1960年に俳優デビューし歌手としても活躍している加山雄三ECMWFさんは、どんな人なのでしょうか。
過去にはホテルやスキー場を経営していたこともあったそうです。
今回は、加山雄三さんの経歴や出身学校、年収などについて調べてみました。
加山雄三の若い頃がイケメンすぎる!
加山雄三さんの若い頃の姿はこちらです。
若い頃の加山雄三
— いちぢく (@kncmc2019) August 28, 2022
絵に描いたようなハンサムだった pic.twitter.com/971CEQvSXY
うちにも誰かがくれたこのソノシート・レコードがあった。。
— 【 group方 】真田紐幸【 topos方 】 (@EsemShibaristJr) April 11, 2017
昭和12年(1937年)の4月11日は
加山雄三が生まれた日(80歳誕生日)。。
若い頃の加山雄三の顔はすばらしい。。https://t.co/lVioA4RswR pic.twitter.com/gGzX7VXVOb
加山雄三さんの若い頃カッコよすぎんか…🥹🥹 pic.twitter.com/FIOhlWnXPz
— パク会長 (@parkjihyo9721) August 28, 2022
加山雄三さんの若い頃のあだ名は“ドカベン”。いつも大きな弁当箱を持参していたことが由来らしい。加山さんの大食漢ぶりは有名で、映画スター大食番付で横綱に選ばれるほど。①休憩時間にドカベンを食べる加山さん ②ご自慢のボートの名は「ドカベン号」。お正月に仲良しの星由里子さんを乗せて初船出 pic.twitter.com/iZutxOhtrl
— 島倉千代菊 (@wataridori333) September 15, 2019
今も魅力的な加山雄三さんですが、若い頃もイケメンですね。
加山雄三のプロフィールや経歴
加山雄三さん、年内でコンサート活動引退へ「歌えるうちにやめたい」:朝日新聞デジタル https://t.co/VJIfQpDtQy
— 朝日新聞デジタル (@asahicom) June 19, 2022
加山雄三さんがインタビューに応じ、年内でコンサート活動を引退することを明かしました。引き際への思い、山あり谷ありの芸能活動について語られています。 pic.twitter.com/CtI5rJAQZW
名前:加山雄三
生年月日:1937年4月11日
出身地:神奈川県
血液型:A型
身長:175cm
所属事務所:ドリーミュージック
大学卒業後の1960年春にスカウトを受け東宝へ入社した加山雄三さんは、同年『男対男』で映画デビューし、『独立愚連隊西へ』で初主演を務めました。
1961年に「夜の太陽」で歌手デビューするなど順調な芸能生活だったものの、1971年頃には人気が低迷し、かつてない不遇の時代を迎えたこともありました。
しかし『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』を始めとするバラエティ番組、『江戸の旋風』『大追跡』『ぼくの妹に』などのテレビドラマやドラマの挿入歌である「ぼくの妹に」のヒットで徐々に息を吹き返すし、1986年から3年連続で『NHK紅白歌合戦』で白組司会を務めています。
さらに2011年には第61回芸術選奨文部科学大臣賞大衆芸能部門を受賞、翌年の2012年5月から2015年9月25日までは『若大将のゆうゆう散歩』に出演していました。
若大将シリーズでスターになった
1961年から1971年まで、加山雄三さんは加山雄さんは映画『若大将』シリーズの主演を務めていました。
このシリーズは、大学を出たばかりの加山雄三さんの演技はお世辞にも演技といえるものではなかったことから、本格的に加山雄三さんを売り出すため、『大学の若旦那シリーズ』を東宝で現代風にアレンジして作られた作品です。
1981年には加山雄三さん芸能生活20周年記念作品として『帰ってきた若大将』が制作され、配収10億円の大ヒットとなり有終の美を飾りました。
ミュージシャンとしてもすごかった
加山雄三さんは、日本ではじめて多重録音を手がけた歌手と言われています。
1965年12月に映画『エレキの若大将』主題歌として発売された「君といつまでも」は350万枚の大ヒットを記録しています。
『紅白歌合戦』には、これまでに17回出演しました。
ホテルやスキー場を経営していた
1965年、加山雄三さんは神奈川県茅ヶ崎市に「パシフィックホテル茅ヶ崎」を開業、1967年に運営会社「日本観興開発(後に株式会社パシフィック・ジャパンに改称)」取締役に就任しました。
しかし、パシフィック・ジャパンは1970年3月に23億円の負債を抱え倒産、ホテルは18億円で売却されています。
この時多額の借金を抱えた加山雄三さんは超極貧生活を送り、10年で返済しました。
そして1991年には、新潟県南魚沼郡湯沢町に加山キャプテンコーストスキー場を開業しました。
2010年 – 2011年シーズンまで営業したものの、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響や、若者のスキー離れなどによる経営資金調達困難などが影響し、2011年に閉鎖しています。
船・光進丸は火事で焼失
大の船好きである加山雄三さんは、これまでに大小10隻以上の船も設計、『光進丸』という自ら設計した全長30メートルを超える船を所有していました。
しかし2018年4月1日夜、静岡県賀茂郡西伊豆町の安良里漁港に係留されていた3代目『光進丸 (104トン、全長25.59m)』で火災が発生、出火から約42時間後に鎮火しました。
その後船は横に係留されていた作業船と一緒に横倒しになり大半が水没、船体の実況見分が行われたものの、船の内部の焼損が激しかったことから出火原因の特定には至らなかったそうです。
加山雄三さんは当時について「いやまさかと思った。こんなことがあるんだな。そこがひとつの大きな人生のターニングポイントになるのかもしれないな。これは試されたなと思いましたね」と語っていました。
加山雄三の本名
加山雄三さんの本名は、「池端 直亮 (いけはた なおあき)」さんと言います。
芸名は、母方の祖母が姓名判断で縁起のいい名前を付けてくれたのだそうです。
加山雄三の学歴
加山雄三さんが通っていた学校について調べてみました。
加山雄三の出身小学校
加山雄三さんは、茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校出身です。
子供のことは、成績優秀で運動神経も抜群の子供でした。
ただ野球だけは苦手だったそうです。
加山雄三の出身中学
小学校卒業後は、茅ヶ崎市立第一中学校に進学しました。
小学生の頃から船に興味を持っていたこともあり、中学2年生の時には自分でカヌーを設計して造っていました。
加山雄三の出身高校
中学校卒業後は、慶應義塾高等学校に進学しました。
現在の偏差値は、76です。
高校受験では志望校として他の高校にも学校見学に行ったものの、「なんとなく伸び伸びした校風が自らに合っている」ということを理由にこちらの高校のみを受験することに決めました。
そして受験校を決めてからの半年間は、英数国主要3科目にそれぞれ家庭教師を付け、一日に英単語200個を暗唱するなど猛勉強し、合格をつかみ取ったのです。
高校時代はボクシングやバンド、スキーなどを行っていました。
加山雄三の出身大学
高校卒業後は、慶應義塾大学に進学しました。
加山雄三さんは法学部政治学科に在籍、現在の偏差値は70です。
当初は工学部を希望していたものの、成績不振のため法学部に進学しました。
大学時代の1959年には、スキーで念願の国体蔵王大会に出場しています。
加山雄三の年収や財産は?
加山雄三さんの年収は公表されていません。
現在は俳優活動を行っていないものの、歌手として活躍しています。
またテレビ番組に出演することもあり、年収は数千万円ほどではないかと言われています。
そして一時は借金を抱えたこともあった加山雄三さんですが、現在はそれなりの財産を持っているのではないかと思われます。
まとめ
大学卒業後に芸能界に入った加山雄三さんは、波乱万丈な人生を送っていました。
しかしここまで長く活動し続けられたのは、加山雄三さんがどんな時でも諦めずに頑張ったからだと思います。
近年は体調で不安な部分もありますが、これからもスーパースターとして輝き続けてほしいですね。