1960年に女優デビューした三田佳子さんは、芸能界に入る前までどんな環境で育ってきたのでしょうか。
両親や兄弟はどんな人なのでしょうか。
今回は、三田佳子さんの実家や家族について調べてみました。
三田佳子の実家
朗読劇「九十歳。何がめでたい」に出演する三田佳子さんに軽部アナがインタビュー♪原作は大ヒットした同名エッセイなんだけど、みんな知ってるかな?(⊃•̀ω•́)⊃✎⁾⁾
— めざましテレビ (@cx_mezamashi) November 13, 2018
7時35分過ぎに放送予定☆#めざましテレビ pic.twitter.com/o0lAPBdXl9
三田佳子さんは、大阪府大阪市天王寺区で誕生しました。
その後生後半年で東京府(現在の東京都)世田谷区に移り、4歳の時に山梨県へ疎開、終戦後は兵庫の小学校から東京の小学校に転校しました。
そこからはずっと東京都内で生活していたようですが、実家の詳しい場所は公表されていません。
三田佳子の生い立ち
【今日の映画】
— しゅう (@ALGN_1025) August 15, 2017
1989年公開「極道の妻たち 三代目姐」
監督 : 降旗 康男
出演 : 三田 佳子
製作国 : 日本
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1941年10月8日に生まれた三田佳子さんは、恥ずかしがりの性格で、授業中に指されたりすると恥ずかしくて泣いてしまうような子供だったそうです。
ただお話を読んだり演じたりすることは好きで、近所の子供たちを集めて自作の紙芝居をやっていました。
そんな三田佳子さんは中学生の時に劇団に入り高校生の時にはテレビCMに出演、この時スカウトされたものの、お母さんから「高校はきちんと卒業しなさい」と言われたためスカウトは全て断っていました。
高校卒業後の1960年に第二東映へ入社、女優デビューしました。
三田佳子の父親
三田佳子さんのお父さんは、一般人です。
職業は会社員でした。
お母さんと折り合いが合わず、三田佳子さんが8歳の時に離婚しています。
三田佳子さんはお母さんと暮らすことになったため、お父さんとは離れてしまいました。
三田佳子の母親
三田佳子さんのお母さんも一般人です。
お父さんとの離婚後、すぐに働きに出て日本橋に小さなお茶漬けのお店を出しました。
お母さんの実家は武士の流れで商売とは無縁の家系であり、お母さんは末っ子のお嬢さま育ちだったものの、女手一つで三田佳子さんを育て上げるたくましい女性でした。
そんなお母さんは、1997年に80歳で亡くなっています。
三田佳子の兄弟や姉妹
三田佳子さんには、弟さんが二人いました。
しかし1番目の弟さんは三田佳子さんが4歳だった時に疎開先の山梨で亡くなっています。
2番目の弟さんは戦後すぐに誕生したものの、両親が離婚した際にお父さんと暮らすことになったため、三田佳子さんとは離れ離れになりました。
三田佳子と三田寛子の関係
三田寛子ってこんな顔やっけと思って調べたら俺の頭の中にいたのは三田佳子でした pic.twitter.com/MAAmeIuxxP
— なーさん@関西DIR好き (@373769) September 18, 2016
三田佳子さんと三田寛子さんは同じ「三田」姓で活動していますが、血縁関係はありません。
三田佳子さんの本名は「石黒(旧姓)嘉子」さん、三田寛子さんも本名は「稲垣(旧姓)敦子」さんと言い、たまたま芸名の苗字が同じになってしまっただけのようですね。
まとめ
一般家庭で育った三田佳子さんは、幼い頃に両親が離婚し、お母さんと二人で過ごしてきました。
今は空の上で見守ってくれているお母さんに安心してもらえるよう、三田佳子さんにはこれからも芸能界で頑張ってほしいと思います。
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