今回は、2025年12月4日に放送された木曜劇場『小さい頃は、神様がいて』の第9話について、じっくりと語らせてください。
ついにこの日が来てしまいましたね。
物語の冒頭からずっと提示されていた「20年後の約束」。
今回は、ハンカチ…いえ、バスタオル必須の回でした。
小倉家のリビングに流れる空気、交わされる言葉のひとつひとつが、あまりにも切なくて、そして優しくて。
まだご覧になっていない方は、ここで引き返してくださいね。
ここからは、がっつりとネタバレを含んだ考察になります。
⚠️ 【ネタバレ注意】ここから先は『小さい頃は、神様がいて』第9話のストーリー詳細に触れています。未視聴の方はご注意ください。
第9話あらすじ|「子どもが二十歳になったら離婚」の約束が現実になった夜
ついに迎えてしまった、運命の日。
第9話は、まさにこのドラマのクライマックスと呼ぶにふさわしい、感情が揺さぶられる1時間でした。
物語は、小倉家の「その日」の朝から静かに始まります。
「子どもが20歳になったら離婚する」。
かつて交わした約束の期限がついに到来し、渉(北村有起哉さん)とあん(仲間由紀恵さん)は、役所に提出する離婚届をテーブルに置きます。

視聴者として見ていて一番苦しかったのは、二人が決して「憎しみ合って別れるわけではない」という点なんですよね。
渉の本心は「別れたくない」。
でも、かつてあんを傷つけ、縛り付けてしまった罪悪感から、彼女の意思——「約束通り離婚する」という選択を尊重しようと決めます。
一方で、子どもたちにもそれぞれの葛藤が。
長男・順(小瀧望さん)は大事なコンクールの審査員が苦手な先生であることを知り、プレッシャーと家庭の崩壊のダブルパンチに襲われます。
長女・ゆず(近藤華さん)もまた、努めて明るく振る舞いながら、心の中で泣いていました。
そして始まる、家具や荷物の「仕分け」。
岡田惠和さんの脚本らしい、日常の動作の中に感情を乗せる演出が光りました。
家の中にあるモノ一つひとつに思い出が宿っていて、それを「持っていくもの」「捨てるもの」に分ける作業は、まるで自分たちの19年間を解体しているかのよう。
過去の回想シーンが挿入されるたび、渉とあんが積み重ねてきた時間がどれほど尊いものだったかが浮き彫りになり、SNS上でも「これ、本当に離婚しなきゃダメなの?」「見ているのが辛すぎる」といった悲鳴が溢れました。
なぜ第9話がここまで視聴者の心を抉ったのか。
それは、単なる「離婚劇」ではなく、家族全員が互いを思いやるがゆえにすれ違ってしまう、あまりに純粋な愛の物語だったからではないでしょうか。
離婚当日の朝、小倉家に流れていた”いつも通りじゃない空気”
いつもの朝食、いつものリビング。
でも、決定的に何かが違う。
第9話の導入部は、その「違和感」の描写が秀逸でした。
北村有起哉さん演じる渉が、いつもなら軽口を叩く場面で言葉を飲み込む姿。
そして、仲間由紀恵さん演じるあんが、淡々と、けれどどこか寂しげに家事をこなす背中。
セリフで説明するのではなく、食器が触れ合う音や、視線の合わせ方だけで「今日が最後の日なんだ」という緊張感を伝えてきました。
特に、朝の光が差し込むリビングが、どこか寒々しく見えたのは私だけでしょうか?
これまで温かい食卓の象徴だった場所が、家族解散の場へと変わっていく残酷さ。
視聴者としては「嘘だと言ってくれ」と願わずにはいられない、重たく静かなスタートでした。
永島夫婦と奈央&志保が投げかけた「本当に離婚するの?」という問い
この重苦しい空気に一石を投じたのが、周囲の人々でした。
草刈正雄さんと阿川佐和子さんが演じる永島夫婦、そして小野花梨さん演じる奈央と石井杏奈さん演じる志保。
彼らは視聴者の代弁者のように、「本当に離婚するの?」「まだ間に合うんじゃない?」と問いかけます。
特に永島夫婦の「永く連れ添ったからこそ言える言葉」には重みがありました。
「形なんてどうでもいい」と言いつつも、二人が離れることへの寂しさを隠さない彼らの姿に、小倉家の決断がいかに周囲からも惜しまれているかが伝わってきましたよね。
彼らの問いかけは、渉とあんに対してだけでなく、私たち視聴者に対しても「夫婦とは何か」「約束とは何か」を突きつけてくるようでした。
家具の仕分けと回想シーンがえぐり出す、渉とあんの19年間
第9話のハイライトと言えるのが、この家具の仕分けシーンです。
タンスの奥から出てくる、子どもたちが小さかった頃の落書き、旅行のお土産、何気ない写真。
それらを手にするたびに、現在(離婚直前)と過去(幸せだった日々)がクロスオーバーします。
「これ、あの時のだね」と笑い合う二人ですが、その笑顔が切ない。
モノを捨てるということは、記憶を整理すること。
でも、思い出はゴミ袋には入りません。
回想シーンで描かれる若き日の二人の姿があまりに眩しくて、現在の「事務的に離婚作業を進める二人」との対比が残酷なほど鮮やかでした。
物理的に部屋が片付いていくにつれて、二人の心にぽっかりと穴が空いていく様子が手に取るようにわかり、涙なしには見られない名シーンとなっていました。
渉とあんの夫婦関係——「忘れていた約束」と「忘れられない一言」
今回のエピソードで最も深く掘り下げられたのは、渉とあん、それぞれの「記憶」の食い違いと、その根底にある深い愛情でした。
これまで「ダメ夫」としての側面が強調されがちだった渉ですが、第9話では彼の不器用すぎる優しさが痛いほど伝わってきました。
一方で、あんがなぜ頑なに「20年後の離婚」という約束を抱え続けてきたのか、その真意も垣間見えました。
この夫婦の関係性は、言葉足らずが生んだ悲劇であり、同時に言葉があったからこそ繋がってきた奇跡でもあります。
渉にとっては「日常に埋もれて薄れていた約束」だったものが、あんには「19年間、今日という日を支えにしてきたお守り」だったのかもしれない。

この認識のギャップが、あまりにも切ない形で露呈してしまいました。
「夫婦なんだから言わなくてもわかる」なんてことはない。
言葉にすることの大切さと、一度口に出した言葉の呪縛のような重さ。
岡田惠和脚本の真骨頂とも言える、繊細な心理描写が光ったパートでした。
渉が今になって思い出した、結婚直後のあんの言葉とは
渉がふと思い出した、結婚直後のあんの言葉。
これが今回の大きなキーポイントでした。
当時のあんは、若さと不安の中で、渉に対してある種の「覚悟」を求めていたんですよね。
「もし私が辛くなったら、その時は自由にさせてくれる?」
そんなニュアンスの言葉だったと記憶していますが、当時の渉はそれを「愛の確認」程度に軽く受け止めていたのかもしれません。
しかし、あんにとってそれは、自分自身の人生を守るための唯一の防衛線だった。
渉がこの言葉を今になって鮮明に思い出したこと自体が、彼の後悔の深さを物語っています。
「あの時、もっと真剣に向き合っていれば」「彼女の不安に気づいていれば」。
遅すぎる気づきに呆然とする北村有起哉さんの表情、本当に絶品でした…。
「今も離婚したい?」と聞かれ続けたあんの本音
物語の中で何度か繰り返された「今も離婚したい?」という問い。
あんはこれに対して、明確に「NO」とは言いませんでした。
でも、完全に「YES」とも言っていないように見えませんでしたか?
仲間由紀恵さんの抑えた演技が素晴らしかったのですが、あんの瞳の奥には「渉が変わってくれることへの期待」と、「もう遅いという諦め」が複雑に入り混じっていたように思います。
もしかしたら、あんは「離婚したい」のではなく、「『離婚しなくてもいいよ』と、心から安心させてくれる渉」を待っていたのかもしれません。
しかし、約束という呪縛が強すぎて、素直に甘えることができなくなってしまった。
19年間積み重ねてきた「我慢」が、彼女の口を重くさせてしまったのでしょう。
「あんが望むなら離婚する」という渉の”罪滅ぼし”の重さ
そして、渉が出した結論。
「あんがそうしたいなら、離婚しよう」。
一見、投げやりにも見えるこの言葉ですが、第9話の文脈で見ると、これは渉なりの精一杯の「罪滅ぼし」であり、究極の愛の形だったように感じます。
これまでの自分は、あんの気持ちを無視して甘えてきた。
だからこそ、最後くらいは彼女の意思を100%尊重したい。
たとえそれが、自分が一番望まない「別れ」であったとしても。
北村有起哉さんが演じる渉の、泣き出しそうな笑顔で「わかった」と告げるシーン。
あれは、あんを愛しているからこその「手放し」でした。
でも、視聴者としては叫びたかったですよね。
「そこで『絶対に嫌だ!』って抱きしめてよ!」と。
大人の分別が、かえって二人を引き裂いてしまうもどかしさが、胸を締め付けました。
順・ゆずの涙が語る「子どもの立場」のしんどさ
夫婦の問題は、そのまま子どもたちの問題でもあります。
第9話では、順(小瀧望さん)とゆず(近藤華さん)の兄妹が置かれた状況があまりに過酷で、見ていて本当に辛かった…。
親の都合で家族の形が変わる。
そのことに対して、文句一つ言わず、むしろ親に気を遣って明るく振る舞う二人。
いわゆる「良い子」すぎる兄妹の姿が、かえってこの状況の異常さを際立たせていました。

特に印象的だったのは、二人が決して親を責めないこと。
「パパとママが決めたことだから」と飲み込もうとする姿は健気ですが、その我慢が限界に達して溢れた涙には、視聴者全員がもらい泣きしたはずです。
審査員が”天敵の先生”だったと知った順の不安
長男・順にとって、今は人生の岐路とも言える大事な時期。
コンクールを控えている中での両親の離婚騒動は、精神的にあまりに大きな負担です。
しかも、追い打ちをかけるように判明した「審査員が苦手な先生」という事実。
本来なら、一番近くで親に支えてほしいタイミングですよね。
「大丈夫だよ」と背中を押してほしい時に、その親たちが自分たちのことで精一杯になっている。
小瀧望さんの、不安を押し殺してピアノに向かう演技がリアルで、孤独感が痛いほど伝わってきました。
親の離婚が、子どもの夢や日常にどれほど影を落とすのか、その現実を突きつけられた気がします。
ゆずの明るさの裏にある本音
長女・ゆずの健気さもまた、涙腺崩壊ポイントでした。
近藤華さん演じるゆずは、家族のムードメーカーとして、暗くなりがちな空気を必死に変えようとしていましたよね。
でも、本当は誰よりも家族がバラバラになることを恐れている。
兄の順と二人になった時だけ見せる、不安げな表情。
「私が明るくしていれば、パパとママも考え直してくれるかも」そんな淡い期待を抱いているようにも見えて、胸が締め付けられました。
子どもにここまで気を遣わせるなんて…と、大人の一人として申し訳なくなるような気持ちにさせられました。
兄妹の涙に視聴者が強く共感した理由
なぜ、兄妹のシーンでこれほど心が動かされたのか。
それは、彼らが「被害者」として描かれるだけでなく、家族を愛する「当事者」として描かれていたからだと思います。
ただ泣くだけじゃない。
親を愛しているからこそ、親の幸せを願って「離婚」を受け入れようとする。
その葛藤がリアルだったからです。
SNSでも「順とゆずを抱きしめてあげたい」「大人の都合に巻き込んでごめんね」といった声が多く上がりました。
子どもたちの涙は、理屈ではなく本能的に視聴者の感情を揺さぶる力がありました。
第9話の感想・SNS反応まとめ|号泣報告と「離婚する必要ある?」の声
放送終了後、SNSのタイムラインは阿鼻叫喚の状態でした(笑)。
「涙で画面が見えない」「今期一番泣いた」という感動の声が圧倒的多数を占める一方で、物語の核心部分に対する「疑問」や「ツッコミ」も熱を帯びていました。

泣けるのに、モヤモヤする。
でも、そのモヤモヤがあるからこそ、次が見たくなる。
そんな不思議な余韻を残した第9話の反応をまとめてみました。
「涙腺崩壊」「後半ずっと泣いた」SNSで広がった号泣投稿
放送中から「#小さい頃は神様がいて」のタグは、涙の報告で溢れていました。
特に、家具の仕分けシーンからラストにかけての畳み掛けは強烈で、「バスタオル必須とは聞いていたけど、足りない」「明日、目が腫れて仕事に行けない」といった投稿が続出。
北村有起哉さんと仲間由紀恵さんの、言葉少なに視線を交わす演技、そして小瀧望さんと近藤華さんの涙。
キャスト全員の熱演が、視聴者の涙腺を完全に破壊しにかかっていましたね。
BGMの使い方も絶妙で、ここぞというタイミングで流れるピアノの旋律が、感情のダムを決壊させるトリガーになっていました。
コメディ要素「カセットデッキ」「ふり!かけ!」が効いていた理由
そんな重たい展開の中で、救いとなったのが岡田脚本ならではのコメディ要素です。
荷物整理中に出てきた古いカセットデッキ。
そして、唐突な「ふり!かけ!」のやり取り(笑)。
あのシーン、一見すると不謹慎に思えるかもしれませんが、実はすごく重要な役割を果たしていたと思います。
人間、どんなに悲しい時でもお腹は空くし、懐かしいものを見れば笑ってしまう。
その「生活のリアル」が描かれることで、逆に悲しみが深まるんですよね。
SNSでも「ここで笑わせに来るのは卑怯(褒め言葉)」「ふりかけで泣き笑いした」といった反応が多く、緊張と緩和のバランスが絶妙だったと評価されています。
「離婚する必要ある?」という声が生まれた背景
一方で、冷静な視聴者からは「いや、そこまで想い合ってるなら離婚しなくてよくない?」「話し合えば解決するのでは?」という声も根強くありました。
確かに、客観的に見れば「お互い好き同士なんだから、再構築すればいいじゃん!」とツッコミたくなります。
ですが、このドラマが描いているのは「理屈」ではないんですよね。
「一度壊れた信頼は、簡単には戻らない」「言葉の重みからは逃げられない」。
そんな大人の意地や不器用さが描かれているからこそ、もどかしいけれどリアルに感じる人が多いのかもしれません。
この「納得いかないけれど、理解はできる」という絶妙なラインが、視聴者を議論に巻き込む要因になっています。
数字だけでは測れない”熱量”と、最終章に向けて高まる期待
さて、物語もいよいよ大詰めですが、このドラマには不思議な力があると感じています。
派手なサスペンスや考察ブームに乗るような作品ではありませんが、見ている人の心に深く根を張るような、静かだけれど確かな「熱」がある。
視聴率という単なる指標だけでは決して測れない、本作が持つ本当の価値について、少し触れさせてください。

記録よりも「記憶」に残るドラマとしての強さ
『小さい頃は、神様がいて』は、爆発的なヒットというよりも、「固定ファンが離れない」タイプの作品です。
日常の些細なやり取りや、言葉にできない感情の機微を丁寧に描く「日常系ヒューマンドラマ」は、派手さがない分、どうしても数字としての瞬発力は出にくい傾向にあります。
しかし、第9話まで見てきた方ならお分かりの通り、この作品の強さは「共感の深さ」にあります。
見終わった後に、ふと自分の家族のことを考えたり、昔の約束を思い出したりする。
そんなふうに視聴者の生活に浸透し、長く「記憶」に残る作品としての強度が非常に高いのです。
SNSでの”熱量”が証明する作品の質
その証拠に、SNSでの盛り上がりは回を追うごとに熱を帯びています。
放送中は関連ワードがトレンド入りし、終了後には長文の感想や、キャラクターへの愛あるツッコミが多数投稿されています。
これは、「なんとなくテレビをつけている」のではなく、「この時間を大切にして、集中して見ている」視聴者が多いことの現れでしょう。
「数字なんて関係ない、今期一番の名作だ」という擁護の声や熱い支持が多いのも、脚本とキャストが作り出す世界観が、視聴者の信頼を勝ち取っている何よりの証拠です。
ロングテールドラマとしての可能性
本作は、放送終了後も長く愛される「ロングテールドラマ」になる予感がします。
家族のあり方、夫婦の再生といった普遍的なテーマを扱っているため、時代が変わっても色褪せない魅力があるからです。
数年後にふと見返した時、自分の年齢や置かれた状況によって、また違った感想を抱くかもしれない。
配信などでじわじわと評価され続け、最終回に向けて、そして放送終了後も、静かに、しかし長く愛され続ける作品になるのではないでしょうか。
第10話予告から読む”家族の着地点”|離婚の約束は嘘?
さて、いよいよ次回は第10話。
物語は最終章へと突入します。
予告映像で気になったポイントを整理しつつ、この家族がどこへ向かうのか、少しだけ予想してみたいと思います。
予告で流れた「あんが『たそがれステイツ』を出ていく」というシーン。
そして、渉が何かを決意したような表情。
「元通り」にはならないかもしれない。
でも、きっと「雨降って地固まる」以上の何かを見せてくれるはずです。

たそがれステイツを出たあんが見つけようとしている幸せ
予告で、あんが住み慣れた家(たそがれステイツ)を去る描写がありました。
これは、彼女が「妻」や「母」という役割から一度離れて、一人の女性として自立しようとする決意の表れではないでしょうか。
渉との関係をリセットし、自分自身を見つめ直す時間。
それは、二人がもう一度本当の意味で向き合うために必要な「通過儀礼」なのかもしれません。
あんが向かう先に何があるのか、そして彼女がどんな顔をして帰ってくるのか(あるいは帰ってこないのか)、非常に気になります。
渉が部下を見ながら想像した未来の家族像
渉が部下の姿を見ながら、未来の家族像を想像しているようなシーンも印象的でした。
これまで家庭を顧みなかった彼が、失って初めて気づいた「理想の家庭」。
もしやり直せるなら、次はどうしたいのか。
渉の中で具体的なビジョンが芽生え始めているように見えます。
この「想像」が、単なる妄想で終わるのか、それとも現実を変える原動力になるのか。
北村有起哉さんの演技に期待大です。
結末が”元には戻らない幸せ”に向かう可能性
タイトル『小さい頃は、神様がいて』。
この言葉が意味するものは、「守られていた子供時代」の終わりと、自分たちで幸せを掴み取らなければならない「大人」への成長ではないでしょうか。
離婚するにせよ、復縁するにせよ、以前のような形には戻らないでしょう。
でも、それは悲しいことではなく、それぞれが新しい自分として再会するためのステップ。
個人的には、書類上の夫婦という形にこだわらず、魂の部分で繋がり合う「新しい家族の形」を見せてくれるのではないかと期待しています。
まとめ|あなたは第9話をどう感じましたか?
第9話、本当に胸がいっぱいになる1時間でしたね。
家具を分け、家を出る準備をしながら、心では強く結びついている渉とあん。
そして、そんな両親を涙ながらに見守る順とゆず。
「離婚」というネガティブな言葉が、これほどまでに愛おしく、切なく響くドラマも珍しいのではないでしょうか。
皆さんは、今回の二人の決断をどう感じましたか?
「やっぱり別れてほしくない!」と思った方も、「一度離れることも必要かも」と感じた方もいると思います。
次回、物語はどんな結末を迎えるのか。
神様がいなくなった後、彼らが自分たちの足でどんな道を歩み始めるのか、最後までしっかりと見届けましょう。
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