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大山のぶ代の出身高校や大学は?若い頃や本名・実家や父親と母親兄弟も

ooyamanobuyo_career 声優
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大山のぶ代さんは、女優としてデビューし、声優やタレントとしても活動しました。

そんな大山のぶ代さんはどこの学校に通い、どんな家庭で育ったのでしょうか。

今回は、大山のぶ代さんの経歴や出身学校、家族などについて調べてみました。

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大山のぶ代の学歴

大山のぶ代さんが通っていた学校について調べてみました。

大山のぶ代の出身小学校

大山のぶ代さんは、渋谷区立臨川小学校に進学しました。

その後、渋谷区立広尾小学校に転校しています。

小学生の頃は校庭を駆け回る活発な少女だったそうです。

大山のぶ代の出身中学

小学校卒業後は、渋谷区立広尾中学校に進学しました。

中学では放送研究部や演劇部に所属していました。

大山のぶ代の出身高校

中学校卒業後は、東京都立三田高等学校に進学しました。

現在の偏差値は、67です。

高校では演劇部と水泳部に入部したものの、お母さんの病気のためすぐに退部しています。

大山のぶ代の出身大学

高校卒業後は、進学していません。

演劇の道に進んでいます。

大山のぶ代の若い頃

大山のぶ代さんの若い頃の姿はこちらです。

とても綺麗ですね。

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大山のぶ代の代表作

大山のぶ代さんの代表作は、アニメ『ドラえもん』です。

1979年から2005年までの26年間、主人公のドラえもんの声を担当しました。

1980年にはEP『ドラえもん音頭』など大山のぶ代さんが歌ったドラえもん関連のレコード売り上げが100万枚を突破し、日本コロムビアのゴールドディスクを受賞しています。

さらに2006年の第11回アニメーション神戸にて『ドラえもん』での功績が称えられ、レギュラー陣の小原乃梨子さん、野村道子さん、たてかべ和也さん、肝付兼太さんと共に特別賞を受賞しました。

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大山のぶ代のプロフィールや経歴

名前:大山のぶ代
生年月日:1933年10月16日
出身地:東京府(現・東京都)
血液型:O型
身長:162cm
所属事務所:アクターズ・セブン

俳優座養成所に第7期生として入所した大山のぶ代さんは、1956年のNHKドラマ『この瞳』でデビュー、養成所卒業後の1957年には劇団新人会に入団しました。

1957年の『名犬ラッシー』の吹き替えで声優デビューし、1960年に人形劇『ブーフーウー』のブー役を担当、1965年にはアニメ『ハッスルパンチ』にて初主演を務めています。

その後も『ハリスの旋風』や『無敵超人ザンボット3』など複数の作品で主演を務めました。

2005年3月には放送ウーマン賞を受賞、2006年5月にドラえもんの声優としての26年間を中心に記した自伝エッセイ『ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年うちあけ話』を出版しています。

2007年4月からは音響芸術専門学校の校長に就任、2011年に名誉会長になりました。

2014年から2016年にかけては、全国農業協同組合連合会のWebアニメ『おにくだいすき! ゼウシくん』にみの太役で出演しました。

アルカノイドが得意でも話題だった

大山のぶ代さんは、アーケード用ゲーム「アルカノイド」が得意でした。

2006年放送の『トリビアの泉』で紹介され、大山のぶ代さんは実際にプレーし全面クリアを成し遂げています。

意外なゲーマーぶりはゲーム業界にも衝撃を与え、ゲームセンターの1日店長を務めたこともありました。

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大山のぶ代の所属事務所

大山のぶ代さんは、「アクターズ・セブン」に所属していました。

こちらの事務所には、十朱幸代さんも在籍しています。

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大山のぶ代の年収

大山のぶ代さんの年収は公表されていません。

晩年は認知症のため仕事をしていませんでした。

大山のぶ代の実家

大山のぶ代さんは、東京府東京市渋谷区伊達町出身です。

こちらは現在の東京都渋谷区恵比寿三丁目になります。

幼い頃は四世代同居13人家族での暮らしだったそうですよ。

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大山のぶ代の生い立ち

1933年10月16日に誕生した大山のぶ代さんは、幼い頃から特徴的な声を持っていました。

幼稚園の入園式では名前を呼ばれ返事をしたところ、並みいる保護者らが一斉に立ち上がり視線を注いだそうです。

そんな大山のぶ代さんはとてもお喋りな子でしたが、中学進学後に、同級生に「お前の声はおかしい」と指摘されたことで初めて個性的な自分の声を自覚、その声に嫌悪感を持つようになったため無口になってしまいました。

「大山が声を出したらみんなで笑う」という遊びが流行るなどいじめを受けたこともあったそうです。

引っ込み思案になっていたところにお母さんが「声が変だからといって、その弱いところをかばってばかりいたらもっと弱くなってしまう。声を出すような部活動をしなさい」と助言、このことをきっかけに大山のぶ代さんは放送研究部に入部してアナウンスをしたり自作したラジオドラマを披露するようになりました。

これらの活動は周囲や担任教師に反対されたものの一ヶ月経つと何も言われなくなり、その後は勧誘を機に演劇部へ入部、『シンデレラ』の継母役が初舞台でした。

そしてお母さんを亡くしたことから手に職をつけるため演劇の道を選んだそうです。

大山のぶ代の父親

大山のぶ代さんのお父さんは一般人です。

大山のぶ代さんが俳優座養成所に入るとお父さんは「役者になるなら出ていけ!」と大反対、そのため大山のぶ代さんは独り暮らしをしながら役者活動をしていました。

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大山のぶ代の母親

大山のぶ代さんのお母さんも一般人です。

お母さんは、宮城県古川市(現:大崎市)の造り酒屋の娘さんでした。

大山のぶ代さんが高校2年生の時、子宮癌により42歳で亡くなっています。

大山のぶ代の兄弟や姉妹

大山のぶ代さんには、お兄さんがいます。

お兄さんは11歳年上で、大山のぶ代さんの役者活動を応援してくれていたそうです。

まとめ

お母さんを早くに亡くして手に職を付けるために演劇を選んだ大山のぶ代さんは、その声を生かして声優としても活動し、2024年9月29日に90歳の生涯に幕を閉じました。

大山のぶ代さんの新しい作品はもう誕生しませんが、残してくれたものをこれからも大切にしていきたいですね。

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