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荻野目洋子の出身高校や大学は?代表曲や本名・事務所や年収も調べてみた

oginomeyoko_career 歌手

1984年にソロ歌手デビューした荻野目洋子さんですが、小学生の頃にも芸能活動を行っていました。

そんな荻野目洋子さんが通っていた学校はどこなのでしょうか。

今回は、荻野目洋子さんの経歴や出身学校などについて調べてみました。

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荻野目洋子の学歴

荻野目洋子さんが通っていた学校について調べてみました。

荻野目洋子の出身小学校

荻野目洋子さんは、嵐山町立菅谷小学校に入学しました。

5年生頃に佐倉市立佐倉東小学校に転校しています。

埼玉にいた頃はわんぱくな子供だった荻野目洋子さんは、転校後に「人にやさしくなろう」と心を入れ変えて新しい友達をたくさん作ったそうです。

荻野目洋子の出身中学

小学校卒業後は、佐倉市立佐倉中学校に進学しました。

中学では卓球部に所属していました。

ネット上では「世田谷区立烏山中学校に転校」という噂もありますが、荻野目洋子さんは中学卒業後に世田谷区内に引っ越しているため、中学時代に転校は経験していないようです。

荻野目洋子の出身高校

中学校卒業後は、堀越高等学校に進学しました。

荻野目洋子さんは芸能活動コース(現・トレイトコース)に在籍、偏差値は37です。

荻野目洋子の出身大学

高校卒業後は、進学していません。

芸能活動に専念しています。

荻野目洋子の代表曲

荻野目洋子さんの代表曲は、「ダンシング・ヒーロー」です。

1985年11月21日に荻野目洋子さんの7枚目のシングルとしてリリースされました。

歌手デビュー以来初めてのオリコン週間チャートトップ10入りを果たし、第12回日本テレビ音楽祭にて日本テレビアイドル賞、第12回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭にて最優秀アイドル賞、第19回日本有線大賞にて有線音楽賞を受賞しました。

さらに『第37回NHK紅白歌合戦』にも初出場するなど発売当時からヒットしましたが、2017年に大阪府立登美丘高等学校ダンス部がコンテスト用の組曲に用いたことにより再注目されています。

荻野目洋子のプロフィールや経歴

名前:荻野目洋子
生年月日:1968年12月10日
出身地:千葉県
血液型:B型
身長:160cm
所属事務所:ライジングプロダクション

お姉さんの荻野目慶子さんが出演した1977年の映画『獄門島』に監督から「出てみない?」と言われた荻野目洋子さんは、回想シーンで映画初出演を果たしました。

1978年には『ちびっこ歌まねベストテン』に出演していたところをスカウトされて芸能界デビュー、小学生女子3人のグループ「ミルク」として1979年に『ザ・あれから いちねん』でレコードデビューしました。

しかし「ミルク」は翌年2枚目となるシングルレコード『リトル・キッス』を発売した後に自然解散となり、荻野目洋子さんの芸能活動は一旦終了しています。

中学生時代に映画『ションベン・ライダー』のオーディションを受けたのがきっかけで、1983年にアニメ『みゆき』のヒロイン若松みゆき役の声優に抜擢され、1984年に「未来航海-Sailing-」でソロデビューしました。

1989年のドラマ『こまらせないで!』などでは主演を務めて主題歌も歌い、NHKのドラマには1990年の連続テレビ小説『凛凛と』、1993年のドラマ新銀河『トーキョー国盗り物語』などに出演しています。

荻野目洋子の本名

荻野目洋子さんは、本名です。

2001年に元プロテニス選手の辻野隆三さんと結婚し、現在は「辻野」姓になりました。

「洋子」という名前は両親から「将来は海外へ飛び出して行くような子に育って欲しい」という願いを込められて名付けられたそうです。

荻野目洋子の所属事務所

荻野目洋子さんは、「ライジングプロダクション」に所属しています。

こちらの事務所には、「MAX」や「DA PUMP」、三浦大知さん、観月ありささん、知念里奈さんらも在籍しています。

荻野目洋子の年収

荻野目洋子さんの年収は公表されていません。

メディアに出演することも多く、ヒット曲を持つ歌手ということもあり、数百万円以上になるのではないかと思われます。

まとめ

「ダンシング・ヒーロー」のヒットで老若男女問わず知られるようになった荻野目洋子さんですが、この道にたどり着くまでは様々な苦労がありました。

これからも歌い続けていけるよう、荻野目洋子さんの活動を応援していきたいと思います。

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