夫婦漫才の第一人者・「宮川大助・花子」の宮川大助さんは、どんな人なのでしょうか。
どこで育ち、どこの学校に通っていたのでしょうか。
今回は、宮川大助さんの経歴や出身学校、家族について調べてみました。
宮川大助の学歴
宮川大助さんが通っていた学校について調べてみました。
宮川大助の出身小学校
出身小学校は公表されていません。
地元の学校に通っていたと思われます。
宮川大助の出身中学
出身中学校も公表されていません。
中学時代のエピソードもありませんでした。
宮川大助の出身高校
中学校卒業後は、鳥取県立米子工業高等学校に進学しました。
宮川大助さんは電波通信科(現・情報電子科)に在籍、偏差値は50です。
宮川大助の出身大学
高校卒業後は、就職しています。
そのため大学への進学はしていません。
宮川大助のプロフィールや経歴
宮川大助さん、お誕生日おめでとうございます😃 pic.twitter.com/K0rHU8G1Lc
— 帰ってきたパンク (@zcpbFuNWhU7527) October 2, 2023
名前:宮川大助
生年月日:1949年10月3日
出身地:鳥取県
血液型:B型
身長:179cm
所属事務所:吉本興業
1972年に浪曲漫才「宮川左近ショー」のリーダーだった4代目宮川左近さんの弟子になった宮川大助さんは、同門の宮川小助(後の宮川青丸)さんとコンビ「大助・小助」を組んで活動を始めました。
しかしコンビは3年で解散、その後は警備会社にで働きながら100本に上る漫才台本を書き、花子さんを誘って「宮川大助・花子」を結成しました。
宮川大助の本名
宮川大助さんの本名は、「松下孝美」さんと言います。
自身と花子さんの師匠の了解を取り付け「宮川」と屋号が決まりました。
宮川大助の所属事務所
宮川大助さんは「吉本興業」に所属しています。
宮川花子さんとコンビを組む前は松竹芸能の養成所に在籍していました。
宮川大助の年収
宮川大助さんの年収は公表されていません。
「宮川大助・花子」としての活動は今も続いているため、数千万円以上になるのではないかと思われます。
宮川大助の実家や生い立ち
1949年10月3日に誕生した宮川大助さんは、鳥取県西伯郡余子村大字竹内(現:境港市竹内町)出身です。
実家の詳しい場所は公開されていません。
裕福な家庭ではなく、実家には車がなかったそうです。
わんぱく少年だった宮川大助さんは高校卒業後に三菱電機の製作所でエンジニアになりました。
しかし働きながら「どうしても頭の良さでかなわんな」と思う時があり、そんな時に横山やすしさん・西川きよしさんや中田カウスさん・ボタンさんの漫才を見て「自分も喋るだけやったらできるかな」と思ったそうです。
ちょうど漫才ブームで西川きよしさんが豪邸を建てたという話をしていたことから、「自分も漫才で一攫千金して親孝行しよう」とサラリーマンを辞めて芸能界に入りました。
宮川大助の父親や母親
宮川大助さんの両親は一般人です。
お父さんは大工で、両親ら家族は戦前に鳥取から朝鮮半島北部へ移り住んだそうです。
宮川大助の兄弟や姉妹
宮川大助さんは、8人兄弟で育ちました。
兄弟は全員一般人のようで、名前や顔写真は公開されていません。
まとめ
高校卒業後は一般職で働いていた宮川大助さんですが、漫才ブームをきっかけに芸能界に入りました。
これからも奥さんの宮川花子さんと共に、漫才を続けていってほしいですね。