カブトムシの飼育やラリードライバーなど、多彩な趣味をお持ちの哀川翔さん。
年齢は何歳で、本名はどんな名前なのでしょうか?
今回は、年齢や本名、出身高校や事務所などを調べてみました。
哀川翔のプロフィールや経歴
名前:哀川翔
生年月日:1961年5月24日
出身地:鹿児島県
身長:178cm
所属事務所:ビンゴ
哀川翔さんは、路上パフォーマンス集団・劇男一世風靡に所属していました。
そして1984年『一世風靡セピア』のメンバーとして芸能界デビューし、1986年には『青の情景』という曲で、ソロデビューを果たします。
その後、長渕剛さんから直接のオファーを受け、ドラマ『とんぼ』に出演し、映画監督の高橋伴明さんに、演技力と存在感があると高い評価を受けたのです。
そして1990年に公開されたVシネマ『ネオ・チンピラ・鉄砲玉ぴゅ〜』や、映画『獅子王たちの夏』に出演し、俳優としての道を歩み始めました。
1995年には、あいかわ翔として監督デビューを果たし、『BAD GUY BEACH』を製作します。
映画『ゼブラーマン』では主演100作目の快挙を成し遂げ、2005年には日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞しました。
竹内力さんと共にVシネマの帝王として、芸能界で不動の地位を築いています。
カブトムシやラリーでもすごい
哀川翔さんは、近年カブトムシ飼育の実力の高さが話題になっています。
哀川翔さんは、毎年カブトムシ5000匹を羽化させており、2015年には昆虫ドキュメンタリー『アリのままでいたい』の初日舞台あいさつ観覧希望者(中学生以下)に、自ら羽化させたカブトムシ200匹をプレゼントしました。
そして飼育するカブトムシの1匹が88mmに成長し、ギネス申請したり、羽化させたカブトムシ2匹が雌雄モザイクであったりするなど話題に。
ちなみに雌雄モザイクは1万分の1の確率とのことです。
哀川翔さんは、モータースポーツ活動もしています。
2008年にラリーチーム『Show Aikawa World Rally Team』を結成しました。
WRCラリージャパン初挑戦で完走する快挙を果たし、N3クラスでは1位という成績を収めます。
2013年からは、ドライバーとしてではなく、監督業に専念しています。
サングラスやメガネも人気
哀川翔さんは、メガネフレームのプロデュースも行っており、自身でも200以上のメガネをコレクションしています。
『SAMURAI 翔』というブランドを立ち上げ、『かけていることを忘れるようなメガネ』をコンセプトに、老舗の増永眼鏡と協力し、メガネフレームを制作しています。
哀川翔の本名
哀川翔さんの本名は、福地家宏さんといいます。
哀川さんは芸名の由来について、『哀しみを川に流して翔びたて』を略して『哀川翔』に決めたと話していました。
哀川翔の所属事務所
哀川翔さんは、ビンゴに所属しています。
事務所の社長は、奥さんの青地公美さんが務めています。
哀川翔の年収
哀川翔さんは、年収を公表していません。
しかし、哀川さんのVシネマの出演料は、1作で1000万円を超えるという噂があります。
これまでに何度か、年収が億を超えたこともあると言われています。
哀川翔の学歴
哀川翔さんの学歴を調べてみました。
哀川翔の出身小学校
哀川翔さんは、鹿児島県鹿屋市立鹿屋小学校に通っていました。
哀川さんは、小学校の時に習字を習っており、運動神経抜群でした。
哀川翔の出身中学
哀川翔さんは、鹿児島県鹿屋市立第一鹿屋中学校に通っていました。
哀川さんは、中学時代は柔道部に所属しており、鹿児島の柔道は喧嘩のようだったと話しています。
同じ中学出身の芸能人は、国生さゆりさんです。
哀川翔の出身高校
哀川翔さんは、鹿児島県立高山高等学校に通っていました。
残念ながら高山高等学校は、2016年3月に閉校してしまいました。
哀川さんは、体操部と陸上部を掛け持ちし、運動神経の良さを発揮。
体操部では高校2年の時に、跳馬で県内3位に輝きました。
しかし、校則違反のバイク通学や他校生とのケンカは、日常茶飯事だったようです。
哀川翔の出身大学
哀川翔さんは大学へは進学せず、東京工学院専門学校に進学しました。
哀川さんは、体育教師になるのが夢でしたが、願書を出し忘れるというハプニング。
地元での就職願う母親を説得し、東京工学院専門学校に入学します。
皆勤賞で、授業も真面目に受けていました。
まとめ
Vシネマの帝王と呼ばれる哀川翔さんは、昆虫飼育やラリーで、趣味というレベルではない高い能力を持っていました。
これからも様々な分野で記録を打ち立てて、世間を驚かせて欲しいですね。
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