温かい絆も垣間見えます。
佐賀のイメージが強い塙さん一家ですが、実際のルーツは千葉県にあり、ご両親もそれぞれ個性豊かな魅力を持つ方々でした。
落ち着いた父親と、明るく面倒見のよい母親に支えられた家庭環境が、塙さんの人柄や芸風に影響を与えているのかもしれません。
芸能一家というわけではないからこそ、兄弟それぞれが築いてきた道のりには、共感を覚える方も多いのではないでしょうか。
これからも兄弟それぞれの持ち味を活かしながら、お笑いの世界をにぎやかにしてくれることを期待したいですね。
興味を持たれた方は、はなわさんの家族構成や、ナイツ土屋さんの素顔についてもあわせてチェックしてみてください。
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