「一世風靡セピア」のメンバーとして一躍脚光を浴び、その後は俳優として数々の話題作に出演してきた柳葉敏郎さん。
彼が芸能界を目指すきっかけとなった出来事や、これまで歩んできた経歴にはどんなエピソードがあるのでしょうか。
現在もドラマや映画で活躍を続ける一方、地元秋田に根ざした活動も行っており、ベテラン俳優ならではの存在感を放っています。
今回は、柳葉敏郎さんの芸能界入りの経緯や所属事務所、さらに気になる年収についてもまとめてご紹介します。
柳葉敏郎の若い頃は一世風靡セピアで活躍
「一世風靡セピア」
— kahO.F (@an6mon4ten) June 13, 2023
哀川翔さん
柳葉敏郎さん
リーダーの小木茂光さん
みんな若いですね
原宿の歩行者天国😊 pic.twitter.com/rEdgoZpHcw
柳葉敏郎さんは俳優としての知名度が高いですが、若い頃は音楽ユニット「一世風靡セピア」のメンバーとして芸能界に登場しました。
このグループは1980年代に渋谷を拠点に活動していた路上パフォーマンス集団「劇男一世風靡」から派生したもので、1984年に本格的な音楽活動をスタートしています。
デビュー当時は斬新なダンスと勢いのある歌唱スタイルで一躍注目を集め、当時の若者文化を象徴する存在となりました。
代表曲は「前略、道の上より」をはじめ、数々のヒットを飛ばし、テレビ出演やイベントでも大きな話題を呼んでいます。
柳葉さんも端正なルックスと力強いパフォーマンスで人気を博し、俳優活動に入る前からファン層を広げていきました。
グループは1989年に解散しましたが、その後の芸能界での活躍につながる大きな足掛かりとなり、柳葉さん自身にとっても貴重な経験だったと言えます。
柳葉敏郎と哀川翔の関係
大御所ベテラン女性声優かと思ったら哀川翔だった pic.twitter.com/rBbzmcLdHO
— 加味條 (@jake_kamijo) September 27, 2023
柳葉敏郎さんと哀川翔さんは「一世風靡セピア」の仲間として共に青春時代を駆け抜けました。
若い頃はエネルギーが有り余っていたこともあり、意見がぶつかって激しい口論や喧嘩になることも珍しくなかったといいます。
グループの活動は一筋縄ではいかないことも多く、互いに真剣だったからこそ衝突も生まれたのでしょう。
しかし年月を経てそれぞれが俳優として確かなキャリアを築き、現在では公私ともに信頼を寄せ合う間柄になっています。
柳葉さんが哀川さんを「翔ちゃん」と呼び、哀川さんが柳葉さんを「ジョニー」と呼ぶエピソードは有名で、長年の友情の深さを物語っています。
過去のぶつかり合いさえも二人の絆を強める経験になったと考えられ、今なお互いをリスペクトし合う関係が続いていることは、ファンにとっても嬉しいエピソードとなっています。
柳葉敏郎と勝俣州和の関係
勝俣も知らなかった
— 勝俣かっちゃんねる🌈公式 (@katsumatayoutub) October 1, 2022
一世風靡セピア伝説✨
柳葉敏郎②https://t.co/yNvryy6T9n pic.twitter.com/H1TPpz1nQu
柳葉敏郎さんと勝俣州和さんの出会いは「劇男一世風靡」時代にさかのぼります。
二人は先輩・後輩の関係で、初めて顔を合わせたのは芝居の稽古の場でした。
その際、勝俣さんが勢い余って長テーブルをひっくり返してしまい、偶然にもそれが柳葉さんの足を直撃。
左足の親指を剥離骨折するというアクシデントが起きたのです。
当時は「一世風靡セピア」として全国ツアーの真っ最中で、柳葉さんはギプスをつけながらもステージに立ち、なんとバク宙まで披露したといいます。
このエピソードからも、柳葉さんのプロ意識と根性の強さが伝わってきます。
初対面での印象は決して良いものではありませんでしたが、その後も芸能界で関わりを持ち続け、現在では同じ事務所に所属する仲間として交流を深めています。
勝俣さんのYouTubeチャンネルに柳葉さんが出演するなど、公私ともに良好な関係を築いていることが伺え、長年にわたる信頼関係が垣間見えるエピソードとなっています。
柳葉敏郎は干された?
柳葉敏郎さんが「干されたのでは?」と噂される背景には、かつての全盛期と現在の露出の差があります。
90年代から2000年代初頭にかけては人気ドラマや映画に立て続けに出演し、常に第一線で活躍していましたが、近年は出演本数が絞られ、主演や主要キャストではなく脇を固める役柄が増えています。
そのため一部の視聴者から「テレビで見なくなった」と感じられたのでしょう。
しかし実際には活動が途切れたことはなく、映画・ドラマともにコンスタントに出演しており、2023年にはNHK連続テレビ小説『ブギウギ』でヒロインの父親役を好演しました。
さらに地元・秋田との縁も深く、秋田テレビで放送されている『柳葉敏郎のGIBAちゃんとGOLFへGO!』など、地域色の強い番組にも出演しています。
派手な露出は減ったものの、俳優としての立ち位置はむしろ安定しており、自身が納得できる役柄を選びながら長いキャリアを積み重ねているといえます。
ベテラン俳優として求められる存在感や演技力は今も健在であり、「干された」というよりは、活動の幅や方向性を自ら選んでいると考える方が自然でしょう。
柳葉敏郎のプロフィールや経歴
おはようございます!
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) January 2, 2022
本日1月3日は、
俳優/柳葉敏郎さんの誕生日です!
おめでとうございます!!
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名前:柳葉敏郎
生年月日:1961年1月3日
出身地:秋田県
血液型:O型
身長:171cm
所属事務所:融合事務所
柳葉敏郎さんの芸能人生は、挑戦と転機の連続でした。
きっかけとなったのはオーディション番組『スター誕生!』で、テレビ予選に挑むも惜しくも落選。
しかしその経験が原動力となり上京し、劇団ひまわりに所属します。
さらに渋谷のディスコ仲間とともに路上パフォーマンスを行っていた「劇男零心会」に参加し、そこから発展した「劇男一世風靡」、そして派生ユニット「一世風靡セピア」のメンバーとして歌手デビューを果たしました。
パワフルなパフォーマンスで人気を集める一方、バラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』に教師役・良川先生として出演し、幅広い層に親しまれました。
「一世風靡セピア」の解散後は俳優としての道を本格化させ、数々のドラマや映画に出演。
特に1997年スタートの『踊る大捜査線』シリーズで演じた室井慎次役は代表作となり、2005年にはスピンオフ映画『容疑者 室井慎次』で主演を務め、大ヒットを記録しました。
アイドル的存在から演技派俳優へと成長していった柳葉さんの経歴は、挑戦を重ねることで確固たる地位を築いてきたことを物語っています。
柳葉敏郎の本名
柳葉敏郎さんは芸名ではなく、本名で活動しています。
出生時の名字は「山田」でしたが、母親の再婚により継父の姓を受け継ぎ「柳葉」となりました。
芸能界では本名をそのまま名乗るケースは珍しくなく、柳葉さんの場合も自身の歩んできた人生の一部が名前に反映されているといえるでしょう。
デビュー当初から「柳葉敏郎」という名前で活動を続けてきたことで、ファンにとっても馴染み深く、現在では俳優としての存在感とともにその名が広く浸透しています。
柳葉敏郎の所属事務所
柳葉敏郎さんが所属しているのは「融合事務所」という芸能プロダクションです。
この事務所は俳優を中心に多くのタレントを抱えており、同じ「劇男一世風靡」出身の勝俣州和さんや、団長を務めていた平賀雅臣さん、さらに数々の映画やドラマで活躍する木村多江さんなども所属しています。
事務所全体として演技派の俳優を数多くサポートしていることから、柳葉にとっても安定した活動基盤となっているといえるでしょう。
デビュー当初からの縁や仲間とのつながりが続いていることも、長いキャリアを支える大きな要素であり、柳葉さんが今もなお業界内で確かな地位を保っている背景には、こうした所属事務所の後ろ盾も大きく影響しています。
柳葉敏郎の年収
柳葉敏郎さんの具体的な年収は公表されていませんが、長年にわたり第一線で活躍してきた経歴を踏まえると、安定した収入を得ていると考えられます。
デビュー以来、音楽活動からバラエティ、そして俳優業へと幅広く挑戦しており、特に『踊る大捜査線』シリーズをはじめとする人気ドラマや映画での出演実績は大きな財産です。
主演作は多くないものの、確かな演技力と知名度で脇を固める重要なポジションを担い続けているため、出演ごとのギャラ単価は高い水準とみられます。
さらに地方局のレギュラー番組やCM出演なども加わることを考えると、年収は数千万円規模に達している可能性が高いでしょう。
特に芸歴の長いベテラン俳優は安定した仕事の依頼が続く傾向にあり、柳葉さんもその一人として堅実にキャリアを築いているといえます。
まとめ
柳葉敏郎さんは、若い頃に一世風靡セピアとして一躍注目を浴び、その後はバラエティから本格的な演技まで幅広く挑戦し続けてきました。
『踊る大捜査線』シリーズの室井慎次役をはじめ、数々の作品で存在感を放ち、俳優として確かな地位を築いています。
全盛期ほどのメディア露出は減ったものの、近年も連続テレビ小説や映画に出演し、変わらぬ演技力で視聴者を魅了し続けています。
これからも新たな役柄に挑み、年齢を重ねたからこそ表現できる味わい深い演技を見せてくれることでしょう。
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