女優で歌手の国生さゆりさんは、どこの高校や大学に通っていたのでしょうか。
芸能界に入ったきっかけは何だったのでしょうか。
今回は、国生さゆりさんの経歴や出身学校、家族について調べてみました。
国生さゆりの学歴
国生さゆりさんが通っていた学校について調べてみました。
国生さゆりの出身小学校
国生さゆりさんは、佐世保市立春日小学校に進学しました。
5年生の時に鹿屋市立西原小学校に転校しています。
小学生の頃から陸上をやっていました。
国生さゆりの出身中学
小学校卒業後は、鹿屋市立第一鹿屋中学校に進学しました。
入学時はバレーボール部に入りました。
しかし選手としては背が低かったことと陸上部の先生から誘われたことで、1年生の2学期から陸上部に転部しています。
国生さゆりの出身高校
中学校卒業後は、鹿児島実践女子高等学校に進学しました。
こちらの学校は2006年に閉校しています。
2年生の時に清水ヶ丘高等学校に転校しました。
偏差値は、45です。
高校時代も陸上に打ち込んでいました。
国生さゆりの出身大学
高校卒業後は、進学していません。
芸能界に入り芸能活動に専念していますが、芸能界入りが決まる前は資生堂の美容部員に就職が内定しており、広島のデパートの化粧品売り場に立つ予定だったそうです。
国生さゆりの若い頃・おニャン子クラブでデビュー
国生さゆりさんの若い頃の姿はこちらです。
本日のワクワクダンボール📦
— かーやん (@karyang1973) October 27, 2024
『NO MORE 恋愛ごっこ』おニャン子クラブ
新田恵利も河合その子もいない、スッカスカのおニャン子クラブが むしろ好きだ(ジャケには国生さゆりがいるが本曲ではセンターではない)。なんか出涸らしのお茶みたいで🍵www pic.twitter.com/f35CmJLGzK
国生さゆり「ソレ以上、アレ未満」
— あっぷるみんと (@applemi21530980) May 27, 2023
1987.5.28
6thSgでおニャン子クラブ卒業後初のシングル。本人主演ドラマ"キスより簡単"主題歌。秋元康さん作詞、小森田実さん作曲、難波正司さん編曲。詞の世界がドラマの内容にピッタリ。
間奏での元気なステップが印象的でした。#国生さゆり#おニャン子クラブ pic.twitter.com/E40uzQnjas
#Nowplaying バレンタイン・キッス – 国生さゆりwithおニャン子クラブ (ゴールデン☆アイドル デラックス 国生さゆり) https://t.co/pBoc17D3gZ pic.twitter.com/5mAEcGN3Xg
— ٩(•ᴗ• ٩) 越谷 ٩(•ᴗ• ٩) (@ieyasukoshigaya) January 31, 2024
とても可愛らしいですね。
国生さゆりさんは1985年に「おニャン子クラブ」のスターティングメンバー・会員番号8番としてデビューしました。
おニャン子クラブはデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」でブレイクを果たしましたが、この当時のおニャン子クラブにおけるパブリックイメージはデビュー曲のフロントヴォーカルの4人である新田恵利さん、中島美春さん、福永恵規さん、内海和子さんに集中していました。
そのため4人の後ろでその他大勢の一員として踊っていた国生さゆりさんがおニャン子クラブのメンバーであることは、世間一般的にはまだ知られてなかったそうです。
国生さゆりの代表曲
✨🍫明日は特別スペシャル・デー
— アイドル懐かしみ隊 (@natsukashi_idol) February 13, 2023
一年一度のチャンス💝✨
バレンタイン・キッス / 国生さゆり with おニャン子クラブ#1986年2月1日発売#ソロデビューシングル#オリコン最高位2位#夕やけニャンニャン#バレンタインデー#デライツ#昭和 #80年代 @retoro_mode pic.twitter.com/a4UzibFLmf
国生さゆりさんの代表曲は「バレンタイン・キッス」です。
1986年に国生さゆりさんのソロデビューシングルとしてリリースしました。
第1回 日本ゴールドディスク大賞 The Best Single of The Year を受賞し、現在も「バレンタインの定番曲」として支持されています。
国生さゆりのプロフィールや経歴
国生さゆり「見せるつもりなかった」“こっそり投稿”のSFアクション小説を解禁した真実 https://t.co/kdR8pQfVJQ pic.twitter.com/3zFrCp4FJO
— kokone (@KokoneDaniel) June 18, 2022
名前:国生さゆり
生年月日:1966年12月22日
出身地:鹿児島県
血液型:A型
身長:162cm
1985年4月に「おニャン子クラブ」のメンバーとしてデビューしアイドル活動を始めた国生さゆりさんは、グループ解散後もソロで活動し、『キスより簡単』で連続ドラマ初主演を果たし、1988年にはエランドール賞新人賞を受賞しました。
ドラマや映画だけではなくバラエティー番組にも出演、1995年4月から『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』にレギュラー出演し、番組の企画で、室井滋さんと高山理衣さんとの3人組ユニット「Mckee」を結成し活動していました。
2002年には「おニャン子クラブ」の再結成に参加、シングル「ショーミキゲン」では、おニャン子クラブの楽曲ではじめてフロントボーカルを担当しています。
2020年には小説の執筆活動を始め、2021年7月に『小説家になろう』への投稿も開始、「國生さゆり」名義で長編SF小説「国守の愛」シリーズの連載を始めました。
国生さゆりの所属事務所
国生さゆりさんは、「ソニー・ミュージックアーティスツ」に所属しています。
こちらの事務所には土屋太鳳さん、黒島結菜さん、倉科カナさん、成田凌さん、矢本悠馬さんらも在籍しています。
国生さゆりの年収
国生さゆりさんの年収は公表されていません。
芸歴が長く、現在も活動を続けていることから数百万円ほどになるのではないかと思われます。
国生さゆりの実家は鹿児島?
国生さゆりさんは、鹿児島県鹿屋市出身です。
お父さんの仕事の都合で4歳の時に長崎県佐世保市に移り、広島県呉市内で生活していたこともありました。
現在の実家の場所は公開されていません。
国生さゆりの生い立ち
1966年12月22日に誕生した国生さゆりさんは、お父さんが吉永小百合さんのファンだったことから「さゆり」と命名されました。
高校時代に友達が「コンテストに写真を送るから一緒に参加してはどうか」と勧めたことがきっかけで『第3回ミス・セブンティーンコンテスト』に参加、中国地区代表に選出され全国大会に出場しました。
入賞は出来なかったものの大会終了後にCBSソニーから1985年1月2日放送『第14回レコード10社対抗 ’85新春オールスター大運動会』に「運動会要員」として出場しないかと声をかけられ、深夜番組『オールナイトフジ』の特別番組『オールナイトフジ 女子高生スペシャル』に出演しました。
この特番は新番組『夕やけニャンニャン』のパイロット番組で、番組の中でアシスタント兼マスコットとして結成される女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」のメンバー選定も含まれていたそうです。
国生さゆりさんは見事合格し、「おニャン子クラブ」の会員番号8番として『夕やけニャンニャン』開始とともにデビューしました。
国生さゆりの父親
国生さゆりさんのお父さんは一般人です。
名前や顔写真は公開されていませんが、海上自衛官でした。
2023年4月11日には80歳になったことを国生さゆりさんが明かしています。
国生さゆりの母親
国生さゆりさんのお母さんも一般人です。
お父さんと同じく名前や顔写真などは公開されていません。
国生さゆりの兄弟や姉妹
国生さゆりさんには、弟さんがいます。
2歳年下の弟さんも一般人で、過去に国生さゆりさんのSNSに写真が投稿されていた以外の情報はありませんでした。
まとめ
学生時代は陸上少女だったという国生さゆりさんは、「おニャン子クラブ」をきっかけに芸能活動をスタートさせ、トップアイドルになりました。
これからも国生さゆりさんの活躍を応援していきたいと思います。