俳優や司会者として活躍し、歯に衣着せぬコメントで人気を博す坂上忍さん。
子役時代から芸能界で活躍し、『バイキング』のMCを務めたほか、現在は子どもたちの演技指導や動物保護活動にも力を注いでいます。
そんな多才な坂上忍さんですが、彼の家族について気になる人も多いのではないでしょうか?
坂上忍さんの実家は杉並区にあるという噂がありますが、実際のところはどうなのでしょうか。
また、父親や母親はどんな人物だったのか、兄の職業についても気になるところです。
俳優としての成功の裏には、どのような家庭環境があったのか──。
今回は、坂上忍さんの実家や家族構成、そして家族との関係について詳しく調べてみました。
坂上忍の実家は杉並区?
坂上忍が開業した動物保護ハウス「さかがみ家」寄付を募らない理由 https://t.co/C04Snczx0w pic.twitter.com/ymSKQYLAaY
— 情報bot (@kiaison) June 4, 2022
坂上忍さんは東京都杉並区西荻窪の出身で、小学校・中学校も杉並区内の公立校に通っていました。
具体的には、杉並区立桃井第三小学校、杉並区立荻窪中学校を卒業しており、これらの学校の学区内で生活していたことが分かります。
ただし、実家の詳しい住所は公表されておらず、正確な場所は不明です。
子役として活躍していた幼少期は比較的裕福な家庭だったと言われています。
しかし、坂上忍さんが15歳のときに両親が離婚し、生活は一変。
父親が経営していた会社の倒産も重なり、経済的に厳しい状況になったことを坂上忍さん自身が明かしています。
このため、幼少期に過ごした実家が現在も存在しているかどうかは分かりません。
現在、坂上忍さんは千葉県に約3000坪の広大な土地を購入し、「さかがみ家」と名付けた動物保護ハウスを運営しています。
ここでは多くの保護犬・保護猫と共に暮らしており、テレビ番組などでも紹介されることが増えました。
もはや「実家」というよりも、千葉の広大な土地が現在の「家」と言えるかもしれません。
これまでに都内のマンションや一軒家などを複数所有してきたこともあるため、かつての実家とは別に、坂上忍さんが生活の拠点としていた場所はいくつも存在しているようです。
幼少期を過ごした杉並区からは離れているものの、現在の「さかがみ家」では動物と共に穏やかな生活を送っているようです。
坂上忍の父親はどんな人?
坂上忍さんの父親は坂上勝也さんという人物で、もともとは新聞記者として働いていました。
その後、出版社を立ち上げましたが、経営に失敗し倒産。
さらに、ギャンブル癖があり、借金は1億円にまで膨らんでしまったと言われています。
この借金の影響で、家庭は大きく揺らぐことになりました。
坂上忍さんが15歳のときに両親は離婚し、父親は借金を残して家族のもとを去りました。
この時、母親と坂上忍さん、兄が借金を返済することになり、坂上忍さんは家族を支えるために芸能活動を続ける決意をしたそうです。
父親とは長い間疎遠でしたが、その後「坂上精一郎」というペンネームで小説『歳月のかたみ』を出版。
この際、約10年ぶりに坂上忍さんへ連絡が入り、「サイン会に協力してほしい」と依頼があったそうです。
家族が必死に返済した借金について謝罪の言葉を期待していたものの、そのような言葉は一切なく、坂上忍さんは父親に対して強い怒りを感じたと言います。
その後、2012年に父親が亡くなった際も、葬儀には参列しませんでした。
これほどまでに深い確執があったことが分かります。
しかし、時間の経過とともに気持ちに変化が生まれたようで、後に父親の墓参りをしたことをテレビ番組で語り、「親父への気持ちも和らぎました」と明かしました。
幼少期には裕福な時期もあったものの、父親の経済的な問題が影響し、家族の生活は大きく変化しました。
こうした経験が、坂上忍さんの独立心の強さや、仕事へのストイックな姿勢につながっているのかもしれません。
坂上忍の母親
坂上忍、『バイキング』ロケに実の母、淳子さん登場(写真 全3枚) #坂上忍 #芸能 #ニュース http://t.co/KawLKD1L1N pic.twitter.com/eMen0afn7c
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坂上忍さんの母親は坂上敦子さんという方で、息子を支えるために並々ならぬ努力を重ねてきました。
かつては専業主婦だったと言われていますが、夫の借金問題と離婚をきっかけに生活が一変しました。
父親が抱えていた1億円もの借金の連帯保証人になっていたため、離婚後は母親がその返済に追われることに。
坂上忍さんと兄を養うため、仕事を3つ掛け持ちし、昼も夜も働き続けたそうです。
この時、坂上忍さんも家計を支えるために芸能活動を続ける決意を固めました。
その後、39歳の時に「歌とお酒と男と女 THEテレビジョン」というスナックをオープン。新宿・歌舞伎町にあるこの店は、一見さんお断りの会員制で、親しい人だけが訪れることができる特別な空間でした。
店名:歌とお酒と男と女 THEテレビジョン
住所:東京都新宿区歌舞伎町2丁目24-3
営業時間:非公表
現在の営業状況については明らかになっていませんが、このスナックは長年にわたって営業を続け、坂上忍さんの母親の生計を支えていたと言われています。
また、坂上忍さんはテレビ番組で母親について語ることがあり、その中で「母親には頭が上がらない」と明かしたこともあります。
過去には、「自分が今のように生きられるのは母親の頑張りがあったから」と感謝の気持ちを述べたこともありました。
壮絶な人生を歩んできた母親の存在が、坂上忍さんの強さや努力家な一面を育んだのかもしれません。
坂上忍の兄の職業
『#長谷部香苗 のCinemaBarRadio』
— 長谷部香苗のCinema Bar Radio (@CinemaBarRadio) February 14, 2022
Vol.79
リピート配信 本日2/15(火)は22:30~
プロデューサーの #坂上也寸志 さんと
『 #私をスキーに連れてって』を深ボリ
坂上さんのプロデューサー業にも影響を与えた本作
観た人が主人公たちになりきる
ヒット作の極意とは?#カナエシネマ#リスラジプレミアム pic.twitter.com/qWDqS0Vb1l
坂上忍さんには4歳年上の兄、坂上也寸志さんがいます。
一般的にはあまりメディアに登場することはありませんが、映画プロデューサーとして活躍し、株式会社ピーズ・インターナショナルの代表取締役を務める実業家です。
幼少期には坂上忍さんと同じく子役として活動しており、1971年に公開された大映映画『ガメラ対深海怪獣ジグラ』に出演。
この映画では、怪獣映画特有の緊張感あるシーンに登場し、当時の子どもたちにも親しまれました。
しかし、その後は俳優業から離れ、映画制作の裏方としての道を歩むことになります。
現在の職業は、映画や映像制作を手掛けるプロデューサーであり、映画・映像制作を中心とする株式会社ピーズ・インターナショナルの代表取締役を務めています。
この会社では、映画・テレビ番組・CMの制作を行っており、日本の映像業界の発展に貢献している企業のひとつです。
また、映画プロデューサーとしては日本国内外の作品に携わることも多く、幅広いジャンルの映像制作に関わっていると言われています。
表舞台に出ることは少ないものの、坂上忍さんと同じくエンターテインメント業界で活躍していることがわかります。
兄弟の関係について詳細はあまり語られていませんが、坂上忍さんが芸能界で長年活躍できた背景には、同じ業界で働く兄の存在も少なからず影響を与えているのかもしれません。
まとめ
坂上忍さんは、幼い頃から芸能界で活躍し続け、現在では俳優や司会者として確固たる地位を築いています。
しかし、その華やかなキャリアの裏には、父親の借金や両親の離婚、家族との確執といった苦難の歴史がありました。
父親とは長年確執があり、生前に和解することはできませんでしたが、坂上忍さんは後に墓参りをし、少しずつ父親への感情に変化があったことを明かしています。
母親とは深い絆で結ばれており、坂上忍さんの成功の裏には、昼夜を問わず働き続けた母親の存在があったことがよくわかります。
また、兄も映画プロデューサーとして映像業界で活躍しており、同じエンターテインメントの世界でそれぞれの道を歩んでいます。
坂上忍さんは現在、多くの動物とともに千葉県の広大な土地「さかがみ家」で暮らし、保護活動にも力を入れています。
過去の苦難を乗り越え、家族や動物たちと共に築く新たな生活は、彼にとって新しい幸せの形なのかもしれません。
これからも、家族への想いを胸に抱きながら、さらなる活躍を見せてくれることでしょう。
今後の坂上忍さんの活動にも注目していきたいですね。