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東儀秀樹は人間国宝になる?がんや性格・身長や年齢・出身高校や大学も

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雅楽師の東儀秀樹さんは、どんな人なのでしょうか。

過去には宮内庁楽部に所属し、宮中儀式や皇居で行われる雅楽演奏会で演奏する日々を送っていたり、がんで入院生活を送っていた事を告白しています。

今回は、そんな東儀秀樹さんの経歴や出身中学、高校や大学などについて調べてみました。

東儀秀樹は人間国宝になる?

東儀秀樹さんについて調べてみると、「人間国宝」と言うワードが浮上します。

しかし東儀秀樹さんは現時点で人間国宝ではありません。

現役の人間国宝は、工芸と芸能あわせて112名ほどいるそうです。

人間国宝は、日本の文化財保護法第71条第2項に基づき、文部科学大臣が指定した重要無形文化財の保持者として各個認定された人物のことです。

人間国宝の認定方式には「各個認定」「総合認定」「保持団体認定」の3つがあり、今は人間国宝ではなくても将来的に東儀秀樹さんが人間国宝に認定される可能性はあるかもしれませんね。

東儀秀樹は若い頃宮内庁職員だった

東儀秀樹さんは、宮内庁式部職楽部に研修生として7年、楽師の職員として10年在籍していました。

宮内庁の楽師になったのは母のアドバイスがあったからだったそうですが、入った時は19歳だったため「その年齢ではもう無理です」と、最初は断られてしまったものの「何とか試験だけでも」と受けたところ、試験官の顔が試験中にみるみる変わっていき、認めてもらえたのでした。

在籍中、宮内庁職員らしくない東儀秀樹さんの行動を宮内庁内で問題にする人もいました。

上司に「宮内庁職員の自覚を持て」と言われたり、コソコソ陰口を叩かれるのは日常茶飯事だったものの、東儀秀樹さんは「僕のことを嫉妬してるんだな、僕が後ろ指さす側じゃなくてよかった」とまったくへこんでいなかったそうです。

そんな東儀秀樹さんが宮内庁を辞めた理由はスケジュールの問題で、個人的活動などで宮内庁の休暇をもらい、他の職員の演奏の配役に迷惑をかける方が嫌だったと話していました。

東儀秀樹のプロフィールや経歴

名前:東儀秀樹
生年月日:1959年10月12日
出身地:東京都
血液型:B型
身長:177cm
所属事務所:ユニバーサルミュージック

奈良時代から続く楽家の家系に生まれた東儀秀樹さんは、1986年に楽師になりました。

幼い頃は楽師になるとは考えていなかったものの、帰国子女とあって、外国人が日本を誤解している場面に遭遇することもあり、本当の日本を知ってもらいたいという気持ちが湧き出てきたことから、この道に進むことを決意したそうです。

楽師としてだけではなくピアノやシンセサイザー、コンピューターとともに雅楽の持ち味を生かした独自の曲の創作にも情熱を傾け、1996年1月にはデビューアルバム「東儀秀樹」をリリースしました。

宮内庁楽部を退職してからはフリーで、「モード・オブ・ライジング・サン」、「幻想譜」など4枚のアルバムを発表、2004年には文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞しました。

また自ら上海に出向いて、中国民族楽器の若手演奏家をプロデュース、「TOGI+BAO」というユニットを組んで日中両国で活動していましたが、2008年夏のコンサートツアーをもってユニットの活動は休止しています。

2008年に京都嵯峨芸術大学の客員教授に就任、他にも学習院女子大学非常勤講師、上野学園大学、名古屋音楽大学、大正大学、池坊短期大学客員教授、皇學館大学特別招聘教授を務めています。

さらに映画、テレビ番組やCMにも楽曲を提供し、音楽や歴史、バラエティなどのテレビ番組に出演、2008年には大河ドラマ『篤姫』で孝明天皇役を演じました。

東儀秀樹が『クセスゴ』出演で話題!

2021年6月、東儀秀樹さんは『千鳥のクセがスゴいネタGP 』に初出演しました。

この出演の影響は大きく、その後も度々出演しています。

東儀秀樹さんはこの番組の出演に対し「真面目な部分もふざけた部分もどちらも本当の僕なので、こういうことも知ってくれるとうれしいですね」と話していました。

東儀秀樹の性格

東儀秀樹さんは、とても楽天的な方です。

これまで様々なことを経験してきたものの、インタビューでは「大きな困難に遭遇したという自覚がありません。実際には遭っているのでしょうが、元々の性格からそう感じない」などと明かしていました。

東儀秀樹さんは、壁らしきものが現れたら無理にその向こう側に行こうと考えず「壁があるのだから右へ左へ回避しよう」、「あるいは引き返そうか」と考えるタイプなんだそうです。

また現状で満足せずに「もっとすごい自分に会いたい」「自分の未知数を知りたい」という好奇心と欲望が強いことから、マルチに活動し続けています。

東儀秀樹はがんになっていた・現在は?

東儀秀樹さんは、25歳の時に左膝が痛んで入院しました。

この時、お母さんは医師からがんであることを告げられていたそうで、盗み聞きしてしまった東儀秀樹さんは「あと1年ももたないで死ぬんだろうな」と想像していたそうです。

医師や看護師に「どのくらい生きられるか教えて」と頼んでも「がんじゃないから」と言われていたものの、裏では延命のための足を付け根から切断する検討も進んでいました。

そんな状況の中で東儀秀樹さんは「そんなに長くないが、死ぬまで一生懸命生き、完全燃焼しよう」と、わくわくする毎日を過ごしていました。

すると、医者が首をかしげる奇跡が起き、検査でがんの可能性を示す数値が下がって、がんが消えてしまったそうです。

数年後、再び同じ所が痛み、検査でがんと思われるカゲが見つかったため、医師は東儀秀樹さんに膝の患部を切る手術を勧めました。

東儀秀樹さんは大丈夫という確信はなかったものの「しばらく様子を見よう」と決めたところ、またがんが消えていったそうです。

現在はがんの再発がなく、元気に暮らしています。

東儀秀樹の学歴

東儀秀樹さんが通っていた学校について調べてみました。

東儀秀樹の出身小学校

東儀秀樹さんは、世田谷区立八幡小学校出身です。

小学生の頃はウクレレやハーモニカ、ピアノを独学でマスターするなど、既に音楽の才能を開花させていたものの、絵も習っていたことから画家を目指していました。

東儀秀樹の出身中学

小学校卒業後は、成蹊中学校に進学しました。

偏差値は、68です。

中学では自分の好きな音楽を探し、ハードロック、ウェストコーストロック、プログレッシブロックというものをわけ隔てなく好きになっていたそうです。

東儀秀樹の出身高校

中学校卒業後は、成蹊高等学校に進学しました。

偏差値は、70です。

東儀秀樹さんは中学からの内部進学でした。

高校ではロックバンドやジャズバンドをやり、バンドによっては、キーボードをやっていたり、ボーカルをやることもあったそうですよ。

東儀秀樹の出身大学

高校卒業後は、国学院大学に進学しました。

東儀秀樹さんは文学部二部神道学科(現・神道文化学部 神道文化学科)に在籍、偏差値は48です。

大学時代は、宮内庁式部職楽部の楽生科で雅楽を学び、夜は大学で学ぶという生活でした。

しかしライブハウスで演奏ばかりしていたため、後に大学を中退しています。

まとめ

幼い頃から音楽が身近だった東儀秀樹さんですが、その頃から雅楽師になろうと思っていたわけではありませんでした。

雅楽師として、作曲家として、そして俳優として、今後も様々な分野で活躍する東儀秀樹さんに注目していきたいと思います。

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