いきものがかりのボーカルとして多くの人々に親しまれている吉岡聖恵さん。
その透き通るような歌声のルーツや、ご家族との温かなエピソードに興味を持たれる方も多いのではないでしょうか。
吉岡さんは静岡県で生まれ、5歳のときに神奈川県厚木市へと移り住みました。
自然豊かな厚木市で育った彼女の実家は、ブルーベリーやキウイなどを育てる兼業農家として知られています。
家族全員が歌好きで、実家にはカラオケルームがあるほど。
家族でのカラオケ大会や、母親の歌まねを披露するなど、音楽が日常に溶け込んだ家庭で育ったことが伺えます。
また、吉岡さんには1歳上のお兄さんと6歳下の弟さんがいます。
お兄さんは、いきものがかりのメンバーと高校時代の同級生で、吉岡さんをバンドに紹介した立役者。
弟さんとは非常に仲が良く、買い物や送迎など日常生活を共にすることも多いそうです。
この記事では、吉岡聖恵さんの実家やご家族について、詳しくご紹介していきます。
彼女の音楽性や人柄の背景を知ることで、より一層その魅力を感じていただけることでしょう。ぜひ最後までお読みください。
吉岡聖恵(いきものがかり)の実家
吉岡聖恵さんの実家は神奈川県厚木市の郊外にあり、兼業農家をされています。
また、実家にはカラオケルームがあり、吉岡聖恵さんは家族がカラオケで歌っているときのものまねが得意だそうですよ。
相方の水野良樹さんが、自身のブログ「よっちゃんのつぶやき75」でこのように話しています。
h)吉岡聖恵の母
誰にもわからないシリーズ第1弾。
カラオケで小林明子の「恋におちて」を歌う際、どうしても語尾がさがってしまう吉岡聖恵の母のモノマネである。ちなみに、声はともかく、顔についてはすごく似ている。i)吉岡聖恵の祖父
誰にもわからないシリーズ第2弾。
家に専用のカラオケルームがあるほど歌好きな吉岡家のまさに長老的存在、吉岡聖恵の祖父のモノマネ。十八番は北島三郎御大の「祭り」である。j)吉岡聖恵の兄
誰にもわからないシリーズ第3弾。
https://blog.excite.co.jp/ikimono-yoshiki/7397213/
昔は水野が組んでいたバンドのライバルであったパンクバンドのボーカルとしてブイブイ言わせていた吉岡聖恵の兄のモノマネ。基本的に「ファン!ファン!!ファファファン♪!!」と連呼することで成立し、文字だけではそのわからなさ加減が極地に達する。ちなみに、声はともかく、顔については似ているを越えて、同じである。
実家では、野菜やキウイ、ラズベリー、ブルーベリーなどを栽培しているそうで、吉岡聖恵さんが帰省すると、収穫のお手伝いをすることもあるそうですよ。
結婚後、夏に野菜が送られてきた時は、なすとピーマンと豚肉のみそ炒めをつくったとか。
実家から送られてきた野菜でつくる料理は、なお一層おいしいでしょうね!
吉岡聖恵(いきものがかり)の生い立ち
いきものがかりのボーカルとして長年愛されている吉岡聖恵さん。
その透明感ある歌声や、親しみやすい雰囲気は、どんな子ども時代から育まれたのでしょうか。
ここでは、吉岡さんの幼少期に焦点を当てて、生い立ちを詳しくご紹介します。

吉岡聖恵さんは、静岡県静岡市で誕生しました。
生まれたのは静岡厚生病院で、吉岡家にとっては“60年ぶり”となる待望の女の子だったそうです。
そのため、家族や親戚からも特別な存在として、とても大切に育てられたことがうかがえます。
5歳のときに神奈川県厚木市へと引っ越してからは、自然に囲まれた環境でのびのびとした日々を送るようになります。
畑が広がる地域で、虫を追いかけたり、木登りをしたりと、素朴で活発な子ども時代を過ごしていたようです。
吉岡さんの家族構成は、父・母・兄・弟に加え、祖父母、さらに幼い頃は曾祖父母まで含めた大家族。
三世代以上が一つ屋根の下で暮らすという、今では少し珍しい家庭環境の中で育ちました。
家族の中には音楽好きが多く、カラオケを楽しむ文化が当たり前にあったそうです。
実家には専用のカラオケルームがあり、吉岡さんも小さな頃からマイクを握る機会が自然とあったようです。
家族の歌まねをするのも得意で、遊びの中で表現力や歌唱力が磨かれていったのかもしれませんね。
現在の華やかなステージ姿からは意外に思えるかもしれませんが、幼少期の吉岡さんはわりと恥ずかしがり屋で、あまり目立つタイプではなかったとも言われています。
それでも、家族とのふれあいや音楽に囲まれた日常を通じて、少しずつ自分を表現する楽しさを見つけていったのかもしれません。
後に「いきものがかり」のボーカルとして本格的に音楽の道を歩み始める吉岡さんですが、その出発点はこの幼少期の環境にあったと考えると、とても感慨深いですね。
吉岡聖恵(いきものがかり)の兄弟は兄と弟がいる
吉岡聖恵さんには、1歳上のお兄さんと6歳下の弟さんがいます。
1歳上のお兄さんは、水野良樹さん、山下穂尊さんと厚木高の同級生で、2人が女性ボーカルを探していたときに吉岡聖恵さんを引き合わせた、いきものがかり結成の立役者としてファンの間では有名な方です。
お兄さんは高校生の頃、パンクバンド「HotSpring」のボーカルで、水野良樹さんの当時のバンド「Groovy★Jack」と一緒にイベントを行うなど、仲がよかったそうですよ。
6歳下の弟さんは、いきものがかりの歌を路上ライブでカバーしていたことがあるそうで、その時偶然吉岡聖恵さんが通りかかったというエピソードもあります。
また、弟さんと吉岡聖恵さんはとても仲がよく、恋人同士に間違われることもあるようで、2018年に一緒にスーパーで買い物しているところの写真を撮られて記事になったこともありました。
吉岡聖恵さんの仕事の送迎や、身の周りのお世話を弟さんがしています。
弟さんがそばでサポートしてくれたら、吉岡聖恵さんも心強いですよね。
吉岡聖恵(いきものがかり)の兄弟の職業は?市役所職員?
吉岡聖恵さんのお兄さんが海老名市役所の職員ではないかという噂が立っていますが、実際のところどうなのでしょうか。
いろいろ調べてみましたが、吉岡聖恵さんが発言されたことはなかったですし、真相はわかりませんでした。
2016年に、いきものがかりのデビュー10周年を記念したライブが地元の海老名市と厚木市で行われましたが、その時に市役所の職員の方がたくさん協力してくれたそうで、そこから噂がとびかったのかもしれません。
吉岡聖恵(いきものがかり)の父親
いきものがかりの吉岡聖恵さんの歌声や人柄に惹かれる方の中には、「どんなご家族に育てられたのか?」という点が気になる方も多いかもしれませんね。
特に今回は、吉岡さんのお父さんにまつわるエピソードをご紹介します。
吉岡聖恵さんのお父さんは、神奈川県厚木市にある南毛利中学校の卒業生。
実は吉岡さん自身も、同じ中学校を卒業しており、親子で母校が共通しています。
地元に根差した生活を送っていたことがうかがえますね。
南毛利中学校は地域でも歴史ある中学で、過去には数々の著名人も在籍していたようです。
中でも特筆すべきなのが、元プロ野球選手であり、巨人軍の名将としても知られる原辰徳さんもこの中学の出身だということ。
吉岡聖恵さんは、2010年に放送された自身のラジオ番組内で、お父さんと原辰徳さんにまつわる興味深いエピソードを語っています。
それによると、なんとお父さんは中学時代、原辰徳さんと同じ野球部に所属しており、しかも先輩だったというのです。
この話を最初に聞いたとき、吉岡さんは「また冗談を言っているのかも」と思い、あまり信じていなかったそう。
しかし、後年、原さんと実際に顔を合わせる機会があり、その場で父親の名前を出したところ、「あなたが吉岡君の娘さんでしたか」と声をかけられ、本当の話だったことが明らかに。
親子の会話としては微笑ましいだけでなく、スター選手との縁が身近にあったというエピソードは、多くの人にとっても驚きだったのではないでしょうか。
吉岡聖恵さんは2010年、東京ドームで行われた読売ジャイアンツ対阪神タイガース戦の始球式に登場したことがあります。
その際、原辰徳さんから「お父さんは元気?」と声をかけられたという一幕もありました。
この出来事は、吉岡さんにとってもきっと忘れられない経験になったことでしょう。
スター選手との縁が家族にあるというのは、まるでドラマのような話ですよね。
吉岡聖恵さんの芯のある人柄や、どこか地に足のついた親しみやすさは、お父さんから受け継いだものなのかもしれません。
地元・厚木を大切にし、家族を支える存在として、きっと日々の暮らしの中で吉岡さんに多くの影響を与えてきたのでしょう。
音楽の世界で活躍しながらも、変わらず謙虚で自然体な姿勢を貫く吉岡さん。
その背景には、こうした家庭のあたたかさがしっかりと息づいているのではないかと感じさせられます。
吉岡聖恵(いきものがかり)の母親
いきものがかりのボーカルとして多くの人に愛される吉岡聖恵さん。
そのやわらかな雰囲気や素直な人柄から、「きっとご両親も素敵な方なのでは?」と気になる方も多いのではないでしょうか。
今回は、吉岡さんのお母さんにまつわるエピソードをご紹介します。
吉岡聖恵さんのお母さんは、静岡県の出身です。吉岡さん自身も静岡市で生まれていますので、母娘にとって静岡は特別な地といえるかもしれませんね。
いきものがかりのライブが静岡県で開催される際には、お母さんが観に来られることもあるようで、親子の仲の良さがうかがえます。
大人になっても母娘で音楽を通じた関係が続いているというのは、素敵なことですよね。
吉岡さんのお母さんに関しては、いきものがかりのメンバーである水野良樹さんが、過去に「すごく似ている」と語っていたことがあります。
特に顔立ちがよく似ており、初めて見た人でも「あっ、お母さんだ」とわかるほどのそっくりぶりなのだとか。
たしかに吉岡さんのやわらかな目元や笑顔には、どこか家庭的で安心感のある雰囲気がありますよね。
それがお母さんゆずりだとすれば、ファンとしても親しみがさらに深まるかもしれません。
もうひとつ印象的なのが、吉岡さんのお母さんが中島みゆきさんの大ファンだというエピソードです。
中島さんの楽曲は世代を超えて多くの人に愛されていますが、吉岡さんの音楽性にもその影響が感じられるかもしれません。
2018年、吉岡さんはトヨタホームのCM楽曲として、中島みゆきさんの名曲『糸』をカバーしました。
この選曲は、お母さんにとっても特別なものだったようで、きっと娘の歌声であの名曲が流れたときは、感慨深いものがあったのではないでしょうか。
吉岡聖恵さんの自然体な姿勢や、あたたかみのある人柄には、ご家族、とくにお母さんの影響が色濃くにじんでいるように感じられます。
家族と過ごす時間を大切にし、自分のペースで音楽と向き合い続ける吉岡さんの姿勢は、きっと幼い頃から家庭で受けてきた愛情や価値観の積み重ねなのでしょう。
母娘ならではの絆、そして音楽でつながる思い──そうした日常の中に、吉岡さんの原点があるのかもしれませんね。
吉岡聖恵(いきものがかり)の祖父母
吉岡聖恵さんのおじいさん、おばあさんは実家で同居されていて、農業を営んでいます。
吉岡聖恵さんの自宅に送られてきた野菜や果物は、おじいさん、おばあさんがつくられているのですね!
2009年の「いきものがかり吉岡聖恵のオールナイトニッポン」では、おばあさんの話で盛り上がって、このようなお話をされていました。
吉岡聖恵の5倍話すという、静岡のおばあちゃん。
https://www.allnightnippon.com/kiyoe/info.php?line=53
そして、ゴキブリを手で握りつぶす厚木のおばあちゃん。

実家のおじいさんおばあさんだけではなく、静岡県に住んでいる(母方の)おじいさんおばあさんとも仲がよいのですね。
いきものがかりのライブで静岡県に行くと、おばあさんの家でご飯を大量に食べさせてくれるそうですよ。
まとめ
今回は、吉岡聖恵さんの実家や家族について調べてみました。
本当にみなさんと仲がよく、家族全員歌うことが好きだということがわかりました。
いつか吉岡聖恵さんのご家族のみなさんの歌声も聴いてみたいですね。
