シンガーソングライターとして活動しているさだまさしさんは、『関白宣言』や『北の国から〜遥かなる大地より〜』などのヒット曲で話題を集めました。
そんなさだまさしさんは、どんな人なのでしょうか。
今回は、さだまさしさんの経歴や出身中学、高校や大学、若い頃の姿などについて調べてみました。
さだまさしの若い頃がイケメン!
さだまさしさんの若い頃の姿はこちらです。
#三秒聞けば誰でもわかる
— 好茶んこうちゃんARIA応援隊💞 (@kouchan830) March 29, 2020
今でも結婚式で歌われる曲です。
関白宣言
さだまさし
若いなぁ~~~(@ ̄□ ̄@;)!! pic.twitter.com/4hl2e55TbT
やだ、さだまさし若いw pic.twitter.com/6yF0f7PVRq
— Naoh (@trude_lucchini) September 28, 2015
さだまさしさんも若い頃は肉ついて無くてヒョロかったのに
— オスカル (@974Aki0156) June 23, 2020
随分肉付きが良くなってしまったなw#うたコン pic.twitter.com/ibyCEg1OOy
さだまさしの若い頃イケメン pic.twitter.com/eEe5abXQCw
— 坊ちゃんエース (@kumatetsuradio) September 20, 2013
今とは少し雰囲気が異なり、とてもカッコイイですね。
さだまさしの学歴
さだまさしさんが通っていた学校について調べてみました。
さだまさしの出身小学校
さだまさしさんは、長崎市立西北小学校出身です。
3歳よりヴァイオリンを習い始め、5年生のときには毎日学生音楽コンクール西部地区(九州地区)大会で3位、6年生の同大会で2位という結果を残しました。
さだまさしの出身中学
小学校卒業後は、葛飾区立中川中学校に進学しました。
1年生のときヴァイオリン修行のため単身上京し、学校では吹奏楽部に所属していました。
また中学生時代に加山雄三さんやサイモン&ガーファンクルに影響され、ギターを奏でながら歌を作るようになったそうです。
さだまさしの出身高校
中学校卒業後は、國學院高等学校に進学しました。
偏差値は、65です。
中学で上京してからそれなりにレッスンを受けつつ、本来の目的であったヴァイオリンの腕を磨く努力はしていたものの、「純粋なクラシック音楽のヴァイオリニスト」の道の厳しさや困難さは想像以上で、とても苦しんでいたそうです。
そして当初は東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校(途中で東京都立駒場高等学校芸術科に志望校を変更)の受験をするも失敗、家族や自分自身の期待にこたえられなかったという深い失意の中、この学校に進学しました。
そのためヴァイオリンへの熱意を失ったものの、高校時代はギターや作詞・作曲、小説作り、落語、スポーツなど数々の方面で活躍しました。
さだまさしの出身大学
高校卒業後は、國學院大學に進学しました。
さだまさしさんは法学部に在籍、現在の偏差値は55.0~57.5です。
ペンキ屋(塗装工員)など数々のアルバイトをしながらの生活を送っていましたが、肝炎を患ったことをきっかけに地元に帰りました。
そして学校も中退しています。
さだまさしのプロフィールや経歴
石子と羽男-そんなコトで訴えます?-
— TBS「石子と羽男ーそんなコトで訴えます?ー」【公式】7月8日(金)よる10時スタート! (@ishihane_tbs) July 6, 2022
1話放送まで、あと“2日”❣️
本日のカウントダウンは綿郎さんっ✨
徐々に放送が近づいてきていて私たちもドキドキです💓
☂️#tbs #金曜ドラマ #石子と羽男 #さだまさし #7月8日よる10時スタート pic.twitter.com/nRO1JdqRgy
名前:さだまさし
生年月日:1952年4月10日
出身地:長崎県
血液型:A型
身長:165cm
所属事務所:さだ企画
1972年、高校時代からの友人である吉田正美(現:政美)さんと意気投合し、同年11月3日にバンド「グレープ」を結成したさだまさしさんは、やがて音楽プロデューサーの川又明博さんにスカウトされ、1973年10月25日に「雪の朝」全国デビューを果たしました。
ただデビュー曲「雪の朝」は8000枚しか売れず、友人らがレコードを買い込んで知り合いに無理に買わせるといった状況でだったそうです。
1974年4月25日に第2作目のシングル「精霊流し」を発表したものの、デビュー曲と同様に当初の売り上げは芳しくないものでした。
しかし、東海ラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』の中で、アナウンサー・蟹江篤子さんが担当の曜日で毎週のように流し続けた結果、同番組の放送エリアの名古屋地区のみならず全国的なヒットとなり、この年の第16回日本レコード大賞作詩賞を受賞しました。
その後さだまさしさんは肝炎を患い、さらに自分たちのやりたい音楽と受け手との齟齬が生じたため、1976年春にグループは解散しました。
解散後は一時業界から離れたさだまさしさんでしたが、1976年11月に「線香花火」でソロ活動を開始、1977年にシングル「雨やどり」がオリコンシングルチャート1位になる大ヒット、さらに1979年7月にリリースした「関白宣言」は150万枚を超える大ヒットを記録しています。
1980年には映画『翔べイカロスの翼』にサーカス団のピエロの青年役として主演し、俳優としても話題を集めました。
1981年からはドラマ『北の国から』の音楽を担当、テーマ曲の「北の国から〜遥かなる大地より〜」は、さだまさしさんの代表曲の1つになっています。
2002年3月21日にはソロ・コンサート通算3000回という前人未到の偉業を達成、同年小説集『解夏(げげ)』発表し、この作品は2004年に映画化、フジテレビの月9枠で『愛し君へ』としてドラマ化されました。
2006年からはNHK総合テレビで司会の生放送特番『新春いきなり生放送!!「年の初めはさだまさし」』が放送され、その後も続編が制作されています。
2013年7月17日には、日本武道館で自身の記録を塗り替えるソロ・コンサート通算4000回目を達成しました。
さだまさしの本名
さだまさしさんの本名は、「佐田雅志」さんです。
読み方は同じ「さだまさし」です。
さだまさしの年収
さだまさしさんの年収は公表されていません。
1981年には当時28歳ながら主演・監督・音楽を担当したドキュメンタリー映画『長江』の製作費用がかさみ、総計28億円、金利まで含めると約35億円の借金を背負いました。
しかし楽曲印税、一年間に100回以上のライブを敢行し、30年かけて返済しています。
現在もライブ活動は変わらず続けており、印税はもちろんのこと俳優などテレビにも出演していることから、年収は数千万円ほどになるのではないかと思われます。
まとめ
フォークデュオのグレープとしてデビューしたさだまさしさんですが、デビューしたばかりの頃は売れず、苦しい思いを経験しました。
ソロになってからも多額の借金を抱えるなど災難はありましたが、全てを乗り越え、今も歌い続けています。
これからもそんなさだまさしさんの活躍を応援していきたいと思います。