「月光」、「眩暈」など多くの楽曲を生み出した鬼束ちひろさんですが、現在は何をしているのでしょうか。
学生時代はどこの学校に通い、どんな生活を送っていたのでしょうか。
今回は、鬼束ちひろさんの経歴や出身学校、現在の仕事などについて調べてみました。
鬼束ちひろの今の仕事は?
2000年代、多くの楽曲で話題を集めてきた鬼束ちひろさんですが、現在も歌手として活動しています。
2020年にはデビュー20周年を迎え、ベストアルバム『REQUIEM AND SILENCE』を発売しました。
他にも配信限定シングルとして『憂鬱な太陽 退屈な月』や『焼ける川』、アルバム『HYSTERIA』をリリースしました。
同年12月8日には音楽番組『The Covers』が主催する、年に一度のフェス『The Covers’ Fes.2020』に出演しています。
2021年には、23rdシングル『スロウダンス』をリリース、この楽曲は『劇場版ポルノグラファー〜プレイバック〜』の主題歌に起用されています。
鬼束ちひろの年収
鬼束ちひろさんの年収は公表されていません。
ただ一部では3300万円ほど納税しているという情報から「年収は6500万円」と言われています。
近年大きなヒット作はないものの、過去の作品が今も多くの人に親しまれていることから、年収が高いのだと思います。
鬼束ちひろのプロフィールや経歴
名前:鬼束ちひろ
生年月日:1980年10月30日
出身地:宮崎県
血液型:O型
身長:154cm
所属事務所:NAPOLEON RECORDS
2000年2月9日にシングル『シャイン』でデビューした鬼束ちひろさんはすぐにブレイクし、翌年4枚目シングル『眩暈/edge』が第43回日本レコード大賞の作詞賞を受賞しました。
さらに2002年3月には『インソムニア』が、日本ゴールドディスク大賞「ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞しています。
順調な歌手活動を続けていたものの、多忙による心身共に健康状態が悪化、声帯結節発症をきっかけに2003年限りで活動を一時停止することになりました。
その後も2007年にアルバム『LAS VEGAS』発売と海外進出希望を表明しました。
2008年4月に単独公演を大成功させたものの、コンサートツアー全国5公演を体調不良で全てキャンセルし、シングルやアルバムを発売してもプロモーションが行われないなど、活動を制限することになります。
しかし、2013年からは「鬼束ちひろ & BILLYS SANDWITCHES」のボーカルとしても活動を始め、2016年からは単独4公演開催とメジャーレーベル契約、2017年に7thアルバム『シンドローム』発売。全国ツアーを完遂するなど、現在は安定して活動を継続しています。
『月光』のヒットでブレイク
2000年8月9日、鬼束ちひろさんはシングル『月光』を発売しました。
この楽曲はドラマ『TRICK』の主題歌になり、ドラマがヒットしたこともあり、鬼束ちひろさんの名を多くの人に広めました。
オリコンウィークリーチャートでは初登場30位から11位までランクアップ、10か月近くもチャート内にランクインするロングヒットを記録し、累計売上は50万枚以上、出荷枚数にして60万枚以上を記録しています。
また音楽配信でもロングヒットを続けており、日本レコード協会からダブル・プラチナの有料音楽配信認定(50万ダウンロード以上)を受けています。
もともとこの作品は2枚目のシングルとしてリリースする予定はなかったものの、ドラマのヒットにより急遽シングル化されることとなったそうですよ。
鬼束ちひろの学歴
鬼束ちひろさんが通っていた学校について調べてみました。
鬼束ちひろの出身小学校
鬼束ちひろさんは、美郷町立南郷小学校(現・日南市立南郷小学校)出身です。
小学生の時に友達に誘われてエレクトーンを始めたことがきっかけで、鬼束ちひろさんは音楽載せハイに入りました。
4年生からは詩を書き始めるようになったそうです。
また陸上を始めるなど、スポーツでも活躍していました。
鬼束ちひろの出身中学
小学校卒業後は、美郷町立南郷中学校(現・日南市立南郷中学校)に進学しました。
中学時代は陸上部のキャプテンを務め、短距離400mリレー走選手として九州大会にも出場歴があります。
勉強の方も成績はオール5、英語では全国模試で1位をとるなどとても優秀でした。
この頃、お母さんに勧められて聴いたカーペンターズから洋楽に興味を持ち、以降、外国人女性シンガーソングライターの楽曲を中心に聴くようになったそうです。
現在の作詞スタイルを確立させたのは2年生の時にアラニス・モリセットさんの世界観に影響されてからで、他にも銀色夏生さんの影響も受けたとのことでした。
鬼束ちひろの出身高校
中学校卒業後は、宮崎県立日南高等学校に進学しました。
こちらの学校の偏差値は、48です。
高校時代の鬼束ちひろさんも成績が良く、スポーツも出来たそうです。
2年生の時にジュエルさんのアルバム『心のかけら』によってその音楽と存在に衝撃を受け、その瞬間からシンガーソングライターを志すようになり、文化祭でエイズに関する劇の主役をやった事に感化され、初めての楽曲「call」を作り、以降デビュー決定後までは全て英語詞で楽曲を作っていました。
3年生の春にはVirgin TOKYO主催の「Virgin ARTIST AUDITION」を受け、ジュエルさんの「Who Will Save Your Soul」と自作曲「call」をキーボード弾き語りで歌い、グランプリを獲得したことが歌手デビューのきっかけとなりました。
鬼束ちひろの出身大学
鬼束ちひろさんは、高校卒業と同時に上京し、作曲活動に入りました。
そのため大学には進学していません。
もし高校の時にデビューが決まっていなかったら、大学に通っていたのかもしれませんね。
まとめ
デビュー20周年を迎えた際、鬼束ちひろさんは「(歌を)ずっと続けていきたい」と話していました。
数々の楽曲を生み出してきた鬼束ちひろさんの今後の活動に、目が離せませんね。