桂ざこばさんは、落語家やタレントとして長く親しまれていました。
そんな桂ざこばさんが通っていた学校はどこにあり、家族はどんな人だったのでしょうか。
今回は、桂ざこばさんの経歴や出身学校、家族、師匠などについて調べてみました。
桂ざこばの師匠は桂米朝
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— しゃーくふかまち (@3veCcazjPT3wVbM) February 6, 2024
桂米朝 pic.twitter.com/kQ7gjYNBaf
桂ざこばさんの師匠は、3代目桂米朝さんです。
桂米朝さんは、1947年9月に会社勤めをしながら米團治に入門し3代目桂米朝を名乗ると、1966年7月16日には初の独演会「米朝 スポットショー」を京都府立勤労会館で開催、さらに桂米朝落語研究会をスタートさせました。
1979年には帝塚山学院大学の非常勤講師を務め、1996年に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年には演芸界初の文化勲章受章者になりました。
桂ざこばの弟子
ざこば門下の三人が来年3月に上方の噺家の名跡を襲名することが決まり、昨日(4/30)記者会見が開かれました。
— 桂米團治 (@yonedanji_k) May 1, 2024
ひろば→力造
ちょうば→米之助
そうば→惣兵衛
応援よろしくお願いします❗️https://t.co/c6rR4QGruWhttps://t.co/QwAhfCtNpT#襲名 #米朝一門 pic.twitter.com/PhbiaamsF4
桂ざこばさんの弟子は、四代目桂塩鯛さん、桂出丸さん、桂わかばさん、桂ひろばさん、桂ちょうばさん、桂そうばさん、桂あおばさん、桂りょうばさんです。
桂ひろばさん、桂ちょうばさん、桂そうばさんは、2025年3月にサンケイホールブリーゼで行われる『桂米朝没後10年』で、それぞれ「二代目桂力造」、「四代目桂米之助」、「二代目桂惣兵衛」を襲名することを発表しています。
桂ざこばの前の名前は?
桂ざこばさんは、「桂朝丸」名義で落語家デビューしました。
そして1988年4月に二代目「桂ざこば」を襲名しています。
襲名は、兄弟子である枝雀さんの提案によるものだったそうです。
桂ざこばのプロフィールや経歴
芸術選奨文部科学大臣賞に桂ざこばさん「なんでまた…」 所属事務所通してコメント https://t.co/Qcvn1B2J2o pic.twitter.com/JEZp10PZVp
— wolfsbee13 (@wolfsbee13) March 8, 2017
名前:桂ざこば
生年月日:1947年9月21日
出身地:大阪府
血液型:AB型
身長:163cm
所属事務所:米朝事務所
1963年5月に桂米朝さんの弟子になった桂ざこばさんは、入門3か月後に京都の拘置所で「子ほめ」を演じたのが初舞台になりました。
その後は1965年10月から放映された『お笑いとんち袋』でレギュラー出演するなどテレビでも活躍、1981年3月13日にサンケイホールで「桂朝丸独演会」を開催しました。
1985年に上方お笑い大賞 金賞、1986年に日本放送演芸大賞 奨励賞、大阪府民劇場賞 奨励賞を受賞しています。
「桂ざこば」襲名後も活躍は変わらず、2007年7月7日には噺家生活45周年・還暦記念公演「桂ざこばの会」を京都の南座で開催しました。
2017年には芸術選奨文部科学大臣賞 大衆芸能部門を受賞しました。
桂ざこばの所属事務所
桂ざこばさんは、「米朝事務所」に所属しています。
こちらは米朝一門の大多数の落語家が所属しており、桂ざこばさんは2015年から専務取締役(常務取締役より昇進)を務めていました。
桂ざこばの学歴
桂ざこばさんが通っていた学校について調べてみました。
桂ざこばの出身小学校
出身小学校は公表されていません。
大阪府内の学校に通っていたと思われます。
桂ざこばの出身中学
小学校卒業後は、日本橋中学校に進学しました。
中学の頃は新聞配達、靴磨き、アイスクリーム売りなどのアルバイトを詩、学校にはほとんど通っていませんでした。
桂ざこばの出身高校
中学校卒業後は、進学していません。
欠席日数が多すぎて進学できる高校がなく、桂米朝さんの「世間の空気を吸ってこい」という言いつけで1か月だけ配線工事会社に勤めていました。
桂ざこばの出身大学
桂ざこばさんは高校から学校に通っていないため、大学にも進学していません。
桂ざこばの実家や生い立ち
1947年9月21日に誕生した桂ざこばさんは、大阪府大阪市西成区出身です。
実家の詳しい場所は公開されていません。
小学2年生の時に両親は離婚し、桂ざこばさんはお父さんに引き取られました。
しかしお父さんが亡くなってしまったことからお母さんとお姉さんと暮らすようになりました。
家計を支えるために桂ざこばさんは小学5年生から大阪球場で声を張り上げてアイスクリームの売り子をして働き、シーズンオフには新聞配達もやっていました。
中学生になると大阪球場では「ビール売り」が許され、さらに働くようになると勉強より稼ぐことを優先していたそうです。
そんなある時学校をさぼって千日劇場に行った際、三代目桂米朝さんが「浮世床」を演じるのを見て即座に弟子入り志願、当初桂米朝さんは「学校をサボるような子は噺家にはなれん」と突き放したものの、それから何日も桂ざこばさんは通い詰めたそうです。
そして桂米朝さん宅に呼ばれて「落語ができるか」と問われた際、うろ覚えで我流の「浮世床」を少し話すと、傍にいた桂小米(のちの二代目桂枝雀)さんが「師匠、彼を弟子にとりましょう!」と口添えしてくれたことから桂ざこばさんは落語の世界に入りました。
桂ざこばの父親
桂ざこばさんのお父さんは一般人です。
職業は、大阪府警察の元職員でした。
お母さんとの離婚後は桂ざこばさんと旅館暮らしをしていたものの、ある日お父さんは失踪して鉄道自殺したそうです。
桂ざこばの母親
桂ざこばさんのお母さんも一般人です。
お母さんは、精肉店の2階にあるすき焼き屋で仲居をしていました。
桂ざこばさんは「お母さんが一家を支えるために必死で働いている」と思うことが、心の支えになっていたそうです。
桂ざこばの兄弟や姉妹
桂ざこばさんには、お姉さんがいます。
お姉さんも一般人で名前や経歴などは公開されていません。
まとめ
幼少期は決していい生活を送っていたとは言えない桂ざこばさんですが、落語家として成功し、2024年6月12日に旅立ちました。
桂ざこばさんの落語を生で聞くことはもうできませんが、桂ざこばさんが残してくれたものをこれからも大切にしていきたいですね。