11歳でモデルデビューし、現在は女優として活動している宮沢りえさんは、長年「りえママ」と呼ばれたお母さんと共に芸能界を走り続けていました。
御父さんや兄弟はいるのか、気になりますね。
そこで今回は、宮沢りえさんの家族について調べてみました。
宮沢りえの実家は練馬区?
宮沢りえさんは、東京都出身です。
生まれた直後から小学4年生の頃まで練馬区大泉学園町に住むおば一家に育てられました。
おばさんは自分の子と同様に宮沢りえさんを育て、愛情いっぱいな日々を過ごしていたそうですよ。
その後お母さんと共に暮らすようになりましたが、住んでいた場所については公表されていないため分かりません。
宮沢りえの父親の職業は?
宮沢りえさんには、実父と義父の2人のお父さんがいます。
実のお父さんは、オランダ人の船員でした。
しかし宮沢りえさんが産まれてしばらくしてから文化の違いが原因で離婚しているため、宮沢りえさんは実の父について「顔は覚えていない」と明かしています。
その後、お母さんが再婚したことで義理のお父さんが出来ました。
義理のお父さんは、ピアニストの小沢典仁さんです。
お母さんと義理のお父さんの間に子供が生まれたものの、出産からわずか4カ月で結婚生活は破綻、その理由はお母さんが子供を預けて小沢典仁さんの友人の男性と二人きりで遊びに行ったことでした。
小沢典仁さんは離婚後、一度だけやり直すためにマンションを借りて一緒に住んだものの結局うまくいかず、その後は宮沢りえさんとお母さんと一切会っていません。
宮沢りえの母親は「りえママ」と話題に
宮沢りえさんのお母さんは、光子さんと言います。
1度目の離婚の後は保険の外交やモデル、ダンサーの仕事をしながら銀座のクラブでも働いていたそうです。
宮沢りえさんが芸能界デビューを果たしてからは宮沢りえさんのプロデューサーとして実力を発揮、宮沢りえさんがブレイクするとすぐに事務所から独立させ、宮沢りえさんと共に芸能界を走り続けました。
そのため「豪腕マネジャーのりえママ」として恐れられ、宮沢りえさんは「ステージママの操り人形」といった批判も浴びましたが、りえママがいたからこそ宮沢りえさんは大ブレークしたという事実もあります。
さらに仕事だけではなく宮沢りえさんの人生や恋愛も完全プロデュースしようとしていました。
りえママについて周囲からは「りえママは自分のできなかった人生を娘のりえにさせて自己投影してたんだと思う。美貌があって野心があってお金があってという、なれなかった自分をそのまま娘に強要してたんだろうね」という声も聞かれていました。
そんなりえママこと光子さんは、2014年9月に肝腫瘍によって65年の人生を終えています。
宮沢りえさんはこの時「最期に、生きるということの美しさと、凄まじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います」とコメントしました。
宮沢りえの兄弟や姉妹
宮沢りえさんには、父親違いの弟さんがいます。
弟さんは1977年に誕生、宮沢りえさんはとても喜んでいました。
しかしすぐに両親が離婚したため、弟さんとは一切会えなくなってしまいました。
弟さんがお母さんとお姉さんの存在を知ったのは中学生の頃で、2010年頃には弟さんと宮沢りえさんの再会を実現するため、お父さんが宮沢りえさん出演の舞台に足を運び、手紙を送ったそうです。
しかし宮沢りえさんから返事が来ることはなく、今も弟さんとの再会には至っていません。
まとめ
お母さんの結婚や離婚によって複雑な環境で育った宮沢りえさんは、現在も義理の父親や弟さんと会うことはなく、連絡を取り合うこともしていないそうです。
いつか再会し、家族としての関係を再び築いていけるといいですね。
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