現在プロのフィギュアスケート選手として世界でも注目を集めている羽生結弦さんは、どんな人なのでしょうか。
いつからスケートを始めたのか、学生時代はどんな学生だったのか、気になりますね。
そこで今回は、羽生結弦さんの経歴や出身学校、年収などについて調べてみました。
羽生結弦が引退した理由は?
【羽生結弦会見】「プロのアスリートとしてスケートを続けていく」競技会に出ず、プロへの転向を表明https://t.co/c3oUV2P5Yu
— ライブドアニュース (@livedoornews) July 19, 2022
会見の冒頭で「みなさんの応援の力の中で羽生結弦としてフィギュアスケートを全うできるのが本当に幸せです」と話した。
(画像:ゲッティ) pic.twitter.com/uSdSY7hC9a
2022年7月19日、羽生結弦さんは『決意表明』の場として自ら開いた記者会見にて、今後は競技会への出場はせず、プロのアスリートとしてスケーターに転向することを表明しました。
その理由について「もう競技会、結果に対し、取るべきものは取れた。そこに対しての評価を求めなくなった」、「『競技会で降りなくてもいいじゃん』と思っている。理想としているフィギュアスケートを追い求めるのは競技会じゃなくてもできると」と、語っています。
フィギュアスケートの大きな大会には出なくなるものの、決してフィギュアスケートを辞めるわけではないということもあり、羽生結弦さんは「引退という言葉は使いたくない」と発言、そのためスポーツ紙やニュース番組のなどでも「第一線を退く」という報道になりました。
羽生結弦さんはプロ転身後、公式YouTubeチャンネルを開設し、練習風景を配信したり、単独アイスショー『プロローグ』を開催、さらに2023年にはスケーターとして史上初となる東京ドームでの単独公演『GIFT』を開催しています。
こちらの公演はチケットは完売で3万5000人を動員、国内外で実施されたライブビューイングでは計3万人が視聴していました。
羽生結弦のプロフィールや経歴
羽生結弦さんは単独公演「GIFT」で「序奏とロンド・カプリチオーソ」をノーミスで完遂。公演後の会見では「(北京五輪で)つかみきれなかった夢をつかみ取る」という思いで演じたと語りました。まだつかみきれていない夢、4回転半などに向けてこれからも突き進むというイメージも込めたとのこと。 pic.twitter.com/IWkRmsYgc7
— フィギュアスケートLife (@fskating_Life) February 26, 2023
名前:羽生結弦
生年月日:1994年12月7日
出身地:宮城県
血液型:B型
身長:172cm
お姉さんの影響で4歳でスケートを始めた羽生結弦さんは、2014年2月のソチオリンピックで、アジア人初となる冬季オリンピックでの金メダルを獲得しました。
2014年2月14日時点で19歳65日という年齢であり、フィギュアスケート男子シングルの金メダリストとしてはディック・バトンさんが1948年のサンモリッツオリンピックで優勝した際の18歳202日に次ぐ史上2番目の年少記録となり、66年ぶり2人目の10代での金メダリストになりました。
さらにオリンピック初出場で金メダルを獲得したのは、ウルリッヒ・サルコウさん、イリヤ・クーリックさんに次いで史上3人目、ソチオリンピックでは日本人唯一の優勝、また平成生まれの日本人として史上初の夏季・冬季を通して五輪の金メダル獲得になっています。
2016年にはオータムクラシックのショートプログラム においてISU公認の大会で史上初の4回転ループに成功、ISUジャッジングシステムのもとに開催された国際大会において、史上初めてショートプログラムで100点、フリースケーティングで200点、トータルスコアで300点超えを達成しました。
2018年の平昌オリンピックではソチオリンピックに続き2大会連続で金メダルを獲得、男子では1948年のサンモリッツオリンピックと、1952年のオスロオリンピックを制したアメリカのディック・バトンさん以来の66年ぶりとなる連覇を達成しています。
また冬季オリンピックの個人種目で日本人が連覇を果たしたのは史上初のことでした。
そして同年、個人では史上最年少となる国民栄誉賞を受賞しました。
2020年にはオリンピック、世界選手権、四大陸選手権、グランプリファイナル、世界ジュニア選手権、ジュニアグランプリファイナルの主要国際大会6冠達成し、男子シングル史上初のスーパースラムを達成、ISUアワードの初代最優秀選手賞を受賞しています。
羽生結弦の年収がすごい?スポンサーは?
羽生結弦さんの年収は公表されていません。
ネット上では現役時代から「3億円ほどではないか」と言われており、プロ転身後はさらに年収が高くなっている可能性があります。
そんな羽生結弦さんの現在のスポンサーは、ファイテン、東和薬品、味の素、KOSEです。
羽生結弦の所属事務所
羽生結弦さんは、「team sirius (チームシリウス)」に所属しています。
こちらは羽生結弦さんの著作権を管理する事務所になっているそうですよ。
そのため羽生結弦さん以外に在籍している方はいません。
羽生結弦の学歴
羽生結弦さんが通っていた学校について調べてみました。
羽生結弦の出身小学校
羽生結弦さんは、仙台市立七北田小学校出身です。
2年生から6年生までは元フィギュアスケート選手の都築章一郎さんの指導を受けており、友達と遊びたい時期に練習ばかりがハードになっていったため、スケートが嫌になり野球をやりたいと言い出したこともあったそうです。
それでも「好きで始めたことに屈したくない」と練習を続け、2004年10月に初出場した全日本ノービス(Bクラス)で優勝し、9歳で初めて金メダルを獲得しました。
また同年12月には自身初めて国際大会に出場、フィンランドのタンペレで開催された大会に出場しノービス(Aクラス)で優勝、10歳で国際大会の金メダルを獲得しています。
羽生結弦の出身中学
小学校卒業後は、仙台市立七北田中学校に進学しました。
1年生の時には全日本ジュニアに出場し、3位に入賞しました。
ノービスの選手がジュニアの表彰台にあがるのは、日本人男子初の快挙のことだったそうです。
3年生の時にジュニアグランプリファイナル、世界ジュニア選手権を制し、ジュニアで世界一となり、日本人男子としては初の中学生ジュニアチャンピオンの誕生になりました。
羽生結弦の出身高校
中学校卒業後は、東北高等学校に進学しました。
羽生結弦さんは普通科のスポーツコースに在籍、偏差値は42です。
高校時代はシニアデビュー戦となったISUグランプリシリーズのNHK杯で、フリースケーティングで自身初となる4回転トウループを成功させ4位に入賞、出場3回目の全日本選手権では4位となり、四大陸選手権の代表に選出されました。
2011年の四大陸選手権ではショート、フリーともに自己ベストを更新する演技で、初出場で銀メダルを獲得、男子選手としては四大陸選手権史上最年少のメダリストになっています。
さらにネーベルホルン杯に出場し、シニアクラスの国際大会では初の優勝を果たしました。
世界選手権では総合で3位に入り、初出場で銅メダルを獲得しました。
羽生結弦の出身大学
高校卒業後は、早稲田大学に進学しました。
羽生結弦さんが在籍していたのは人間学部情報科学科で、通信教育課程のため偏差値はありません。
「アスリートこそ社会性を身につけるべき」、「フィギュアスケートを科学的な視点から研究したい」という思いから、進学を決めたそうです。
多忙で留年し続けていましたが、2020年9月に卒業しました。
卒業論文については「フィギュアスケートにおいて、モーションキャプチャ技術はどれだけ使えるかっていうのと、どういうふうな展望があるかをまとめた論文です」と明かしていました。
まとめ
日本の男子フィギュアスケートを盛り上げている羽生結弦さんは、幼い頃から大会で結果を残してきました。
プロとしての羽生結弦さんの活躍にも目が離せませんね。