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野口健の出身高校や大学は?登った山や活動は?事務所や年収も調査

noguchiken_career 文化人

野口健さんは、これまでに多くの山を登り、登山家として活躍しています。

そんな野口健さんはどこの学校に通っていたのでしょうか。

今回は、野口健さんの経歴や出身学校、登山歴について調べてみました。

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野口健の学歴

野口健さんが通っていた学校について調べてみました。

野口健の出身小学校

野口健さんは、世田谷区立駒繫小学校に入学しました。

その後、家庭の事情でカイロ日本人学校小学部、立教英国学院小学部に転校しています。

立教英国学院は全寮制で校則も厳しかったため、それまでルーズな生活を送っていた野口健さんは戸惑うことが多かったそうです。

野口健の出身中学

小学校卒業後は、立教英国学院中等部に進学しました。

中学では、写真部に所属していました。

ドラマ『池中玄太80キロ』シリーズにハマり、主人公の報道カメラマンに憧れて当時の将来の夢は写真家だったそうです。

野口健の出身高校

中学校卒業後は、立教英国学院高等部に進学しました。

高校時代に先輩を殴り一ヶ月の停学処分を受け、停学中の一人旅がきっかけで登山を始めました。

野口健の出身大学

高校卒業後は、亜細亜大学に進学しました。

野口健さんは国際関係学部に在籍、偏差値は45です。

大学には8年間在籍し卒業しています。

野口健がこれまでに登った山は?

野口健さんがこれまでに登った山はこちらです。

1990年8月 モンブラン (4,810m)
1990年12月  キリマンジャロ (5,895m)
1992年9月 コジアスコ (2,228m)
1992年12月 アコンカグア (6,960m)
1993年6月 マッキンリー (6,168m)
1994年12月 ヴィンソン・マシフ (4,892m)
1996年1月 エルブルス (4,892m)
1996年9月 チョ・オユー (8,201m)
1999年5月 エベレスト (8,844m)
2007年5月 エベレスト (8,844m)

エベレストでは、当時(1999年)の七大陸最高峰登頂の世界最年少記録樹立、日本人8人目のネパール、チベットの両方からの登頂成功者になりました。

野口健の登山家以外の活動は?

野口健さんは、1999年のエベレスト登頂以降から清掃活動を継続して行っています。

他にも遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援「シェルパ基金」を設立、NPO法人ピーク・エイドの「ヒマラヤにランドセルを届けようプロジェクト」の代表に就任しました。

また亜細亜大学客員教授、了徳寺大学客員教授、徳島大学医学部運動機能外科非常勤講師も務めています。

野口健のプロフィールや経歴

名前:野口健
生年月日:1973年8月21日
出身地:アメリカ
血液型:A型
身長:169cm

高校時代に登山を始めた野口健さんは、大学入学後から世界の名立たる山々に挑み、各地で最年少登頂記録を樹立しました。

2008年には植村直己冒険賞を受賞、NPO法人「空援隊」に参加し、主にフィリピンにおける旧日本軍戦没者の遺骨調査・収集活動を始めています。

また2015年4月のネパール滞在中にネパール地震に被災し、「ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げて復興支援を行っており、同年7月には「第一回安藤忠雄文化財団賞」を受賞しました。

さらに『世界遺産にされて富士山は泣いている』、『震災が起きた後で死なないために 「避難所にテント村」という選択肢』、『登り続ける、ということ。 山を登る 学校を建てる 災害とたたかう』などを出版しています。

野口健の所属事務所

野口健さんは、「有限会社野口健事務所」に所属しています。

こちらは野口健さんの個人事務所です。

野口健の年収

野口健さんの年収は公表されていません。

有名登山家として講演やメディア出演、書籍の出版など活動が多岐にわたることから、年収は数千万円以上になるのではないかと思われます。

まとめ

学生時代は優秀な生徒ではなかった野口健さんですが、登山との出会いが人生を大きく変えました。

これからも登山家、そして環境活動家として頑張ってほしいと思います。

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