女優の倍賞千恵子さんの家族には、同じく女優として活動している倍賞美津子さんがいます。
さらにお兄さんや弟さん、そしてお姉さんがいることが分かりました。
倍賞千恵子さんの家族は、どんな人たちなのでしょうか。
今回は、倍賞千恵子さんの両親や兄弟、実家などについて調べてみました。
倍賞千恵子の妹は倍賞美津子
#ゲド戦記
— ふらんすパァ〜ン@永遠のさんごちゃん推し・オルテカ教•教祖💜💛涼芝長希【フォロバ1000%】 (@Senri_Kawaiiyo) April 9, 2021
女主人役の倍賞美津子さん(左)は、先週放送されたハウルの動く城のソフィー役の倍賞千恵子さん(右)の妹です。 pic.twitter.com/D9QmKD1Grl
倍賞千恵子さんの妹さんは、女優の倍賞美津子さんです。
倍賞美津子さんは、1965年松竹歌劇団に第18期生として入団、同年グランドレビュー『東京踊り』でデビューし、新人賞を受賞しました。
1967年には『純情二重奏』で倍賞千恵子さんと異母姉妹を演じ映画デビュー、『人斬り』で京都市民映画祭の新人賞を受賞、『復讐するは我にあり』でブルーリボン助演女優賞を受賞しています。
二人はとても仲が良く、過去には「居酒屋ばいしょう」というお店をやっていました。
倍賞千恵子の弟(長男)・明は野球ですごい!
大投手カールトンに影響を与えたロッテのエース成田文夫さんは高校時代 (修得高校) の1962年に夏の甲子園出場をかけた東京都予選決勝で惜しくも敗戦投手となってしまったわけだけど、このとき成田さんから決勝打を放った日大三高の打者は、猪木と義理の兄弟だったこともある倍賞明さんだったんだよ。 pic.twitter.com/DrGVOGmptn
— ラッシャー (@Rusher_415) December 21, 2019
倍賞千恵子さんの弟の倍賞明さんは、「日産自動車」硬式野球部の元監督です。
倍賞明さんは、日本大学第三高等学校時代に春夏の甲子園に一塁手、三番打者として連続出場、東都大学野球リーグでは1966年春季リーグで優勝、同年の全日本大学野球選手権大会でも優勝しました。
その後、日産自動車の野球部の監督に就任するも、2019年1月に亡くなっています。
倍賞千恵子の弟(次男)・鉄男はプロレス界で活躍
リングアナウンサーは「さくら」こと倍賞千恵子さんの実弟である倍賞鉄夫にやってほしかったね。 pic.twitter.com/EAgxnv8mGo
— ラッシャー (@Rusher_415) January 4, 2020
倍賞千恵子さんの弟の倍賞鉄夫さんは、長年新日本プロレスでリングアナを務め、後に猪木事務所社長に就きました。
そんな倍賞哲夫さんも、2017年8月に天国へと旅立っています。
倍賞千恵子は姉もいる!
倍賞千恵子さんには、お姉さんもいます。
倍賞節子さんという名前ですが、一般人のため情報はありませんでした。
倍賞千恵子の実家
倍賞千恵子さんは、東京都西巣鴨生まれで、北区滝野川で育ちました。
戦時中は茨城県に疎開していたものの、その後は東京に戻り生活していたようです。
実家の詳しい場所については公表されていないため、分かりませんでした。
倍賞千恵子の生い立ち
60年代後半の倍賞千恵子 マジで無敵だな pic.twitter.com/7thoWdlgYs
— 因果 (@cause_effect119) October 6, 2022
1941年6月29日に誕生した倍賞千恵子さんは、幼少時は「のど自慢」荒らしとして知られていたそうです。
1954年に「ひばりの赤ちゃん」で歌手デビューを果たし、みすず児童合唱団を経て、1957年に松竹音楽舞踊学校に入学しました。
1960年に同校を首席で卒業し、松竹歌劇団13期生として入団するとすぐに注目を集め、翌年には松竹映画にスカウトされ松竹歌劇団を退団、『斑女』で映画デビューを果たしています。
倍賞千恵子の父親
倍賞千恵子さんのお父さんは、倍賞美悦さんと言います。
職業は、東京都電の運転士でした。
お父さんは秋田県鹿角郡(現:鹿角市)出身で、中学の時に東京に出て、15歳の時に「東京都電」の少年車掌の試験を受けて合格したのだそうです。
倍賞千恵子の母親
倍賞千恵子さんのお母さんは、倍賞(旧姓:青木)はなさんと言います。
お母さんは、茨城県真壁郡大和村(現:桜川市)出身で、小学校卒業後に東京で女子車掌になりました。
まとめ
1941年生まれの倍賞千恵子さんは、戦時中疎開先で生活していました。
苦しく貧しい生活を乗り越え、今も女優として活動しています。
これからも倍賞千恵子さん、そして倍賞美津子さんら家族の幸せと活躍を願っています。