ドラマ『ずっとあなたが好きだった』で注目を集め、その後も正統派演技からコミカルな演技までこなす俳優の佐野史郎さんは、多数のドラマや映画に出演しています。
そんな佐野史郎さんとはどんな人なのでしょうか。
今回は、佐野史郎さんの経歴や出身学校、性格について調べてみました。
佐野史郎のプロフィールや経歴
生年月日:1955年3月4日
出身地:島根県 (出生地:山梨県)
血液型:B型
身長:176cm
趣味:料理・読書・エレキギター・音楽鑑賞・居合道・スキューバダイビング
特技:絵画・作詞作曲・ギター・ウクレレ
所属事務所:アベベネクスト
代々医者を勤めてきた医家に誕生した佐野史郎さんは、生後2カ月で東京練馬区に引っ越し、小学1年生の時、父が実家の医院を継ぐため島根県松江市に移りました。
中学の時に理数系の科目は全般苦手で、中途半端は嫌だからと医者の道は諦めたそうで、その後は高校、大学へと進み、「面白い世界に触れていたい」という思いから劇団「シェイクスピア・シアター」に創設メンバーとして参加しました。
1980年に唐十郎さん主宰の「状況劇場」に移り、1984年まで在籍すると、ロックバンド「タイムスリップ」を結成し、ミュージシャンへと転身します。
しかしライブの打ち上げで、偶然林海象監督と出会い「自分のデビュー作に主演で出てほしい」と声を掛けられたことで映画『夢みるように眠りたい』で映画初主演を果たし、再び役者として活動するようになりました。
1992年に放送されたドラマ『ずっとあなたが好きだった』で一気に知名度を上げ、数々の作品に出演、脇役が多かったものの、2018年には『限界団地』で連続テレビドラマ初主演を果たしています。
冬彦さん役で一躍有名に!
佐野史郎さんの代表作として挙げられるのが、1992年のドラマ『ずっとあなたが好きだった』です。
佐野史郎さんはこの作品で、マザコンでオタクのエリート銀行員の冬彦役を演じました。
狂気を秘めた佐野史郎さんの演技が話題を集めて最高視聴率34.1%を記録、「冬彦さん」や「マザコン」は流行語大賞にえらばrました。
当時のプロデューサーによると、このドラマは「『ロミオとジュリエット』みたいな話にするはずだった」とのことでしたが、とあるワンシーンで、冬彦さんが指から出血したカットがありました。
そこで彼の母親役を務める野際陽子さんが突然、口でその血を止血して見せたのですが、それがアドリブだったことからプロデューサーが「この方向性でいこう!」と決意して急遽、冬彦さんのマザコンキャラ押しを始めたそうです。
佐野史郎さんは冬彦役を演じることについて「冬彦を演じることに迷いは、全然なかった。時代背景を探りながら演じていったつもりです」と明かしていました。
佐野史郎の学歴
佐野史郎さんが通っていた学校について調べてみました。
佐野史郎の出身高校
島根大学教育学部附属中学校を卒業した佐野史郎さんは、島根県立大東高等学校に進学しましたが、数ヶ月で中退し、受験をし直して島根県立松江南高等学校に入学しました。
中学卒業時に友人にギターを教えてもらったことがきっかけで、高校ではアコースティックバンドを結成、文化祭、他校の文化祭、島根県民会館のステージ、ラジオの公開放送に出演するなど音楽活動を主に行っていました。
佐野史郎が通った専門学校
高校を卒業した佐野史郎さんは、武蔵野美術大学を受けていましたが、落ちてしまったため美学校・中村宏油彩画工房に進学します。
マニエリスムや空気遠近法を学んでいたそうですよ。
佐野史郎の性格がヤバい?
冬彦さんでブレイクしたため、佐野史郎さんのイメージも「粘着質なマザコン」と言われることが多いそうですが、実際の佐野史郎さんもネチネチとした粘着質で根暗な一面があります。
車を運転している付き人に対して数日前の運転へのダメ出しをしたり、家庭でも納得がいかないことがあると3~4時間話すそうですよ。
ただ佐野史郎さんが自身の不注意で手首を少し切ってしまった時には、一人で大騒ぎをし救急車を呼んだという小心者な一面もありますが、仕事に対してはとてもまじめに取り組んでいます。
まとめ
「冬彦さん」を演じたことで知名度が上がった佐野史郎さんは、ブレイクするまで医者を目指して勉強していたり、絵を学んだり、音楽活動をしていたりと様々なことをしていました。
今は役者として成功していますが、挫折したこともたくさんあったようですね。
ただ色んな道を歩んできたからこそ、それが多彩な演技を生み出しているのかもしれません。
今後も佐野史郎さんの演技に注目していきたいと思います。