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伊達公子の実家は滋賀!父親と母親兄弟・出身高校や大学も調べてみた

datekimiko_family スポーツ

アジア出身の女子テニス選手として史上初めてシングルス世界ランキングトップ10入りを果たした元テニス選手の伊達公子さんですが、両親もテニス選手だったのでしょうか。

学生時代はどこの学校に通い、どんな生活を送っていたのでしょうか。

今回は、伊達公子さんの実家や家族、出身学校について調べてみました。

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伊達公子の実家は滋賀

伊達公子さんは、京都府京都市上京区で誕生しました。

その後、小学生の時に滋賀県大津市に転居しています。

伊達公子の実家が欠陥住宅だった

2002年、伊達公子さんのお父さんは滋賀県大津市に一軒家を建てました。

お父さんが最後の住まいとして建てたものでしたが、一歩家の外に出れば外装には足場が組まれブルーシートがかけられており、雨水によってバルコニーの床が抜け落ち家の至るところで腐食が進んでいるという欠陥住宅でした。

住宅トラブルの専門家は防水施工などが十分ではなかった工務店による杜撰な施工、さらに屋根裏でも図面とは異なり部材を間引いた手抜き工事が行われていたと指摘しています。

そこで伊達家は工務店側を相手どり2008年に提訴、工務店側は「不法行為責任を負うような注意義務違反はない」と責任を認めていないところまでは報じられていますが、その後の進展は公表されていません。

お父さんは裁判の前に亡くなっており、「自分がこの土地を選んだがために、こういう問題が発生してしまった」と最後まで気にしていたそうです。

伊達公子の生い立ち

1970年9月28日に誕生した伊達公子さんは、活発で外で遊ぶことが大好きな子供でした。

6歳の時に体を動かすことが好きな両親が始めたことをきっかけに伊達公子さんもテニスを始めることになり、とにかくボールを打てることが楽しく、さらに「テニスなら両親も一緒だから遅くまでやっていても怒られない」というメリットが生まれ打ち込むようになったそうです。

高校時代に結果を残したことで卒業後はプロの世界に入り、26歳で一度引退するも2008年にプロテニスプレイヤー「クルム伊達公子」として現役復帰、2017年に二度目の現役生活に終止符を打ちました。

伊達公子の父親

伊達公子さんのお父さんは、伊達寿一さんと言います。

お父さんは京都市交通局に勤務し、市バスの運転手や地下鉄の駅の仕事をしていました。

2007年11月に70歳で亡くなっています。

伊達公子の母親

伊達公子さんのお母さんは、伊達まさこさんと言います。

お母さんはお父さんが残した家を欠陥と分かっていながらも住み続けているそうです。

伊達公子の兄弟や姉妹

伊達公子さんには、お兄さんとお姉さんがいます。

お兄さんは伊達隆介さんと言い、お姉さんの名前は公開されていません。

二人とも一般人のためっ経歴なども公開されていませんが、伊達公子さんはブログで「兄、姉も関東に住んでいるので時間がうまく合うと会えます。 甥っ子、姪っ子がいるのでみんな集まると賑やか」と明かしていました。

伊達公子の学歴

伊達公子さんが通っていた学校について調べてみました。

伊達公子の出身小学校

伊達公子さんは、京都市立鷹峯小学校に入学しました。

6年生の時に大津市立瀬田南小学校に転校しています。

6歳からテニスを始めた伊達公子さんが初めて試合に出たのは8歳の時でした。

京都のいわゆるローカル大会で3位、この頃の成績は最高でも2位止まりだったそうです。

伊達公子の出身中学

小学校卒業後は、大津市立瀬田中学校に進学しました。

中学時代は名門テニスクラブと言われるところでレッスンを受けていたものの、周囲が出来る子たちばかりだったため伊達公子さんは劣等生でした。

またバレーボールも好きで、3年生の時には週1回の学校のクラブ活動でバレーボールクラブに入っていたそうです。

伊達公子の出身高校

中学校卒業後は、園田学園高等学校に進学しました。

偏差値は、43~53です。

高校時代は1988年のインターハイでシングルス、ダブルス、団体優勝の3冠獲得を達成しました。

伊達公子の出身大学

高校卒業後は、進学していません。

プロに転向しプロテニス選手としての活動をスタートさせました。

まとめ

両親がきっかけでテニスを始めた伊達公子さんは、最初から上手い選手というわけではありませんでした。

それでも努力を重ね、伊達公子さんは数々の結果を残しました。

今後も伊達公子さんの活躍に注目していきたいですね。

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