数々のドラマや映画、舞台に出演している宇梶剛士さんですが、学生時代はどこの学校に通い、どんな学生生活を送っていたのでしょうか。
俳優になろうと思ったきっかけは何だったのか、気になりますね。
そこで今回は、宇梶剛士さんの経歴や出身学校、年収などについて調べてみました。
宇梶剛士のプロフィールや経歴
名前:宇梶剛士
生年月日:1962年8月15日
出身地:東京都
血液型:B型
身長:190cm
所属事務所:オフィス33
元暴走族の宇梶剛士さんは、少年院の中でお母さんが差し入れしてくれたチャップリンの自伝を読んで俳優を志すことを決めました。
そしてにしきのあきらさんの付き人をしていた18歳の時、事務所の使いで藤映像コーポレーションを訪問したところ、菅原文太さんに見出され付き人になり、さらに美輪明宏さんとの出会いで『青森県のせむし男』にて初舞台を踏み、俳優人生をスタートさせました。
この時は舞台での活動が中心で、2年程は同じ事務所だった鶴田浩二さんから名前をもらって「津村浩」の芸名で活動をしていました。
長く無名で下積みの時代が続き、売れない時期は、芸能以外の仕事をして食いつないだり、もっぱら映画を鑑賞して過ごしていたそうですよ。
1980年代後半になり多数のトレンディドラマに脇役で出演するようになると、徐々に知名度が上昇し、『ひとつ屋根の下2』でブレイク、以降は多数のテレビドラマや映画で活躍しています。
舞台でも「打打芝居」、「damim」といった演劇ユニットを主宰し、自らプロデュース公演の形で舞台を制作していました。
2007年には「『劇団』という形でしか表現できない舞台作りを追求したい」との思いから、金井良信さんや平野貴大さんらと共に「劇団PATHOS PACK」を結成しています。
宇梶剛士の学歴
宇梶剛士さんが通っていた学校について調べてみました。
宇梶剛士の出身小学校
宇梶剛士さんは、国立市立国立第七小学校出身です。
5歳から小学2年生までは広島県安芸郡府中町で育ち、その後東京都国立市に転居しました。
広島で通っていた学校については情報がなかったため分かりません。
宇梶剛士の出身中学
小学校卒業後は、国立市立国立第一中学校に進学しました。
小学生の頃から国立のリトルリーグやシニアリーグに入っおり、中学2年生からは部活の軟式野球もしていたということで、野球漬けの日々を送っていたようですね。
宇梶剛士の出身高校
中学校卒業後は、拓殖大学第一高等学校に進学しました。
現在の偏差値は63ですが、宇梶剛士さんが通っていた当時の偏差値は40前後でした。
高校でも野球部に所属し、大柄だったこともあり「将来の有望選手」としてプロ球団のスカウトが宇梶剛士さんを見に何回か足を運びに来たほどの実力があったそうです。
しかし部活内でのいじめやシゴキを告発したことにより逆に学校側からの隠蔽にあい2ヶ月間、野球をすることが出来柾円でした。
当時の担任や他の大人は誰一人声をかけてこず、大人を信用できなくなった宇梶剛士さんは、そのことがきっかけで外で暴力事件を起こし逮捕、少年鑑別所に入所しました。
そして出所後に高校を中退し、暴走族に入っています。
暴走族の時にも逮捕され少年院での生活を送る中で改心し、高校復学のための勉強に励み、その後明治大学付属中野高等学校(定時制)を卒業しました。
宇梶剛士の年収
宇梶剛士さんの年収は公表されていません。
多くのドラマや映画だけではなく、バラエティー番組に出演することもあります。
また舞台の世界でも活躍していることから、年収は数千万円ほどあるのではないかと思います。
宇梶剛士の愛車
宇梶剛士さんの愛車は、「メルセデスベンツ・Eクラス」です。
ただこちらの情報は2011年だったため、現在は買い換えているかもしれません。
過去にはトヨタの2代目ハリアーを愛車にしていた時期があるそうですよ。
まとめ
小学校の頃から野球をやり、将来はプロの道も噂されていた宇梶剛士さんは、高校時代の出来事がきっかけで大きく道を外してしまいました。
しかしその後俳優という新しい道を見つけ、今では老若男女問わず親しまれる俳優になっています。
これからも宇梶剛士さんの俳優人生を応援していきたいと思います。
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