登山家として数々の山に挑み、環境問題にも積極的に取り組んでいる野口健さん。
その強い行動力や発信力は、どんな家庭環境の中で育まれたのでしょうか。
エジプト系の血を引くハーフという生い立ちや、海外での幼少期、複雑な家族構成など、少しずつ明かされてきた背景には多くの関心が集まっています。
「両親はどんな人?」「実家はお金持ちだったの?」と気になる方も多いはず。
この記事では、野口健さんの実家や父母、継母や兄弟との関係について丁寧に掘り下げていきます。
野口健はハーフ!
毎週土曜午前10:50〜10:53、 #TOKYOFM 系列JFN38局で放送の「 #コスモアースコンシャスアクト 未来へのメッセージ」に、3月のゲストとして出演しています。
— 野口健 (@kennoguchi0821) March 14, 2024
3回目となる3月16日は、ヒマラヤ登山などから感じる「今の地球環境について思うこと」をお話しします。… pic.twitter.com/NTTEhlZ5Fv
野口健さんは、日本人の父親とエジプト人の母親をもつハーフです。父親の野口雅昭さんは、外交官として活躍していた方で、国際的な環境の中で育った野口健さんの人格形成に大きな影響を与えた存在でもあります。
母親はエジプト・カイロ出身で、アラブの文化や価値観も身近に感じる環境で育ったようです。
生まれはアメリカ・ボストン。
国籍は日本ですが、幼少期は海外で過ごし、日本語にほとんど触れない生活をしていたため、帰国後に幼稚園へ通い始めた時点では、日本語がほとんど話せなかったそうです。
加えて、彫りの深い顔立ちやエジプト系の風貌から、幼少期には「ガイジン、ガイジン」と呼ばれて心ない言葉を投げかけられたこともあったといいます。
本人のインタビューでは、当時石を投げられた経験もあると語られており、異文化出身者としての生きづらさに直面していたことが伺えます。
このような経験は、野口健さんが後に取り組む社会活動や環境問題への関心にもつながっているようです。
自身が「違い」の中で育ち、葛藤を乗り越えたからこそ、多様性を尊重し、境界を超えた共生の重要性を訴えるようになったのかもしれません。
また、家庭内ではアラビア語や英語、日本語が飛び交う多言語環境だったこともあり、語学力をはじめとした国際感覚が自然と身についた背景もあります。
なお、野口健さんは自身のルーツや家族の背景についてもオープンに語ることが多く、特に母親に対しては「誇りをもっている」と何度もメディアで言及しています(参考:https://www.noguchi-ken.com)。
ハーフとしての生きづらさを抱えながらも、それを乗り越えてきた道のりが、今の発信力や説得力につながっているようです。
野口健の実家はお金持ち?
野口健さんは、アメリカ・ボストンで生まれ、父親の海外赴任に伴ってニューヨークやサウジアラビアなど、複数の国で幼少期を過ごしました。
父・野口雅昭さんは外務省に長く勤務し、駐チュニジア大使などを歴任した人物として知られており、その職務上、家族ぐるみでの海外生活が日常でした。
こうした経歴を持つ家庭環境から、「実家はお金持ちなのでは?」という声がネット上で見られることもあります。
しかし、野口健さん自身が裕福さを強調する発言をしたことはなく、「お金持ち」という印象につながる具体的なエピソードもほとんど語られていません。
父親の外交官としてのキャリアから、ある程度安定した生活を送っていたことはうかがえますが、いわゆる”贅沢”や”セレブ”といった生活とは一線を画していたようです。
むしろ、野口健さんが語る過去には、現地の言語や文化に馴染めず孤立した経験や、現地の学校でのいじめなど、決して楽とはいえない側面もありました。
現在の実家の所在地については公式に明かされておらず、「日本国内」とされている以外の詳細は不明です。
ただ、野口健さんは長野県松本市に拠点を構え、自然との関わりを重視した生活を送っていることでも知られています。
山岳環境に身を置くスタイルは、本人の信念や生き方とも深く結びついており、華やかさよりも質実剛健なライフスタイルを大切にしている印象です。
このように、野口健さんの実家が「お金持ちだったのかどうか」という問いには一概に答えづらいものの、家庭環境や育ちの背景からは、経済的な安定以上に、国際感覚や精神的な豊かさを重視した教育方針があったことがうかがえます。
金銭的な尺度だけでなく、価値観や生き方の側面から見ると、非常に恵まれた家庭で育った方といえるかもしれません。
野口健の生い立ち
古いアルバムを開いてみたら、僕の両親の結婚した際に野口家が集まった時の写真を発見。真ん中の2人が僕の両親。この時代に1人エジプトから日本に嫁いできたのは大変だったんだろうな〜と。日本語も話せない、文化はまるで違う…。映っている子供は兄貴。それにしても母ちゃん、目立つな〜。 pic.twitter.com/e5SiNycVdr
— 野口健 (@kennoguchi0821) September 16, 2021
1973年8月21日にアメリカ・マサチューセッツ州ボストンで生まれた野口健さんは、幼少期から青年期にかけて主に海外で生活をしてきました。
外交官だった父・野口雅昭さんの転勤に伴い、ニューヨークやサウジアラビアなどさまざまな国で暮らした経験を持ちます。
そのため、幼少期は日本語よりも英語に慣れ親しんでおり、日本に帰国してからは言語の壁に悩まされることもあったそうです。
両親の別居により、ある時期からは父親と2人だけの生活を送っていたこともありました。
国際色豊かな環境に身を置いていた一方で、家庭内では孤独を感じる時間もあったといいます。
そうした複雑な背景からか、思春期には荒れた行動が目立つようになりました。
高級車のタイヤを片っ端からパンクさせたり、空気銃を持ち出して鳩を狙ったりと、かなり破天荒なエピソードが残っています。
自ら明かしているように、放火騒ぎを起こしたこともあり、相当な”問題児”だったようです。
通っていた高校では、先輩とトラブルを起こし1か月間の停学処分を受けたことも。
その停学期間中、ふと手にした一冊の本が彼の人生を大きく変えることになります。
それが、冒険家・植村直己さんの著書『青春を山に賭けて』でした。
孤高の精神で極地に挑み続けた植村さんの生き方に強く心を打たれた野口さんは、自らも山を登ってみたいと感じ、高校生にして登山の世界に足を踏み入れることになります。
のちにエベレストを最年少で登頂するという偉業を成し遂げる野口健さんですが、そのルーツには荒れた少年時代と、ある一冊との出会いがありました。
環境や教育では測れない「個の目覚め」が生まれる背景として、彼の生い立ちは非常に示唆的です。
現在の穏やかな語り口や社会貢献活動からは想像しにくいかもしれませんが、波乱の道を経て今の野口健さんがあるのです。
野口健の父親は元外交官
野口健さんのお父さんは、元外交官の野口雅昭さんです。
東京大学法学部を卒業後、外務省に入省し、長年にわたり国際的な仕事に携わってきた輝かしい経歴の持ち主です。
イエメンやチュニジアでは大使を務め、エジプトやイタリアでは公使、オーストラリアのシドニーでは総領事として活躍。
さまざまな国を飛び回りながら、特に政府開発援助(ODA)関連の仕事では、開発途上国への支援を通じて国際協力に大きく貢献しました。
こうした父親の仕事の都合で、野口健さんは子どものころから海外を転々とする生活を送りました。
ニューヨーク、サウジアラビア、イギリスなど、多様な国での生活経験が、現在の彼の価値観形成に影響しているようです。
健さん本人は当時を振り返り、「父はとにかく仕事人間だった」と語り、家庭ではあまりスキンシップの多いタイプではなかったようです。
しかし、厳格ながらも芯の通ったお父さんだったようで、思春期に悩みを抱えていた野口健さんの背中を押してくれた経験もあったとのこと。
現在、社会活動や環境問題に精力的に取り組む健さんの国際感覚や使命感は、父親から自然と受け継いだものかもしれません。
現在は引退されていますが、野口雅昭さんという父親の存在が、健さんの生き方に深く根を張っていることは間違いないでしょう。
野口健の母親はエジプト人ですごかった?
野口健さんのお母さんは、エジプト出身のモナさんという女性です。
エジプトだけでなく、ギリシャ・レバノン・フランスの血も引いているという、非常に多彩なバックグラウンドを持った方です。
元は航空会社で働いていたキャリアウーマンで、見た目も性格もパワフル。
健さんによれば、感情表現が豊かで、何事にもはっきりと意見を持つ、まさに”エネルギッシュな母”だったそうです。
いじめを受けていた幼少期の健さんに対し、モナさんはかなり厳しい態度を取っていたようです。
「やられたらやり返しなさい」「男の子でしょ、股についてるのは何のためにあるの?」といった、現代なら議論を呼びそうな強い言葉をかけていたといいます。
しかし、その一言一言には息子を守りたいという強い思いが込められており、健さん自身も「母の言葉で奮い立たされた」と振り返っています。
一方で、家庭内では夫婦関係のすれ違いがあったようで、モナさんは健さんの父・野口雅昭さんと離婚し、その後カナダへ移住しました。
再婚も経験されましたが、その結婚も長くは続かなかったようです。
こうしたプライベートな部分は公の場であまり詳しく語られていませんが、健さんが過去のインタビューなどで少しずつ明かしてきた背景から、モナさんが多くの葛藤と決断を経てきたことがうかがえます。
母・モナさんの言葉や生き方は、野口健さんの芯の強さや独立心、そして”信念を持って行動する姿勢”に深く影響していることは間違いないでしょう。
異なる文化や価値観の中で育てられた経験が、健さんの柔軟性と行動力の原点になっているのかもしれません。
野口健の継母もすごかった
野口健さんの継母は、容子さんという日本人女性です。
健さんの実母であるモナさんと父・雅昭さんが離婚した後、父親と再婚された方で、いわゆる「しっかり者」タイプ。
容子さんは、健さんに対してだけでなく、夫である雅昭さんにも遠慮なく意見を言うような、芯の強さを持っていた人物だったそうです。
たとえば、「お父さんへの口の利き方がなっていません」と健さんにきっぱり言ったり、「借りたお金はちゃんと返しなさい」と真っ正面から注意したりと、年齢に関係なく大事なことはきちんと伝える方でした。
また、「朝は早く起きて、家族でご飯を食べるのが当たり前」という家庭のルールも大切にしていて、規律ある生活を子どもにも求めていました。
登山家として活動するようになってからも、容子さんの厳しさは健在でした。
エベレスト登頂に失敗したとき、健さんに送った手紙には「今度が最後の挑戦よ。ダメならエベレストなんか、とっととやめなさい。しっかりケリをつけてきなさい」とストレートな言葉が綴られていたそうです。
甘やかすよりも、前に進むための「背中を押す厳しさ」がにじむメッセージです。
とはいえ、厳しいだけの関係ではありません。
健さんと容子さんはとても仲が良く、何でも話し合える関係だったといいます。
精神的な支えでもあった容子さんは、その後、病気のため55歳という若さで亡くなりました。
健さんにとって容子さんの存在は、母親という枠を超えて人生の師のような存在だったのでしょう。
現在の野口健さんの誠実さや責任感の根底には、容子さんから受けた教えや言葉が深く刻まれているように感じられます。
野口健の兄弟や姉妹
兄殿から懐かしい写真がLINEに。時代を感じるな〜(^^) pic.twitter.com/jE0fvb3pkD
— 野口健 (@kennoguchi0821) February 11, 2021
野口健さんには、5歳年上のお兄さんがいます。
ただ、お兄さんは一般の方ということもあり、名前や顔写真、職業などの詳しい情報は公表されていません。
野口さん自身もメディアなどで兄について語ることはほとんどなく、プライバシーを尊重している様子がうかがえます。
また、野口さんの家族は離婚と再婚を経て構成が変化しており、異父兄弟も存在しています。
父親の再婚相手である容子さんとの間に、年の離れた弟さんと妹さんが生まれているそうです。
つまり、健さんにとっては”異母兄弟”ではなく”異父兄弟”という関係になります。
こちらも一般人のため、詳細なプロフィールなどは非公開ですが、野口さんは以前インタビューで「弟や妹ともしっかり向き合ってきた」と語っており、義理の関係であってもきちんと家族として接していたことがわかります。
複雑な家庭環境で育った野口健さんですが、それぞれの家族との関係性を大切にしてきた姿勢は、彼の誠実な人柄につながっているように感じられます。
特に継母の容子さんとは信頼関係を築き、弟や妹に対しても兄としての責任をしっかり果たしていたというエピソードは、健さんの背景を知る上でとても興味深いものです。
家庭内のつながりをどう築くかというテーマに対して、野口さんは自分なりの答えを持って向き合ってきたのでしょう。
まとめ
幼少期を海外で過ごし、ハーフとしての悩みや家庭内の複雑な環境を経験してきた野口健さん。
その一つひとつの出来事が、現在の信念や行動力につながっているように感じられます。
厳しくも愛情深い家族の存在や、国際的な環境で育まれた視野の広さは、登山家・社会活動家としての歩みに大きく影響してきたのでしょう。
この記事を通じて、野口健さんの人となりや生い立ちに少しでも共感や発見があったという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今後も彼の活動から目が離せません。
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