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荻野目洋子の実家は佐倉市?父親は国連で母親は?4人兄弟で姉は女優!

oginomeyoko_family 歌手

「ダンシング・ヒーロー」をきっかけにブレイクした歌手の荻野目洋子さんは、どんな家庭で育ったのでしょうか。

お姉さんは女優とのことですが、どんな作品に出演しているのでしょうか。

今回は、荻野目洋子さんの実家や家族について調べてみました。

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荻野目洋子の実家は佐倉市?

荻野目洋子さんは、千葉県柏市で誕生しました。

4歳まで柏市内で過ごし、その後小学校の終わりまで埼玉県嵐山町で生活していました。

さらに千葉県佐倉市に引っ越し、1983年に東京都世田谷区に転居しています。

そこから転居の話はないため実家は世田谷区内にあると思われます。

荻野目洋子の生い立ち

1968年12月10日に誕生した荻野目洋子さんは、引っ込み思案で家で1000ピースのパズルを完成させたり、地味な作業が大好きな子供でしたが、埼玉に住んでいたころは猿のように自然児で、男の子に叩かれたら叩き返すわんぱくな感じでもあったそうです。

また歌うことが大好きで、町の公民館で民謡を歌う機会があった時に、前に出て行くタイプではないものの歌ってるときの自分は自身を持つことが出来、楽しい気持ちになったことから「歌う仕事ができたらいいな」と思っていました。

そしてお姉さんのオーディションやロケ現場などに「家にいるよりは…」とついて行くようになった頃、劇団オーディションの際は「一緒に受ける?」と誘われ歌を歌うと見事合格、しかし「一般家庭としてはお月謝がものすごく高かった」という理由や、自身もやる気はなかったため劇団には入らなかったそうです。

ただお姉さんの映画のロケについて行ったら「お姉ちゃんの役のもっと小さい頃の役の子が出れなくなったから出てくれない?」と言われて出たり、スカウトを受けて小学生女子3人のグループのメンバーとしてデビューするなど、芸能活動を行うようになりました。

中学2年生の頃にアニメ『みゆき』のヒロイン・若松みゆき役の声優に抜擢されたことをきっかけに、高校1年生の時に歌手デビューを果たしました。

荻野目洋子の父親は国連職員?

荻野目洋子さんのお父さんは、荻野目功さんと言います。

お父さんはILO(国際労働事務局)に勤務し、世界の労働環境について取り扱っていました。

荻野目洋子さんとお父さんは釣りや自然が好きという点で趣味が一緒だったそうです。

お父さんは、2007年に亡くなっています。

荻野目洋子の母親

荻野目洋子さんのお母さんは一般人で名前は公表されていません。

お母さんはとてもユニークな人で、荻野目家が度々引っ越していたもの、お母さんの提案だったそうです。

料理が上手く、荻野目洋子さんは「市販のケーキを買ったことが一度もなかった」と明かしていました。

荻野目洋子は4人兄弟

荻野目洋子さんは、4兄弟の末っ子で、お姉さんが2人、お兄さんが1人います。

6歳上のお姉さん、2歳上のお兄さんは一般人で名前や写真は公開されていません。

お兄さんは荻野目洋子さんのマネージャーを務めていました。

現在もマネージャー業を続けているのかは不明です。

荻野目洋子の姉は女優の荻野目慶子

荻野目洋子さんの4歳年上のお姉さんは、女優の荻野目慶子さんです。

荻野目慶子さんは、12歳で劇団ひまわりに入団し子役として活動を開始、映画『獄門島』などに出演しました。

14歳の時に舞台『奇跡の人』のヒロイン、ヘレン・ケラー役のオーディションに合格、映画『いつかギラギラする日』、ドラマ『女優・杏子』、『愛のソレア』などに出演しました。

まとめ

荻野目洋子さんは一般家庭で育ちましたが、幼い頃から好きだった歌手になり、お姉さんも芸能界で活動しています。

空の上で見守ってくれているお父さんに安心してもらえるよう、これからも芸能界で輝き続けてほしいですね。

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