政治家として活動している野田聖子さんの両親はどんな人なのでしょうか。
調べてみると、祖父が政治家であることがわかりました。
そこで今回は、野田聖子さんの実家や家族について紹介します。
野田聖子の実家や家系図がすごい!
野田聖子さんは、福岡県北九州市出身です。
お父さんの転勤の都合で北九州市内に住んでいましたが、幼稚園の時に東京に引っ越して以降は東京で暮らしています。
詳しい場所は公表されていないため分かりませんでした。
野田聖子の祖父
野田聖子(旧姓:島聖子)。祖父は元建設大臣の野田卯一。祖母・光は、日露戦争景気で巨利占め、政界・株式市場をも我が物とした【北浜の怪傑】島徳蔵の次女。父・実は母方の島家の養子に入るが、光の死後、聖子は卯一の養女となり野田姓に。政界引退した祖父の地盤を引き継ぎ史上最年少の26歳で当選。 https://t.co/Fkynjw1VeR pic.twitter.com/MzPE4MuQWr
— 花鳥風月💉💉 (@toriyu2) November 29, 2020
野田聖子さんの祖父は、野田卯一さんです。
野田卯一さんは、1926年に高等試験の行政科試験と司法科試験に合格しました。
そして浜松税務署長、松戸税務署長、為替局総務課長、興亜院経済部第四課長、大蔵省総務局総務課長、門司海運局次長、大蔵省金融局次長、外資局長、主計局長、専売局長官などを歴任し、1948年に大蔵次官になりました。
1950年には自由党から第2回参議院議員通常選挙の全国区に出馬し当選、1951年に第3次吉田内閣第2次改造内閣で建設大臣兼北海道開発庁長官として入閣(1952年からは行政管理庁長官を兼任)しています。
1953年の第26回衆議院議員総選挙で衆議院議員に転じ、以後9回連続当選しました。
1979年10月の第35回衆議院議員総選挙で落選し政界を引退、1997年1月29日に天国へと旅立ちました。
1984年には野田聖子さんの祖母である野田光さんが亡くなり、この時野田卯一さんから「野田家を守ってくれ」と言われたそうです。
当時、野田聖子さんは政界に進むという考えはなかったものの、「お墓を守るため、野田姓を継いでいくため」に野田聖子さんは野田卯一さんの養女になりました。
野田聖子の父親
野田聖子さんのお父さんは、島稔さんといいます。
島稔さんは野田卯一さんの長男として生まれましたが、野田卯一さんの岳父である島家に後継ぎがいないという事情から、稔さんは幼少期に「北浜の怪傑」と呼ばれた伝説の相場師・島徳蔵さんの養子となっています。
そして東大卒業後に、八幡製鐵に就職しました。
野田聖子の母親
野田聖子さんのお母さんは、島弘子さんといいます。
野田聖子さんがアメリカに留学した後に両親が不仲になり、お父さんが出て行ってしまったことから、お母さんは精神的に不安定になってしまい、自殺寸前にまで追い込まれたことがあったそうです。
それでも女手ひとつで野田聖子さんと兄弟を育て、野田聖子さんが選挙に立候補した際には一緒に岐阜まで行って選挙戦を手伝っていました。
現在お母さんは老人性うつの症状があり、野田聖子さんが住む都心のマンションの隣りの部屋で暮らしているとのことです。
野田聖子の兄弟や姉妹
野田聖子氏、「転ぶ=骨折だったけど」長男の無事を報告し親子ショット披露「鉄母の願いは、これ」 https://t.co/Jfig2dMy0q pic.twitter.com/RfhvVapWND
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野田聖子さんには、妹さんと弟さんがいます。
妹さんは島桜子さんといい、コンサルタント業をしているとの情報がありました。
弟さんについては一切情報がなかったため、不明です。
まとめ
島家に生まれ育った野田聖子さんでしたが、おばあさんの死をきっかけにおじいさんの養女となり、「野田姓」を名乗ることになりました。
そしておじいさんと同じ政治家となり、現在も活動しています。
これからも野田聖子さんの活躍に目が離せませんね。