常に笑顔で前を向き、「ポジティブ・モンスター」と呼ばれることもあるアンミカさん。
あの底抜けの明るさは、どんな家庭から育まれたのでしょう。
たとえば両親の人柄や、年子でにぎやかな兄弟との関係、そして本名や国籍にまつわる小さな驚きまで――生い立ちをたどると、彼女の芯の強さと優しさの理由がふっと見えてきます。
読んだあとに、少し心が軽くなるはずです。
アンミカはハーフ?
アンミカさんはその華やかな雰囲気や流暢な日本語から、「ハーフなのでは?」という声がよくあがります。
確かに、モデルとして世界的に活躍し、バラエティ番組でも国際的な感覚を持つ姿を見ると、そう感じる人がいても不思議ではありません。
ですが、実際のところアンミカさんはハーフではなく、両親ともに韓国のご出身です。
幼少期を韓国で過ごし、その後に日本へ移り住んだという背景があります。
つまり、アンミカさんは生粋の韓国人として生まれ、努力を重ねて今のキャリアを築いてきた方なのです。
見た目や話し方だけで「ハーフかも」と思われることもあるようですが、その裏には国を越えて歩んできた経験と豊かな国際感覚があるのでしょう。
アンミカの国籍は韓国?
アンミカさんの国籍は韓国です。
日本で長く暮らし、日常会話も完璧な日本語なので、日本国籍と思われることも多いですが、公式な国籍は変わらず韓国のままです。
幼い頃から日本で過ごすうちに母国語を使う機会が減り、韓国語を少し忘れかけていた時期もあったそうです。
そんな彼女にとって大きな転機となったのがお父さんの死でした。
家族のルーツを改めて感じたアンミカさんは、韓国に留学して言葉や文化を学び直すことを決意。
授業だけでなく現地の人との交流を通じて、自分の中に流れる韓国の感性を再確認していったといいます。
その経験を通して、日本で培った感覚と韓国の文化の両方を大切にできるようになったそうです。
今では二つの国の魅力を等しく理解し、テレビでもそのバランス感覚が光っています。
韓国籍というルーツを誇りにしながら、日本社会にも自然に溶け込む姿こそ、アンミカさんの魅力そのものかもしれません。
アンミカの本名
アンミカさんの本名は「安美佳」。
読みは日本語だとそのまま「アン ミカ」ですが、韓国語の音に寄せると「アンミガ」に近いそうです。
実は『トークィーンズ』で本人が「本名はアンミガやねん」と明かしていて、発音の違いにルーツの奥行きがにじみますよね。
【アンミカ“韓国名”サラリと告白 一時的な芸名も公表】
— レヴィスカルノ (@revytyan) July 5, 2024
★4日放送のフジテレビ系『トークィーンズ』(毎週木曜 後11:00)に出演し
「本名アンミガやねん。韓国名はアンミガやねん。ちょっとの間だけ『鹿児島菊池』やってん(笑)字数が多いほうがいいって言われて」😮💨 pic.twitter.com/fuqOSgahjW
さらに面白いのが、デビュー当時は事務所に“ミカ”と名のつくモデルが他にもいたため、一時的にインパクト重視の「鹿児島菊池」という芸名で活動していたこと。
たしかに忘れられない響きです。
とはいえ、最終的に本名の音を生かした「アンミカ」に落ち着いたことで、彼女のキャラクターと洗練がぴたりと結びついたのでしょう。
呼び名に重ねられた来歴や、言語ごとの発音の揺らぎまで含めて“アンミカらしさ”。
名前のエピソードひとつ取っても、国境を軽やかにまたぐ感性が感じられます。
アンミカの実家
アンミカさんは韓国で生まれ、幼い頃に家族とともに大阪府生野区へ移り住みました。
移住の理由は、お父さんとお母さんの仕事の都合。
けれど、当時の生活は決して楽なものではなかったといいます。
四畳半の小さな部屋に7人家族で暮らし、市場で売り物にならなくなった果物を拾って食べるほどの貧しさだったそうです。
そんな環境でも家族の仲はとても良く、笑いの絶えない毎日だったと振り返っています。
貧しさの中にも温もりがあり、それが今の明るい性格やポジティブな姿勢につながっているのかもしれません。
後に大阪市阿倍野区へと引っ越して生活していたそうですが、詳しい住所までは明かされていません。
けれど、どんな場所であっても家族で支え合いながら生き抜いた経験こそ、アンミカさんの原点。
華やかな今の姿からは想像しにくいかもしれませんが、苦労を糧にして笑顔を絶やさず歩んできたその生い立ちは、多くの人の心を温めます。
アンミカの父親はどんな人?職業は?
アンミカさんのお父さんは、かつてラーメン店を2軒切り盛りしていた方です。
ところが家族旅行がかなう頃に相次いで火事に遭い、店を失う不運に見舞われました。
その後は少しでも家計を支えるため、出稼ぎや住み込みの仕事を転々とする日々。
いっしょに過ごせる時間は多くなく、ゆっくり語り合えるようになったのはお母さんの逝去後だったといいます。
人柄はユーモラスで穏やか。
アンミカさんは「父が怒鳴る姿を見たことがない」と振り返ります。
モデルを志した娘に対しては、「一流になるまで家に戻らない」「新聞を読む」「資格を取る」といった条件を提示。
たとえばパリ行きの背中を押し、努力の方向を示したのでしょう。
結果、珠算初段・硬筆書写3級・秘書検定3級・NARDアロマアドバイザーなど10以上の資格を取得する原動力になりました。
29歳のときにお父さんは旅立ちましたが、その静かな強さと教育観は今も彼女の芯に残っています。
アンミカの母親はどんな人?
アンミカさんのお母さんは、気管支が弱く通学もままならない幼少期を送り、ひざに水がたまる症状や結核での入院を経て、30代半ばには咽頭がんを発症。
以後は放射線治療を続けながら、たとえば保険の外交員として外回りをし、契約を取って帰ると夕方5時から翌朝5時まで自宅兼ラーメン店で働き通しでした。
仕事を終えたお母さんがラーメンの匂いの残るエプロン姿で横になると、子どもたちがマッサージをするのが日課。
わずか1時間ほどの触れ合いでも、そこで交わす会話はとても濃く、家族の温度を確かめる時間だったといいます。
病と働くことが常に隣り合わせの毎日でも、弱音より先に笑顔を見せる人だったのでしょう。
残念ながら、アンミカさんが15歳のときに天国へ旅立ちましたが、そのひたむきさと優しさは、今の彼女の芯の強さに確かに受け継がれています。
アンミカの兄弟や姉妹
アンミカさんは5人きょうだいの次女で、上にお兄さんとお姉さん、下に弟さんと妹さんがいます。
しかも全員が年子というにぎやかな家族構成です。
進路はそれぞれで、お兄さんは司法書士で保険の仕事にも携わり、お姉さんは歯科衛生士として現場を支えています。
妹さんはボディバランスセラピストとしてカラダのケアに向き合い、弟さんは鍼灸師兼柔道整復師として治療にあたる専門職。
たとえば道は違っても「手に職」を貫く価値観は共通で、仕事に打ち込む姿を互いに尊敬し合っているそうです。
忙しい中でも連絡を取り合い、節目では力を貸し合う関係性が、アンミカさんの前向きさをそっと支えているのでしょう。
まとめ
幼いころに貧しさの中で家族と力を合わせながら生きたアンミカさん。
四畳半の部屋でも笑いを絶やさなかった家庭で育ち、やがて10代でお母さんを、20代でお父さんを見送りました。
決して平坦ではなかった道のりの中で培われたのは、逆境を明るさに変える強さと、人への思いやり。
モデルとして、そしてテレビで見せる朗らかな笑顔の裏には、家族への深い感謝と誇りが息づいています。
天国の両親に胸を張れるように、これからも自分らしい輝きを放ち続ける――そんなアンミカさんの生き方は、多くの人に勇気と温かさを届けてくれますね。
