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加山雄三の父親は上原謙で母親や祖先もすごかった!家系図も調べてみた

kayamayuzo_family 歌手
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俳優、歌手、ギターやウクレレ、ピアノ奏者、画家などマルチに活動している加山雄三さんですが、両親はどんな人なのでしょうか。

先祖や親戚には、ある有名人がいることも判明しています。

そこで今回は、加山雄三さんの両親や先祖、親戚について調べてみました。

加山雄三の父親は上原謙

加山雄三さんのお父さんは、俳優の上原謙(本名:池端清亮)さんです。

上原謙さんは、1935年に松竹に入社し『若旦那・春爛漫』でデビュー、『婚約三羽烏』、『浅草の灯』『せめて今宵は』など多くの作品に出演し、松竹退社後もドラマ『三百六十五夜』が大ヒットし、1949年には高額納税者のタレント部門トップに躍り出る活躍ぶりを見せていました。

1953年に第8回毎日映画コンクール・主演男優賞を、1983年に勲四等瑞宝章、1992年に第15回日本アカデミー賞・会長特別賞を受賞しています。

上原謙さんは1991年11月23日に急性心不全で82歳で亡くなり、加山雄三さんは「この一年半は心労が続き、静かな老後を送らせたかった」と語っていました。

加山雄三の母親は小桜葉子

加山雄三さんのお母さんは、女優の小桜葉子(本名:池端具子 旧姓:岩倉)さんです。

小桜葉子さんは、1925年に小笠原プロダクションに子役として入り、『明日天気になアれ』では主演を務めましたが、1936年10月に上原謙さんと結婚し引退しました。

子宮頸がんのため入院中だった小桜葉子さんは、1970年5月12日に尿毒症からくる心不全のため52歳で亡くなっています。

この数年前にスキーの事故で片方の腎臓を損傷、摘出したことから腎機能障害を患い、がんの発見が遅れ、わかった時には既に手遅れの状態だったそうです。

加山雄三の生い立ち

1937年4月11日に誕生した加山雄三さんは、幼少期に大腸カタルを患い病弱だったため、自然環境の良い神奈川県茅ヶ崎市で生活していました。

実家は海と茅ケ崎駅の中間辺りにある平屋の日本家屋で、お手伝いさんは必ず2人はいたそうです。

1960年春に東宝へ入社した加山雄三さんは同年『男対男』で映画デビュー、1961年、「夜の太陽」で歌手デビューを果たし、NHKの『紅白歌合戦』には17回出場しています。

後のフォークソングやニューミュージック全盛時代に先立つ、日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在で、また日本ではじめて多重録音を手がけた歌手とも言われています。

加山雄三の家系図

加山雄三さんのお父さん側の曾祖父は、旧薩摩藩士の池端彦七さんです。

祖父には、池端彦七の次男である池端清武さんがいます。

お母さん側の高祖父には岩倉具視さん、曾祖父には宮内大臣の岩倉具定さん、曾祖母には愛国婦人会初代会長の岩倉久子さんがいました。

さらに加山雄三さん自身には妹(池端亮子さん)がおり、お父さんはお母さんが亡くなってから元クラブ歌手の大林雅美さんと再婚し、仁美凌さんが誕生したため、継母と異母妹もいます。

加山雄三の祖先は岩倉具視で西郷隆盛も親戚

母方の高祖父に明治の元勲・岩倉具視さんがいる加山雄三さんですが、西郷隆盛さんとも親戚関係です。

他にも、竹下登さん、筑紫哲也さん、DAIGOさん、千葉雄大さん、黒木瞳さん、松任谷正隆さん、武豊さん、勝新太郎さん、ジョン・レノンさん、小澤征爾さんらが親戚であることが判明しています。

まとめ

女優と俳優の両親の元で育った加山雄三さんですが、先祖や親戚にも有名人が多くいました。

加山雄三さんも両親や先祖に続く功績をこれからも残し続けていってほしいですね。

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