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北大路欣也の父親は市川右太衛門で母親や実家は?兄弟とは確執がある?

kitaoojikinya_family 俳優
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子役時代から活動している俳優・北大路欣也さんは、お父さんも役者でした。

お母さんはどんな人で、兄弟は何人いるのでしょうか。

今回は、北大路欣也さんの実家や家族について調べてみました。

北大路欣也の父親は市川右太衛門

北大路欣也さんのお父さんは、映画俳優の市川右太衛門さんです。

市川右太衛門さんは、歌舞伎役者としてキャリアをスタートさせた後に映画俳優に転身、戦前・戦後の時代劇のスターとして活躍しました。

同じ時代に時代劇スターといわれていた阪東妻三郎さん、大河内伝次郎さん、長谷川一夫さんらとともに『時代劇六大スタア』と呼ばれていたそうですが、1966年に引退し1999年に老衰のため92歳で亡くなりました。

北大路欣也さんはお父さんについて、「幼いころからの絶対的存在であり、13歳の時に父親主演の映画『父子鷹』でデビューとなった恩義は計り知れません」と明かしています。

北大路欣也の実家はお金持ち?

北大路欣也さんは、京都府京都市紫竹出身です。

お父さんが大スターだったことから裕福な暮らしをしていたと思われますが、実家の詳しい場所は公開されていないためわかりませんでした。

またお金持ちエピソードも語られていません。

北大路欣也の生い立ち

1943年2月23日に誕生した北大路欣也さんは、お父さんの肩車で映画を観に連れて行ってもらったり、近所に紙芝居が来たら走って観に行くなどお芝居を観ることは好きでした。

しかし小学生の頃の夢は野球選手で、俳優を目指しておらず、お芝居の経験もありませんでした。

1956年に映画『父子鷹』で勝海舟の少年時代役を演じ俳優デビューしたものの、出演のスカウトが来た際も「考えさせてください」と保留、台本を読んで子供ながらに素晴らしいと思ったため出演を決めたそうです。

ただ10代の頃は俳優を職業にする気はなく、「出なさいと言われていたから出ていただけ」と明かしています。

そんな北大路欣也さんが俳優を続けていくきっかけとなったのは早稲田大学第二文学部に在籍中に『リア王』の舞台に立った時だそうで、その後は多くの作品に出演、映画『八甲田山』では第1回日本アカデミー賞主演男優賞を受賞しました。

北大路欣也の母親

北大路欣也さんのお母さんは、浅井スヱノさんと言います。

一般人のため顔写真などは公開されていません。

北大路欣也さんは両親について「いつも一緒にいたいという2人でした」と明かしています。

北大路欣也の兄や姉と確執がある?

北大路欣也さんには、お兄さんとお姉さんがいます。

二人とも一般人で、芸能活動は行ったことがないため名前や職業などの情報もありませんでしたが、お兄さんは早稲田大学の理工学部出身なんだそうですよ。

そんなお兄さんやお姉さんと北大路欣也さんは、現在絶縁状態だといわれています。

きっかけは1999年にお父さんの市川右太衛門さんが亡くなった時、市川右太衛門さんが奥さん(浅井スヱノさん)と一緒に千葉県館山市の老人ホームに入居していたことが発覚したことでした。

両親が老人ホームに入居することを決めたのは北大路欣也さんで、お兄さんやお姉さんにそのことを伝えていなかったそうです。

晩年の市川右太衛門さんは身内の借金を肩代わりしたことがきっかけで自宅が差し押さえられるほど困窮しており、浅井スヱノさんの足が悪くなったことから北大路欣也さんは両親の二人暮らしに不安を抱き、安心できる施設を探しました。

両親には同居を提案したこともあったものの、断られたため老人ホームへの入居を同意してもらったようです。

その後お姉さんたちは両親が老人ホームに入居したことを知り北大路欣也さんに連絡、しかし留守番電話にメッセージを入れても返事は返ってこず、しばらくしてから北大路欣也さんの代理人弁護士から両親が入居した老人ホームを教えてもらいました。

お姉さんは老人ホームに行き両親に会うことが出来たものの、北大路欣也さんには不信感が芽生えてしまったようです。

そして北大路欣也さんとお姉さんたちはお父さんの葬儀で会ったのを最後に連絡を取り合うこともなくなり、北大路欣也さんが老人ホームに入居したという報道があった際にお姉さんは「別に、なにも思うところはありません。私には関係がありませんから」とコメントしています。

まとめ

北大路欣也さんはお父さんが役者だったことからスカウトを受け、俳優の道に進みました。

お姉さんとは今も関係が修復されていないようですが、いつか和解できるといいですね。

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