「いきものがかり」の中心メンバーとして知られる水野良樹さん。
作詞作曲を手がけるだけでなく、他アーティストへの楽曲提供でも評価が高く、その才能に注目が集まっていますよね。
では、その感性豊かな音楽はどんな環境から育まれてきたのでしょうか?
実は、水野良樹さんはメンバーの山下穂尊さんと幼なじみ。
学生時代から音楽に触れ、着実に歩んできた背景には、出身高校や大学での経験、そして実家や家族の存在も大きく関係しているようです。
この記事では、水野良樹さんの学歴や幼少期、家族とのエピソードまで幅広くご紹介。
きっと「なるほど」と感じられる意外な一面も見つかるはずです。
水野良樹(いきものがかり)の学歴
数々の名曲を手掛けている水野良樹さんは、どんな学生生活を過ごしてきたのでしょうか?
水野良樹さんが通った学校について調べてみました。
水野良樹(いきものがかり)の出身小学校
水野良樹さんの出身小学校は『海老名市立杉久保小学校』です。
6年生のお別れ会に水野良樹さんの人生初舞台で、ミスターチルドレンの『CROSS ROAD』を体育館で熱唱し、友達から喝さいを浴びた経験があります。
この経験が、のちのいきものがかりでの活躍の大きなキッカケになったのかもしれませんね。
水野良樹(いきものがかり)の出身中学
水野良樹さんの出身中学校は『海老名市立大谷中学校』です。
水野良樹さんは小中学生の頃、野球に夢中で、中学校では即決で野球部への入部しました。
しかし中学3年生の時に野球部の顧問の先生と、衝突し退部をしてしまいました。
退部をした時、水野良樹さんは「好きなことすら続けることができないのか」と自分を責めてしまい、一時は人付き合いを避けてしまう程、ダメージを受けてしまいました。
水野良樹(いきものがかり)の出身高校
水野良樹さんの出身高校は『神奈川県立厚木高校』です。
水野良樹さんは高校生活の中で忘れられないイベントの1つに「文化祭」があると語っています。
厚木高校では「生徒から一番得票を集めたバンドが文化祭当日、中庭のメインステージで演奏できる」というルールがありました。
当時2年生だった水野良樹さんは友人とバンドを組み校内放送で曲を流したところ、全校生徒の半分以上の票を集め優勝しました。
しかし、優勝を逃した3年生に「アレは、決勝じゃないから」と言われ、再び行われた投票で水野良樹さん達は敗北しました。
そして文化祭当日、中庭のメインステージで演奏をする3年生を悲しげに眺めていたそうです。
水野良樹(いきものがかり)の出身大学
水野良樹さんの出身大学は『一橋大学』です。学部は『社会学部』です。
一橋大学を志望した理由について水野良樹さんは「社会学者の宮台真司さんが出演したテレビ番組をきっかけに、社会学に漠然とした興味が湧き、社会学部のある大学を調べている内に一橋大学を見つけ、志望するようになった」と語っています。
これだけを見ると水野良樹さんは簡単に一橋大学に入学した、と思ってしまいそうですがが、一橋大学入学の裏にはとても大きな苦労がありました。
水野良樹さんは現役で一橋大学に入学したわけではありません。
一度は明治大学に進学した水野良樹さんでしたが、中学時代の野球部退部の経験から「一度目指した大学を諦めていいのか。このままではいけない。」と奮起し、再び一橋大学を目指し明治大学での仮面浪人生活を選択しました。
水野良樹さんの両親は「浪人をさせる余裕はない」と言われ、「一橋大学での生活にかかる費用を計算し、明治大学での3年間より一橋大学での4年間の方がかかる費用は少ない」とプレゼンテーションを行い、また「予備校代なども自分で払う」と宣言し、なんとか親の理解を得ることができました。
このようにして始まった仮面浪人生活ですが、その忙しさは大変なものでした。
水野良樹さん本人は「音楽で生活していけるようになった頃より、仮面浪人時代の方が忙しかった」と語っています。
仮面浪人時代は、朝4時から9時までアルバイト、大学の授業は2限から出席、授業後は予備校へ、予備校から帰宅後は寝るまで勉強、そんな生活を1年間続けていました。
アルバイトの収入で、受講できる予備校の授業は現代文と英語だけ。
親がくれた500円の食費さえ参考書の購入に回していました。
1つ100円のハンバーガーを食べている水野良樹さんの隣で、参考書を抱えセットメニューを食べている学生がいて、様々な環境の人がいることを学んだと、水野良樹さんは語っています。
このような生活の中で水野良樹さんは、自分が想像していたほどうまくいかない現実に「自分はダメな奴だ」と自分を責めたこともあります。
しかしこれらの苦労を乗り越えて、見事一橋大学に合格、1年間の仮面浪人生活に終止符を打ちます。
水野良樹(いきものがかり)は山下穂尊と幼なじみだった
水野良樹さんと『いきものがかり』の元メンバー山下穂尊さんは、同じ小学校、中学校、高校に通っており幼馴染です。
しかし小学校1年と中学1年の時以外は、クラスも別々でお互い顔と名前を知っている程度でした。
そんな2人が急接近を果たしたのは高校時代です。
部活が盛んであった『神奈川県立厚木高校』ですが、そんな高校で2人は帰宅部だったことから一時期は2人で下校するまでになります。
そんな2人は1999年2月1日に音楽グループ『いきものがかり」を結成しました。
コミュニティセンターの駐車場で初めて2人で練習をした日を、公式の結成日にしています。
『いきものがかり』のグループ名は、これまでほとんど接点のなかった水野良樹さんと山下穂尊さんとの、唯一の接点である小学1年生の時に両者とも「生き物係」を担当していたことから仮で名付けられました。
仮で名付けたグループ名が後々まで受け継がれるとは、この当時は予想すらしていなかったそうです。
そして水野良樹さんが仮面浪人をしている時期、山下穂尊さんも浪人生活を送っており、公民館で勉強をしつつ2人は「大学が落ち着いたらまたいきものがかりを再開しよう」「テレビ番組に出られるなら、何がいい」と話し合っていたそうです。
水野良樹(いきものがかり)の実家
水野良樹さんはお母さんの実家のある静岡県浜松市で生まれ、5歳までお父さんの実家のある東京都昭島市で育ちました。
そして5歳から大学卒業まで、神奈川県海老名市で育ちました。
今でも海老名市出身と言ってることを考えると、実家も海老名市にあると思われます。
実家にはピアノがありましたが、ピアノがある家と聞くとお金持ちをイメージする人も多いと思います。
しかし、そういうわけでなく、両親が子供にピアノを弾かせたいという思いから、ピアノを買って水野良樹さんにピアノを弾かせていたそうです。
そんな家庭環境が、今の水野良樹さんの活躍に繋がっているのは感慨深いものがありますね。
水野良樹(いきものがかり)の生い立ち
1982年、水野良樹さんは静岡県浜松市で生まれました。その後、5歳まで東京都昭島市で育ち、5歳から大学卒業までは神奈川県海老名市で過ごしました。
水野良樹さんは小学生時代、1つの部屋で漫画雑誌を作るようなグループで遊んでいました。
そんな水野良樹さんは小学1年生の頃、じゃんけんで負けてしまい後の「いきものがかり」のメンバーである「山下穂尊さん」と生き物係を担当することになります。当時は仲もよくなかった2人ですが、この出会いが人生を変えたと水野良樹さんは語っています。
そして水野良樹さんは中学生の頃、都内の私立高校を受験しますが、すべてに落ちてしまいます。結局地元の高校に通うことになり、その高校でそれまで仲の良くなかった山下穂尊さんと、仲を深めることになります。
仲を深めた水野良樹さんと山下穂尊さんですがある日、音楽グループ「ゆず」の音楽に影響された山下穂尊さんが「路上ライブをしたい」と水野良樹さんに持ちかけ、2人の人生が動き出します。
1999年2月1日、水野良樹さんと山下穂尊さんは音楽グループ「いきものがかり」を結成します。同年11月3日、吉岡聖恵さんが加入します。
その後は路上ライブを中心に徐々に力を身に着け、2006年3月15日「SAKURA」でデビューを果たし、ミリオンセラーを達成する曲を世に送り出していくようになります。
しかし2021年夏、メンバーである山下穂尊が「いきものがかり」を脱退し、水野良樹さんと吉岡聖恵さんの2人体制での新しい「いきものがかり」がスタートしました。
水野良樹(いきものがかり)の父親
いきものがかりの水野良樹さんは、温かみのある歌詞や繊細なメロディで多くの人を魅了してきました。
その感性はどんな家庭環境の中で育まれたのか、気になる方も多いのではないでしょうか。
今回は、水野良樹さんのお父さんについて、わかっていることを掘り下げていきます。
水野良樹さんは、テレビ番組などで家族について多くを語るタイプではありませんが、いくつかのエピソードから、お父さんの人柄が垣間見える場面があります。
たとえば、あるインタビューでは、お父さんは「楽天的で大らかな性格」だったと表現されていました。
周囲を気にしすぎず、どちらかというとマイペース。
そんな性格を象徴するような、ちょっと笑ってしまうような家庭内エピソードもあるんです。
たとえば、食事の時間。お母さんが食事をテーブルに並べると、お父さんは迷うことなくすぐに食べ始めてしまうそう。
そして、お母さんが「さあ、食べよう」と席についたときには、もう食べ終わって席を立っている――というのが定番だったとのこと。
一見すると「自由人だなぁ」と思ってしまいますが、裏を返せば、それだけ自然体で家庭の中でも構えることなく、自分らしく過ごしていたということなのかもしれませんね。
職業など詳しい情報は公にはされていませんが、こうした日常の一コマから、水野さんのお父さんは「肩の力を抜いて人生を楽しむタイプ」だったのではないかと想像されます。
堅苦しさがなく、家の中ではユーモアや自然体でのびのびとした空気があったのかもしれません。
そして、そんなお父さんの影響を受けて、水野さんもまた、物事を深刻に捉えすぎず、自分らしいペースで表現する力を育んできたのではないでしょうか。
感受性の豊かさと、どこか人間らしい温かさを感じさせる歌詞の背景には、家庭での何気ない日常が深く関係しているのかもしれませんね。
まだまだ謎が多い水野良樹さんの家族ですが、断片的な情報からでも、そこには一貫した「やわらかな空気感」が流れていることが伝わってきます。
今後、さらにご本人の口からご家族にまつわる話が聞けることに期待したいですね。
水野良樹(いきものがかり)の母親
水野良樹さんといえば、数々のヒット曲を手がけてきた音楽家として知られています。
その繊細な感性や誠実な人柄に惹かれるファンも多いのではないでしょうか。
そんな水野さんを育てた母親についても、気になる方は少なくないはずです。
実際、水野良樹さんの母親は、とても料理上手な方だったようです。
調理師免許を持ち、日々の家庭料理にもこだわりを感じさせる一面があったといいます。
水野さんの好物として紹介されているのが、じゃがいもを薄くスライスしてベーコンやコーンを加えたおかずや、家庭の味がしみ込んだひじきの煮つけ。
これらの料理は、水野さんにとっても「おふくろの味」として、今も記憶に残っているようです。
また、水野さんの母親は「つむじが2つある」「誠実な性格」とご本人が表現しており、その人柄もまっすぐで芯のある女性だったことがうかがえます。
さらに、幼少期の教育にも積極的だったことがわかっています。
水野さんが小さな頃から音楽に触れられるよう、自宅にピアノを用意し、音楽的な環境づくりに力を入れていたとのこと。子どもの可能性を広げようとする姿勢が感じられますよね。
とはいえ、水野さんが将来的に音楽の道に進むことには、最初は反対の立場だったようです。
音楽の世界は不安定で厳しいという現実を理解していたからこそ、親として現実的な選択を促したいという思いもあったのかもしれません。
しかし最終的には、「最終的に決めるのは本人」という考えを尊重し、水野さんの決意を受け入れたとのこと。
このエピソードからは、子どもを信じて見守る親としての度量や愛情がにじみ出ています。
家庭の中でのびのびと育ち、愛情深い母親のもとで感性を磨いてきたことが、水野さんの表現の根底にあるのかもしれませんね。
親としての厳しさと優しさを併せ持つ母親の存在は、今もなお水野良樹さんの原点に深く根づいているように感じられます。
水野良樹(いきものがかり)の兄弟や姉妹
いきものがかりの中心メンバーとして活動し、多くの名曲を生み出してきた水野良樹さん。
その繊細な感性や独特の歌詞の世界観に、「どんな家庭環境で育ったのだろう?」と気になる方も多いのではないでしょうか。
特に、兄弟姉妹がいたのかどうかは、性格や価値観に影響することもあり、気になるポイントのひとつですよね。
実は、水野良樹さんは「一人っ子」であることを、自身のSNSなどで明かしています。
兄や姉、弟や妹といった兄弟姉妹はいないため、幼いころから一人で過ごす時間が多かったようです。
一人っ子という環境は、家庭内での関係性にも少なからず影響を与えるものです。兄弟と比べられることもなく、自分の興味や関心にじっくり向き合える時間を持てるぶん、自己との対話を深める機会が自然と増えていくもの。
そうした中で育まれた感性や想像力が、作詞家・作曲家としての独自性につながっているのかもしれません。
また、家計にそれほど余裕がある家庭ではなかったとされる中で、それでも自宅にピアノが置かれていたというエピソードもあります。
水野さんのお母さんは、幼い頃から音楽に親しんでもらいたいと考え、環境づくりに力を注いでいたようです。
この点について、水野さん自身も「一人っ子だったからこそ、ピアノを置くスペースや費用を割くことができたのかもしれない」と振り返っています。
兄弟がいた場合、家庭内の予算やスペースの配分も変わっていた可能性はありますよね。
とはいえ、兄弟がいないからといって孤独だったわけではなく、家族の愛情を一身に受けながら、自分のペースで音楽と向き合う時間を大切にしていたようです。
その積み重ねが、後の音楽活動の土台を作っていったと考えられます。
兄弟姉妹という存在がいないからこそ、自分自身との対話や、創作活動への没頭がしやすかったという側面もありそうです。
水野良樹さんの楽曲に宿る深い内省性や、ひとりの視点から描かれる心情表現には、そんな背景が反映されているのかもしれませんね。
まとめ
水野良樹さんは小学校時代の初めて大勢の前で演奏することを経験し、中学校時代の野球部の退部、高校時代の文化祭、大学時代の仮面浪人など様々な経験を経て、成長していったことが分かります。
今の水野良樹さんが音楽の世界で活躍する姿があるのは、実家の家庭環境や両親の影響がとても大きいのは間違いなさそうですね。
これからも水野良樹さんの成長に期待していきましょう。
